満月に聴く音楽

宮本隆の音楽活動(エレクトリックベース、時弦プロダクションなど)及び、新譜批評のサイト

  4 hero   『Play with the Changes』

2007-08-21 | 新規投稿
   
アメリカのソウルミュージックが急にゴテゴテした装飾過剰なものになっていったのは80年代以降だっただろうか。MTVの影響はビジュアル面でも過剰演出を生み、派手ファッションの定番と周りを女達が踊ったり、はべったりという絵がパターン化した商売に突き進んでいた気がする。楽曲はより甘口に偏り、リズムはディスコにパターン化してゆく。それらはブラコン(ブラックコンテンポラリー)と呼ばれ、70年代のソウルとは異質であった。マービンゲイの「セクシャルヒーリング」が全ての始まりだっただろうか。その表面的な模倣が売れ線の型を作り、それに追随した制作が幅を効かせてしまったのだろう。
ブラコンには脂がたっぷり乗ったゴテゴテ感覚が充満しており、そのバブリーなセンスはダニーハザウェイやスティービーワンダー、マービンゲイら70年代のスリムで端正なソウルミュージックとは別個の音楽のようであった。興味深いのはヒップホップもその初期に比べ、大衆的認知を果たすやいなや、急にマッチョでエロなものに変質している。最近のヒップホップのプロモビデオのエロイメージのオンパレードはソウルミュージックがブラコン化してセクシャル作戦で売り出した経緯と全く似ている。ブラックミュージックがメジャー化すると急にゴテゴテし出すのは法則か。

マッシブアタックの衝撃度は、私にとって新しいソウルミュージックの発見だった事に尽きる。スミス&マイティやマッシブアタックはダブを基盤にしたソウルミュージックであり、音響の斬新なスタイルよりも歌こそに本質があったと思う。パンクを通過し、音響への意識、高度なデザイン感覚、覚醒意識、クールなスタイルがその音楽性を綾取ったが、私はアメリカの70年代ニューソウルと同質のセンスをそれらに感知した。ドラムンベースを基盤にした4heroもまた同様であり、本家アメリカにはニュージャックスイングがあったが、音響センスで勝るUKものに私は傾倒したのだと思う。

抑制と装飾のバランス感覚。
4heroはスタイリッシュである事と熱い魂で炸裂するメッセージが同居する。イギリスのパンク、ニューウェーブ以降の感覚を通過したブラックミュージックの昇華地点にある音楽だろうか。良い曲を書き、そこに必要最低限の装飾アレンジを施す。ストリングスのアレンジもその削ぎ取った感覚にミニマリズムやニューウェーブのセンスが濃厚で、シンプルなリズムやメロディに自らが<深く感じ入る>反復を至上と捉えるのはブラックミュージック本来の快楽原則に立ち戻るものを想起させ、それは結果的にアメリカの70年代のソウルの復権、その継承である事に気づかされるのだ。

このクールシンプルなソウル。傑作『two pages』(98)と等しく物語性も強調され、音響の緻密さと言葉の重さが心地よさの中で融合する。6年ぶりの新作『Play With The Changes』をリリースした4hero。おそらく今後も断続的な活動が続くのだろうが、個人的には男声ボーカルを大いにフューチャーした音楽を以後に期待したい。

2007.8.19

 
コメント
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