確かに『ascension』(65)のクレジットには(John Coltrane)とあるのだから、あれは紛れもない‘楽曲’であった。集団即興の外形をとったあの80分(エディション1と2のトータル)に及ぶ切れ目のない無調の演奏も実は作曲されたソングを中核としたもので、むしろ当時、フリージャズの動向をやや、サイドから眺めていたコルトレーンがその‘要素’を自らのソウルに引き寄せながら、調性なきブルースを大人数(11人)で奏で、ファラオサンダースやアーチーシェップらのフリージャズを自らの歌の背景としたのかもしれない。
『ascension』はコルトレーンによるフリージャズ宣言であると言われる。以降の演奏やアルバムに於いてそのフリージャズの要素を内在化させる傾向が顕著になるのは、その影響の強さを証明するものであるし、確かに『ascension』を分岐点として、その後、即興の度合を加速化させたコルトレーンのキャリアは一見、どんどん歌を放棄していったかのようにも見える。しかも、その最晩年はフリージャズから更にその純度を突き詰めたフリーミュージックまで行き着いて、その無調の極みは後のヨーロッパフリーの原型と目されるスタイルとなった。
しかし、私達コルトレーンのファンは彼のフリージャズがその音楽性の中核を示すものではなく、バリエである事を承知している。晩年の演奏から垣間見られたその多様な関心領域はフリーという演奏形態以外にアフリカであり宗教であり宇宙や静的なメディテーションであった。つまり、フリージャズとは彼の表現世界を形成する一翼ではあるが、全てではない。その混沌の音像に私は結局の所、コルトレーンが初期から一貫して持ち続けたアドリブの発展形としての一過性的な表出であったと思わずにはいられないのである。
今回、リリースされた『live in France july 27/28 1965』は「ascension」のライブバージョン唯一の収録音源である事が注目された。しかもファラオやラシッドアリ、アリスコルトレーンが参加した後期の編成ではない。エルビンジョーンズ、マッコイタイナー、ジミーギャリソンによる黄金期クアルテットでの音源である。
「naima」や「afro blue」、「my favorite things」、「impressions」といったライブにおけるお馴染みのコルトレーンナンバーと違和感なく収まった「ascension」にむしろ、驚かされるだろう。あの凶暴なフリージャズの一大饗宴であったスタジオテイクがここでは、確かに強烈なフリー演奏ではあるが、他のナンバーの既知な爆発性と同列な響きをもって表現、提示されている。違いはテーマの有無だけなのだ。この曲の出だしの短い、それとわかるフレーズがテーマならぬ‘合図’として機能する点は共通で、後は多人数のソロの順番が重層な‘演奏会議’となったスタジオオリジナルバージョンが、このライブでは短縮されたソロの循環演奏となっている。しかも、そのドライブ感が強調されたライブならではの疾走感で演奏され、思わず聴いていてリズムを刻んでしまう高揚感をもたらすのだ。オリジナル『ascension』ではこうはいかなかった。エルビン、マッコイ、ギャリソンのグルーブマスター三人で構築されるリズムが多数のホーンインプロヴァイザーによる無軌道な音響で寸断され、その破片があちらこちらに飛び散るが如きサウンドが繰り広げられたのだから。それを聴く私達はビートを追走などできる間もなく、もはや、立ち尽くして聴くしかない状態にあったであろう。
『live in France july 27/28 1965』における圧縮されたグルーブに立ち還ったかのような「ascension」。ここで際立つのはマッコイタイナーのピアノのグルーブである。インプロヴィゼーションよりもバッキングとしての従来の意識に回帰するような演奏を行った。いや、この形態もマッコイにとって一つの即興であったか。自分のソロパートでは従来の持ち味であるエルビンのドラムに併走するプッシュを見せた。
