満月に聴く音楽

宮本隆の音楽活動(エレクトリックベース、時弦プロダクションなど)及び、新譜批評のサイト

Modest Mouse 『生命の大航海』

2007-08-07 | 新規投稿

Modest Mouse 『We Were Dead Before The Ship Even Sank』

現実が猛烈な速度で物語を追い越したのはいつ頃からか。全てのドラマが胡散臭く感じられ、色褪せ始めた時期があった。おそらくそれは日本で言えば経済状況の飽和点を見た80年代後期だろう。それ以前は個人も社会も国も、明日は今日より良くなるという無邪気なフィクションを信仰していた。それは終わらない物語にも似た盲目の不文律だった。やがて高速の現実は壁にぶち当たり、四方に弾け飛んだ時、取り残された物語は溶解し始め、断片的な記号と戯れる人間たちの姿があった。<大きな物語>の夢から醒めた時、廃墟で繰り広げられる虚無の遊戯があったのだろう。物語が瓦解し、日常も溶解した。続くIT革命以降の世界は人間中心主義への批判哲学としてのポストモダンさえ瞬時に追い越した末期(まつご)の到来。そこでは物語の有効性は個人の内側に内在化され、現実との往来不能な秘儀的娯楽としての地位に落ちたのだろう。

物語の時代は過ぎたのか。いや、人はまだ物語を欲している。共同幻想が崩壊した後の個的な物語を。濃縮還元された短編こそが今の時代には合うかもしれない。長編は要らない。プルーストやジョイスを読む人間は減っている。カフカさえも。ジェネシスやヴァンダーグラフジェネレーターを聴く者も減っているだろう。キングクリムゾンさえも。それよりコンパクトで深い物語が欲しい。どこにあるのか。

モデストマウスだ。傑作『Good News For People Who Love bad News』に続く新作である。ジョニーマー参加によるギターの比重増大によって前作のような曲調のバリエーション、サウンドアレンジの多彩さはやや後退しているが、それを補って余るのがボーカリスト、アイザックブロックの天才的パフォーマンスだろうか。発声された瞬間に物語の場面を変えられるような快楽。紙芝居をめくりながら、見る者を大声で惹きつけていくような圧倒的な力、表現力。七変化の声。入れ替わる人格。濃厚な演劇性、それもビートに先導される高速の野外劇。
アイザックブロックは現代の語り部だろうか。
しかしストーリーテラーたる彼の中に理想主義を語る夢想家は見えない。それより泥んこの道端で語られるロウワーな視線やリアルな欲望、失望の物語が見える。嘗てのイギリスの2トーンやOiが持っていたストリートをジャンプするロック精神。ワーキングクラスが持つ現状打破へのはかない夢。そんな眼前の日常意識を世界認識にまで昇華させる思考的発展のスリリングな力をモデストマウスの音楽世界に感じる。

私はアイザックブロックの必死さに感動を覚える。ニヒリズムを克服し、人生や世間、世界に対する意味性を奪還する真正面な心意気を感じる。構築的で複雑なサウンドアレンジを持つバンドだが、これぞリアルロックだという気がする。このようなインディーズのバンドが1位になるのは快挙だという論評も全く的が外れている。人のマインドが今、ポジティブなものを求めている。そんな要請に応えているのがモデストマウスなのだと思う。しかも音楽の外形を綾取る構成美は前作同様、素晴らしい。メジャーどころかXTCに対抗できる唯一のバンドかなと感じる位だ。緻密なサウンドメイク。構築的で立体的なサウンド。仕掛けをつくりテーマを際だたせる。作曲に特別な才能は感じないが、アレンジがずば抜けているのがこのバンドの特権だろう。しかもみんな上手い。アイザックの物語をメンバー全員で際だたせる。
ジョニーマーはいいバンドに拾われた。モリッシーよりも、マットジョンソンよりも共闘する価値のあるパフォーマー、アイザックブロックと今後も一緒にやって欲しい。

2007.8.3

 

コメント
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