ファミリーアシスト あすなろ教室(輝く瞳と素敵な笑顔を求めて)

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存在感を示す

2009-11-08 | 育児
 意識するか、しないかは別にして、誰もが自分の存在を認めてもらいたいと思っている。小さい頃は、「僕は?」「私は?」と認めてもらいたい気持ちで質問したり、認められる人と同じ動きをしたりする。みんなと一緒だと安心し、違っていると不安になったりする。
 自我が目覚める頃になると自己主張して反発するのもそのためだ。「最近、親の言うことを聞かない。」と嘆くという親の気持ちもわかるが子どもの成長の表れだ。親の言いなりになっていたら、自分の存在感が消えてしまう。親のロボットではない。自分は自分だと主張しているのがこの頃の子どもだ。いつまでも親の言いなりになっている子どもの方が逆に心配になる。
 自己主張の仕方が変化している子どもに合わせて、対応を変えられれば、子どもは苦労しない。力ずくで押さえつけたり、否定したりしていると子どもは自分を見失ってしまう。反発するうちはまだ、自分をもっているから安心だ。
 小さい頃は、できたことに目を向け、一喜一憂していたはずなのに、子どもが大きくなるとできないことに目を向けて、子どもに要求することが増えている。そのため、子どもが自信をなくす機会が増えている。子どものためだと言いながら、次から次へと要求をする。これでは、子どもはたまったものではない。一つ一つできたこと確実に認め励まし、自信をもたせたい。小さい頃と違って自分で事の良し悪しは、判断できる。子どもが認めてもらいたいとか褒めてもらいたいことも小さい子どものようにはいかない。本気で認め励ましのできることを見極めなければ、子どもは見抜いていしまう。「その程度しか、認めてもらえないのか?」となっては、自信につながることはない。だから、子ども自身が気づいていないことや子どもが認めてもらいと思っていることを見極めて認め励ます力が求められている。つまり、子どもたちに育てる側の力量が問われることになるのだ。
 子どもを絶えず見続けなければ、それは見えてこない。子どもから目を離し、自分の勝手な解釈で認め励ましてもそれが子どもの喜びや自信につながるものではない。長年教師を続けているとここが落とし穴となってくる。過去に出会った子どもと重ねてしまうのだ。違うはずなのに同じ対応で済ませてしまう。過去に出会った子どもではない。目の前の子どもに合った対応が必要なのだ。自己主張の仕方は似ているが、同じ心かどうかは、わからない。常に目の前の子どもを探り続ける自分でいたい。