今日、ある記事を見て驚きました。
あの、神奈川県相模原の障害者施設「津久井やまゆり園」で殺傷事件を起こし、死刑判決を受けた植松死刑囚が拘置所内で制作した作品が、今回東京都内で「死刑囚表現展」で展示されるようです。
「植松死刑囚が「作品」出展 都内で23日から「表現展」」
https://www.kanaloco.jp/news/social/article-274509.html
「死刑囚表現展2020」
https://www.tokyofree23.com/archives/event/%E6%AD%BB%E5%88%91%E5%9B%9A%E8%A1%A8%E7%8F%BE%E5%B1%952020
これは、死刑制度に一石を投げかける、死刑制度の廃止を訴えておられる方々が主催されているようですが、この展示会の開催やその趣旨等、様々な意見があると思います。
私は、こういう展示会があることを初めて知りました。(主に関東圏だと思います)
今回、その展示会のひとつとして、植松死刑囚の作品も展示されるということですが、内容的には、主に(上記記事から)「角2サイズの茶封筒4枚に書き連ねた「7項目の提案」など。「安楽死の法制化」「大麻合法化」「美容整形の推進」といった内容で、犯行数カ月前にトランプ米大統領候補(当時)に触発されて着想した独自の「政策」」とのこと。
記事内に、一部その”絵”も載っているが、はたしてこの展示会はどうなのだろう。
主催側の「死刑制度」の廃止についての考え方は、全く分からないわけではないですが、日本の死刑制度の元になっている法制度から、考えていかなければならないもので、これについては、また違う機会で意見を述べたいと思います。
今回思うことは、彼(植松死刑囚)の自分の犯した罪に対する考え方、反省等を考えると、この彼の実態をそのまま世間に出すことが、主催者側の意図と合っているのか?ということです。
確かに、様々な死刑囚がいると思いますが、自分自身の犯した罪に対する向き合い方は、被害者や被害者家族等を考えると、重要だと思います。
被害者家族・関係者にとっては、”死刑”でその気持ちが治まるものでもなく、中には生き続けて反省してほしいとか、死ぬまで被害者に対して償ってほしい・・・と思われる方もいると思います。
この事件では、彼自身が「死刑」を求めた結果になりましたが、その意味が、自身の行動(殺人・殺傷)が納得の上で、正当化しているような、そんな印象が強く感じられます。
そういう意味では、彼の作品は、被害者のことを思い、感じて作った作品ではなく、自身を正当化した作品になっているのでは・・・。
それを第三者が見て、「こういう考え方なのか」とか「こんな精神状況」なんだ・・・と思うことは、自由です。
ただ、本来「死刑制度」廃止を考えるならば、こういう場合は好ましくないのでは・・・?と考えます。
今回の彼の起こした事件については、もっと深く内容の検討やその意味・事件の本質等、考える必要があり、今 ここで彼の作品を見せることが、いいのか?という疑問があります。
一般の殺人事件ではなく、彼の言う「障害者」の排除等の考え方の元になるもの、そういう考え方に至る過程、世間の評価・判断等、簡単に過去の事件扱いにしないでほしいと思います。
こういう展示会を見に行かれる方もおられると思いますが、例えば、精神療法等を研究されている方には、確かにひとつの資料として重要かもしれません。また、興味本位(有名な死刑囚はどんな絵を描くのだ)という方もいると思います。
それは、あくまでも他人事だからですね。
私は、この展示会の近辺に在住していないため、おそらく行かないとは思いますが(近辺でも行かないと思います)、「死刑制度」に一石をと、単なる世間の興味本位的な部分が同居しており、特に今回の彼をその中に含めることが、はたしていいのかどうか?と考えます。
世の中には、いろいろな考え方の人がいるとは思います。
多様性を認めるという、最近の考え方には、全肯定はしませんが、もっと内容の精選ということも考える必要もあると思います・・・
あの、神奈川県相模原の障害者施設「津久井やまゆり園」で殺傷事件を起こし、死刑判決を受けた植松死刑囚が拘置所内で制作した作品が、今回東京都内で「死刑囚表現展」で展示されるようです。
「植松死刑囚が「作品」出展 都内で23日から「表現展」」
https://www.kanaloco.jp/news/social/article-274509.html
「死刑囚表現展2020」
https://www.tokyofree23.com/archives/event/%E6%AD%BB%E5%88%91%E5%9B%9A%E8%A1%A8%E7%8F%BE%E5%B1%952020
これは、死刑制度に一石を投げかける、死刑制度の廃止を訴えておられる方々が主催されているようですが、この展示会の開催やその趣旨等、様々な意見があると思います。
私は、こういう展示会があることを初めて知りました。(主に関東圏だと思います)
今回、その展示会のひとつとして、植松死刑囚の作品も展示されるということですが、内容的には、主に(上記記事から)「角2サイズの茶封筒4枚に書き連ねた「7項目の提案」など。「安楽死の法制化」「大麻合法化」「美容整形の推進」といった内容で、犯行数カ月前にトランプ米大統領候補(当時)に触発されて着想した独自の「政策」」とのこと。
記事内に、一部その”絵”も載っているが、はたしてこの展示会はどうなのだろう。
主催側の「死刑制度」の廃止についての考え方は、全く分からないわけではないですが、日本の死刑制度の元になっている法制度から、考えていかなければならないもので、これについては、また違う機会で意見を述べたいと思います。
今回思うことは、彼(植松死刑囚)の自分の犯した罪に対する考え方、反省等を考えると、この彼の実態をそのまま世間に出すことが、主催者側の意図と合っているのか?ということです。
確かに、様々な死刑囚がいると思いますが、自分自身の犯した罪に対する向き合い方は、被害者や被害者家族等を考えると、重要だと思います。
被害者家族・関係者にとっては、”死刑”でその気持ちが治まるものでもなく、中には生き続けて反省してほしいとか、死ぬまで被害者に対して償ってほしい・・・と思われる方もいると思います。
この事件では、彼自身が「死刑」を求めた結果になりましたが、その意味が、自身の行動(殺人・殺傷)が納得の上で、正当化しているような、そんな印象が強く感じられます。
そういう意味では、彼の作品は、被害者のことを思い、感じて作った作品ではなく、自身を正当化した作品になっているのでは・・・。
それを第三者が見て、「こういう考え方なのか」とか「こんな精神状況」なんだ・・・と思うことは、自由です。
ただ、本来「死刑制度」廃止を考えるならば、こういう場合は好ましくないのでは・・・?と考えます。
今回の彼の起こした事件については、もっと深く内容の検討やその意味・事件の本質等、考える必要があり、今 ここで彼の作品を見せることが、いいのか?という疑問があります。
一般の殺人事件ではなく、彼の言う「障害者」の排除等の考え方の元になるもの、そういう考え方に至る過程、世間の評価・判断等、簡単に過去の事件扱いにしないでほしいと思います。
こういう展示会を見に行かれる方もおられると思いますが、例えば、精神療法等を研究されている方には、確かにひとつの資料として重要かもしれません。また、興味本位(有名な死刑囚はどんな絵を描くのだ)という方もいると思います。
それは、あくまでも他人事だからですね。
私は、この展示会の近辺に在住していないため、おそらく行かないとは思いますが(近辺でも行かないと思います)、「死刑制度」に一石をと、単なる世間の興味本位的な部分が同居しており、特に今回の彼をその中に含めることが、はたしていいのかどうか?と考えます。
世の中には、いろいろな考え方の人がいるとは思います。
多様性を認めるという、最近の考え方には、全肯定はしませんが、もっと内容の精選ということも考える必要もあると思います・・・