知的障害者・精神障害者について考えよう

知的障害者施設、作業所やA型B型事業所の経験からの投稿にて、この業界に対する世間の理解を深めていきたいと思います。

社会の底辺を支えているのは誰・・・?

2017年06月19日 | Weblog
小学生に社会の仕組みを教える際、「世の中にはどんな仕事があるのでしょう?」という質問をします。(元小学校講師経験者です)


そして、いろいろ調べてみると、確かに様々な仕事が存在し、大人でも知らなかった世間の社会構造が、垣間見られます。




最近、今の仕事をしていて、そんなことを、ふと思いました。



今年度に入り、今勤務している共同作業所の納品の係になり、毎日様々な会社や工場等へ完成した品物を納品に行き、また新たな品物をもらってきます。(これが、今パートの仕事なのか?と、同じ作業所のメンバーさんに言われた部分でもありますが・・・非常に大事な仕事ですよね。)



その際に、各工場や会社等でその場所の責任者の方とも話するのですが、いろいろな部品や材料、基本的な製品等を見ながら、これが完成品になればどんな感じなのかな?と、メンバーさんとも話が盛り上がります。

例えば、電気製品の基本的な部品の組み立て(それ以前のものも多いです)や各お土産品のパッケージの組み立て(箱が主ですが)、最近では神社等のお守りの袋入れもしています。


最終的には、その品物の価格は決められるんでしょうが、ここで行っている作業の工賃は、ほんのわずかです。(1円に満たないものもあります)



私たちがこうして組み立てたものを、さらに次の工場や会社で仕上げて、最終的に完成品として、世の中に出回る訳です。


そう考えると、この工程での私たちの工賃は、適切なのか?と疑問は感じます。この基本作業がなかったら、この商品は世の中に出て行かない可能性もあります。誰かがこの工程をやる必要があるのですから・・・。



以前に、IT系の有名な方が、「底辺の仕事はコンピューターか海外の移民者に・・・」なんて、世間知らずの意見を言っていた人がいました。


それは、小学生でも考える仕事の多様さを知らないバカですが、納品から帰ると、その入っている箱が中国製(中国語で書いてある)のものが増えてきました。
過去には、中国製の品物が多くなった・・・と感じていたのですが、逆に私たちが、今中国の下請け的な仕事をしているのかな・・・という気がしました。


労働力という意味では、確かに中国の方や東南アジア系の方が多くおられると思いますが、むしろ障害者は、そのもっと下の部分で(低賃金で)働いていたのかも・・・という疑問を感じました。

現在の仕事内容や、工賃の安さ、障害者の得ている地位等、すべてが底辺層なのか・・・と。


そういう支援している私たち職員も、(福祉職は)底辺層の仕事とも言われます。
だから労働は厳しくても、給与は安い・・・



社会を支えているのは、政治家ではなく、こういった労働者(障害者も含めた)であることを、実感します。



・・・かといって、社会主義がいいかというと、それも問題ですが・・・。(若い頃はそれがいいと考えていた時期もありましたね。)



いろいろ考えてしまいます。さて、今日も朝から納品に行ってきます。パートですが・・・(笑)

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福祉系施設の就職フェア

2017年06月17日 | Weblog
今日、京都市内で「FUKUSHI就職フェア・福祉職場リレートーク」が開催されました。


いわゆる、基本は来季新卒大学生に対する福祉系施設の就職説明会ですね。今年は40施設が参加したようです。



元、勤務していた施設が参加していませんが、確かに新卒学生にとって魅力ある施設とは言えないですね(笑)。 
それは、私のような事件があったからと理由ではなく、福祉系の施設である本来の志もなく、ただ単に毎日を無駄に過ごしている施設だからです。周りの施設は、ほとんどが様々な方向性を模索し、前向きに取り組んでいる中、何も考えない怠慢な施設長や、自分の立場だけを守ることに専念しているような部長職が、のさばっている施設だからです。

まあ、悪口になっているので、これ以上はやめますが、グループホーム・ケアホーム、新たな仕事の模索、外部業者との連携、他の施設との連携、福祉業界の発展のための努力、職員の資質向上の努力・・・等々、各施設は様々な取り組みをされています。