コルトレーンクアルテットは当時のフリージャズを客観視していた。しかもそのフリーと言う名の形式に束縛性すらも見ていた。感情を爆発させる一つの発露の形態としてのフリージャズを認めながらもしかし、ジャンル化、様式化したフリージャズを演奏する事はむしろ不自由であり、アンチ・フリーであると。本来のフリーとは爆音の中で一人、口笛を吹くような精神のその場の自由行為である筈ではないか。音の外形を綾るアグレッシブさが解釈としての‘変革’や‘自由の獲得’といた言葉の称号を得られるのなら、むしろ様式内の演奏もそれは即興であり、その場のフリージャズに他ならない。
私はむしろエルビンとマッコイに自由な精神を見出すだろう。その後、ジャンルとしてのフリーの要素のバランスを強めていくコルトレーンのグループメンバーの改編によって脱退するこの二人こそ、そのバランスの均等な実現者であったかもしれない。
当時のコルトレーンが即興をめぐるそのバランスにどう解決を、結論を下すか。私はこの2枚組のライブアルバムにその苦悩の跡を見てとれる。そして一つの発見があった。私は本作のディスク1の冒頭でアナウンスされるフランス人司会者の癖のある声をどこかで聞いたことがあるなあと思っていたのだが、LPの海賊版でなない。思い出したのは『a love supreme deluxe edition(至上の愛 デラックスエディション)』(2002)のライブ音源 である。クレジットを確認すると、これはやはり、あの「至上の愛」を生涯ただの一度だけ演奏したライブであるフランスのアンティーブジャズフェスティバルでの音源がこの「ascension」の入った本作『live in France july 27/28 1965』だったのだ。日付は1965年、7月27日。つまり、「至上の愛」を演奏した翌日に今度は「ascension」をやってのけたのだ。
私は常々、コルトレーンがimpulseからリリースした数多の傑作スタジオアルバムの曲の数々がこと、ライブに於いてはあまり演奏されず、ステージで演奏されるのは大体、名の通った曲ばかりである事に、物足りなさを感じていたのだが、その意味で珍しく「至上の愛」を演奏し、翌日には「アセンション」をやったアンティーブジャズフェスティバルとはコルトレーンにとってどのような心境で臨んだフェスティバルだったのか。本国アメリカでは一度として演奏しなかった「至上の愛」をフランスで演奏した。常々、ナイトクラブという空間の非音楽鑑賞性に対し批判的であったコルトレーンは自らの代表的作品を濁りのない視線で埋め尽くされたヨーロッパの聴衆の前で再現したかったのか。わからない。ただ、私は先述した‘即興をめぐるそのバランス’に対する実験を試行したのだと感じている。
オリジナル『ascension』に於いてコルトレーンはギャリソン、マッコイ、エルビンというレギュラーメンバーとフレディハバード、デューイジョンソンといったオーソドックス派を加えた事による集団即興のいわば右翼を形成した。それはファラオやシェップ、マリオンブラウン、ジョンチカイといったフリー左派に対するバランス的配置でもあったのではないか。つまりコルトレーンにとってフリージャズとは無調の果てに現出するアナーキズムではなく、音楽自体の秩序なくして表現足り得ないという自己の法則に従った一形態であった訳だ。
『live in France july 27/28 1965』に於ける「ascension」はレギューラークアルテットの4人のみで混合に演奏する事で言わば左右両翼を塊のように表現した。それがこのグルーブに満ち溢れた音楽となり、さらに重要なのはコルトレーンのソングがより抽出されその真意がむき出しになって現れた事だろう。彼の下したフリージャズへの回答、その要素のバランスがこの演奏に現れたのだと思う。それはソングという中核を巡る包囲の厚み、その装飾という本質を際立たせる為の量的なバランスを演奏人数やフォーマットによって自由に変え得るという確信であったか。しかし、逆に言えば、それは「ascension」をライブでやってしまった事で一種の可能性の境地に達した事を意味した。従ってそれは新たな飽和を招き、先行きを不透明にした結果をもたらせたのではないか。
後、マッコイとエルビンを外し、アリスとファラオ、ラシッドアリを加え、フリージャズのバランス過多に向かったコルトレーン。それは己のソングの限界、変質を巡る再生のドラマの終章であったのかもしれない。
2009.12.22
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