満月に聴く音楽

宮本隆の音楽活動(エレクトリックベース、時弦プロダクションなど)及び、新譜批評のサイト

the Sa-Ra creative partners 『nuclear evolution 』

2009-11-13 | 新規投稿

The SA-RA Creative Partners 『Nuclear Evolution The Age Of Love』

核廃絶演説のオバマ大統領がノーベル平和賞を受賞したからと言って、国益に沿った現実的戦略と、己個人が裡に持つ理念としての理想主義とのバランスはしっかり取れている。問題は民主党政権をも含めた日本の‘平和主義者’達のオバマ礼賛の醜さだ。核廃絶イコール世界平和とでも言いたげなその日本独自の反戦思想は例えば他国の安全保障に関しても無配慮な感覚を示すもはや夢幻思想とも言うべきバーチュアル性を持つ。アメリカの核の傘下という安全地帯に安住しながら、核の先制不使用をアメリカに求めるという岡田外相の不見識は正にそれを象徴する。核を失えばたちどころに通常兵器による戦闘が再開されるであろうイスラエルとアラブ諸国やインドとパキスタン等が核抑止によってかろうじて睨み合いという現状維持で治まっているという現実は、‘平和’なるものの本質が戦争という緊迫を常に内包したものである事を示している。自国の安全を深刻に考える各国は少なくとも‘友愛外交’などと寝言を言う暇はない。有事を前提とした平和こそが現実であり、‘理性を持った’国家が管理する限りにおいて、戦争抑止という前進的平和を実現しているのが核であるというのは世界の共通認識である。早急な問題は‘理性なき’テロリストに対する核拡散なのであり、それはオバマ演説の後半部分でしっかり示された。更に同演説で同盟国への‘核の傘提供’の保持を確認したのも、自らの理想主義性とのバランス確保だっただろうか。しかし、オバマが核を‘冷戦構造の遺物’と言った事が特に日本では誤解を招きやすい事態になったのではないか。今や核は東西の軍拡競争の象徴ではなく、むしろ一国単位の安全保障や外交上での発言権の優位性を確保する為の手段というのがテロリストはともかく各国リーダーの認識だろう。南アやリビアが得ようとしながら頓挫し、イランや北朝鮮が必死に得ようとするのも核が他国への攻撃ではなく、自国の保全と国際社会での地位向上に最も効果があるからに他ならない。「核保有国でなければ主権国家とは言えない」と言い切ったのはプーチンだ。そんなリアルポリティカルな力学のみで形成される国際社会の中で日本の‘バーチュアル’平和主義の恥ずかしさは計り知れない。核弾頭をこちらに向けて配備する隣国に対し‘東アジア共同体’などというユートピア思想を披露する鳩山首相の‘夢幻性’はもはや危険ですらある。いや、遂にという感じだ。権力中枢まで行き渡った日本の‘反戦平和思想’。ここに極まった、か。

元来の民族的特質であろう‘平和志向’は敗戦というトラウマと共に現実主義とのバランス感覚を失い、戦後民主主義の浸透と共に夢想的ヒューマニズム信望という病に至る。日本人の様々な思考や活動の中枢であった思いやりや謙虚というメンタリティーは自尊心という柱が倒れることで‘悪利用’され、自らの精神を蝕む道徳的退廃を生んだ。国の安全保障という前提を踏まえない‘自由’という価値の独り歩きが‘人殺しはよくない’‘戦争反対’という安直なヒューマニズムを生み、‘平和志向’ならぬ‘平和偏重志向’が個人の領域から、マスコミや世論、そして遂に国家的メンタリティーにまで及んだというのが、政権交代によって出現した現在の日本の姿なのだと私は理解している。そこに有事を視野に置いた国の守りと緊張感はない。あるのは漠然とした希望的観測に従う‘平和共存’であろう。
リアリストに徹するべき国家運営に携わる者が‘夢幻’の領域に関るとそれはもう、一種の狂気である。理想主義とは一般人、なかんずくミュージシャン等のアーティストに任された特権である事を認識してほしい。リアリストとドリーマーが両翼を構成し、相互補完するような世界が、いや日本社会が望ましいと私は思う。その意味でアーティストの夢想気質はそれが強いほど、その表現は強力になる。ジョンレノンのあの赤面するほどの理想主義はその強さと音楽的完成度によって、人を動かし、政府をも恐れさせた。

『Nuclear Evolution The Age Of Love』はアブストラクトヒップホップのサーラーの2枚組大作である。タイトルからサンラーの『nuclear war』(82)を想起したが、いずれもその反核メッセージより、そのエロ深淵な音楽世界のドープさの方がより大きな共通点だろうか。この粘っこいファンクネスに私は快楽志向の極点に向かう鋭利な感覚以外の何物も感じ入れない。限りない快楽志向と夢幻性はアーティストに許された特権である。現実世界に対する審美眼も限りなく理想主義であらねばならない。‘The Age Of Love’(愛の時代)と宣言するサーラーの音楽世界の半端じゃない徹底性に私は賛同する。病みつきになるようなビートとサウンドメイクはエロスの感覚世界そのものであるが、逆に、快楽追及そのものの形而上学的、且つ社会的意義というレベルすらイメージさせるに充分な完成度だと感じている。ギャングマッチョな数多のヒップホップがストリート性を強調しながら、メジャー上昇志向がミエミエで中途半端な社会メッセージで煙を巻いているのに対し、サーラーの高濃度な快楽志向は既にサウンドだけでメッセージ性が充満する。エリカバドウ等のゲスト参加によるブラックミュージックの壮大なサークル的饗宴は聴いていて飽きない。

私はこの稿をアルバムタイトルに引っかけて書きすすめたが、やはり、音楽の内容については充分には書けなかった。この素晴らしいアルバムを何度も何度も聴いている私の快感はとても言語化できるものではない。書くことがないという私の本音は以前、ソウルミュージックについての稿がない理由として述べた事があった。今回はアルバムタイトルから無理矢理、時事放談めいた文章をひねり出したが、これがパターン化しない事を自分で期待している。

2009.11.13




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