しかし・・・
何の苦労もしていない施設長は、バカな管理職の助言で、下手な行動を起こしません。

すでに入所されている方々は、それでも現在の生活が充実していれば、それで問題ありませんが・・・


福祉業界は、日々変化しています。それを感じられずに、うちにこもっていれば、世間の流れにのらずに、確かに平々凡々の生活は出来るでしょうが・・・




この就職フェアに参加された学生さんは、口を揃えて「目的を持って進まれている施設には興味があります。」等言っています。


実際には、新規学生は、ほとんどが他の業種に流れていきますね。


未だに、労働の厳しさ、給与の安さ、時間的な制約等、他の業種にはない、マイナス点が多々あります。本当にこの業界(福祉)に燃えて、こういった人たちのために・・・といった志がない限り、こういう業種に就職するのは難しいですね。




前の職場も、以前なら元実習生や、地元との交流で知った(地元の若い方・・・小学生等)方々が、数年後にこの施設がいいと言って、勤務してくれるパターンが多くありました。
私たち職員も、それが本来の福祉施設への理解の深まり・・・と信じ、行ってきたわけですが、現在の施設長は、そんな歴史は知りませんし、気持ちもありません。

だから未だに、職員不足でなかなか新たに若い方が勤務してくれません(むしろ、中堅クラスが退職していきます)。


リストラされた方や、定年を迎えられた方が、ハローワークにて就職口を探して見つけた・・・という感じですね。


多くの友人から、未だに「求人広告」出してるね・・・と、笑われます。(私は全く関係ありませんが・・・)



福祉業界、今後も困難が待っていますね。余計に人材は大切にしなくては・・・と思うのですが。





先日、私の勤務している施設(共同作業所)で、メンバーの方と話していて、精神障害の方が多いので、元正規勤務されていた方も多く、現在の工賃の安さは嘆いておられますが、今回私の給与の話をすると、あまりの安さに驚かれました(同情されました)。

「あんなに走り回って(納品等?)、仕事頑張っていられるのに、こんだけなんですか?・・・」と。

「まあ、年齢も高い(すでに還暦)し、正規職員じゃあないし、あくまでもパートなんでね・・・」と、話をにごしておきましたが・・・。



私は、長年この業界に勤務してきたため、特にそういった感覚はありませんが(そんなもんだと思ってます)、一般的な業種に携わってきた方には、この業界の給与の安さは驚くことらしいですね。私も、長年の間に、感覚がマヒしてきたのかもしれません。















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サツマイモ作り・・・作業所の畑にて

2017年06月13日 | Weblog
私が勤務する共同作業所では、残念ながら特産のものがないため、他の作業所との催しを行う際に、出品する品物がありません。


この秋にも、例年好例のイベントがあるのですが、何かひとつでも・・・と考え、一応数年前から(毎年)利用者の保護者の方の畑をお借りして、サツマイモ作りをしています。


サツマイモの、通常のでは面白くない(売れ行きも考え)ので、人気のある品種である「安納芋」(と思います)を植えています。
※本来は、種子島の特産なので、現地ほどの味は期待出来ないとは思いますが・・・




先月、草ボウボウの畑を整地し、草刈りも行い、畝作りをして、準備をしました。(GW前後だったので、結構の暑さの中で、つらかったです・・・笑)


GW明けに、メンバーと一緒にイモの苗を植えに行きました。





そして、その後は天候を見ながら、毎週の水やりを経て、昨日草刈りも兼ねて、久々に参加しました。
状況は・・・

結構しっかりと苗が育っていました。








今回は、梅雨の中休み・・・ということで、天気もやや雲も見られる晴れ間でした。ちょうど気温も過ごしやすい感じでした(GW頃のほうが暑かったですね)。



メンバーの方のほうが、毎年のことなので、てきぱきと動いてくれました。慣れたものです。


ただ、休憩時にメンバーのかたと話していたのですが、今回もそうですが、毎回この畑に作業に来ているメンバーの平均年齢が、随分高いなあ・・・ということです。

今回もメンバー6名+職員2名でしたが、一番若い方が(職員も含め)48歳・・・、最高齢が61歳・・・笑

平均年齢は、50歳は超えています。



作業所には、若いメンバーも多数います(職員も同様)。しかし、こういう作業になると経験がものをいうのか?はたまた土を触ったり、畑作業を行うことや、この暑い天候の中で作業出来る体力があるのか・・・等を考えると、結局今のメンバーに落ち着いたようです。



不思議なものですね。年齢の高い人のほうが、暑さや少々の体力が必要な作業には強いようですね。(特にうちの作業所は・・・)




試みに、若い方(20歳代や30歳代前半)を参加させたところ、早々にダウンしたり、作業にならなかった・・・という感じだったそうです。

何が違うんでしょうね。




おそらく、収穫のときには、もっと若い方も参加すると思います。



メンバーの方の意見としては、普段 屋内での作業がほとんどなので、たまには外で身体を動かすのは楽しいようです。(女性の方は、日焼けに気を付けられるように)

私は、個人的には、草刈り等は経験上問題はないのですが(前の施設でも何度もやっていました)、確かに職員も若い方が率先してやってほしい気もします。



随分疲れました・・・笑  やっぱ歳ですね。
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友人の裁判公判が久々にありましたが・・・

2017年06月01日 | Weblog
この裁判・・・

内容的には、すでに2年は経過していると思いますが、一応様々な方面からの見方をされ、いろいろな資料が提出されたようです。


実質、前回の裁判長からの示唆で、原告側の子供の鑑定も行われ、(まあ、それが被告側にはあまりいい方向性ではなかったのですが)少しは裁判内容も深まった感じはありました。





今回、(昨年の夏以来になりますが)久々に公判が開かれ、傍聴に行ってきました。

当然、仕事はお休みをもらっています。(施設の所長には、現在までの経過を説明しました)




直前に、被告人である友人から、「今回の公判は書類整理的な事務手続きで終わる可能性が高い」旨を伝えられ、実際に裁判公判が始まると、弁護側検察側両方共、何の話もなく、裁判長が経過を簡単に説明し、次回への布石を述べられただけでした。


いつもは2時間は行われる公判でしたが、友人の事前の話通り、20分程度で終了。


こんな流れならば、双方(弁護士・検察・裁判官)で打ち合わせを行えばいい話なのでは・・・?と素人的に思いました。(全く傍聴席を無視した感じです)


おそらく、傍聴に来ている方も、(私のように)仕事を休んで来られている方もいると思います。内容のない公判なんて、開く意味は・・・?


次回は、この事件に関する医療側の見識を審議されるようですが(直接の医師ではありません)、おそらく検察側・原告側の有利な部分が多くなる予想です。



次回は珍しく早い展開で、12日なんですが、すでに今回休みをいただいているので、次回は傍聴参加出来ない可能性があります(小規模作業所なんで、職員数が少ない)。




ただ、この展開の早さは、検察側からの意向か、裁判所側の意向か分かりませんが、早くこの裁判を終わらせようという意図が感じられます。弁護側の準備が十分出来ないことがありますね。








それ以上に、今回の公判で異常に感じたことは、裁判官(3人おられました)が全員交代したことです。

確かに、裁判官も公務員であるため、異動等で交代もやむなきこともあるとは聞いています。しかし、その場合は、今までの裁判経過を考慮して、3人のうちの一人を残す等の処置をされるべきだと考えます。


特に今回の公判では、前回の裁判長からの示唆での鑑定結果があり(これは前回の投稿で書きましたが、弁護士や被告だけには伝えられていたようです)、それも結局、何もなかったかのように次の裁判官に引き継がれているようです。



裁判というものは、TV報道でもよくありますが、裁判長等の心証にも変化が生じることもあり、そのために様々な証言や証拠が提示されるはずですね。


今回、少しは明るい方向性が見え始めた感じもありました(まあ、鑑定結果が今一でしたが)。



裁判官が途中交代する・・・というのは、司法上全く問題はないのでしょうか?



世間での大きな事件は、あまりそういった傾向は見られない(まあ最高裁になると、国民審査があるため、簡単に交代は出来ないでしょうが)と思いますが、地方裁判所クラスだと、こういう事象は常に起こりうることなのかな?と大きな疑問が生じました。



もちろん、事前に交代の際に、今までの経過等、文書的にも口頭でも?引き継がれているとは思います。(もし事務処理だけだったら、腹が立ちますね)




今回の交代された裁判長は、今回の裁判内容で、証拠として挙げられていたDVD等の心証を左右するものは、一切見ないとの意向を示されました。(それは考え方の問題で、逆にすべての資料や証拠品・文書等、また証言等も含め、目を通しての(自身としての)心証を得てほしい部分もあります。

つまりは、今までの文書のみで判断する・・・という意味合いなりますね。(事務処理での裁判に・・・?)





裁判というのは、実際 当の本人(原告であろうと被告であろうと)人生を左右する事件なわけですね。

いくら裁判官が公務員とはいえ、簡単に異動や任期等で異動が行われるのは、一般の国民、裁判を真剣に争っている当事者からすれば、非常に小馬鹿にされたような印象を持ちました。


時間をかけて、証拠を集めたり、証人を探したり、事実を探り当てる努力は、そんな簡単なことで、軽く扱われるものなんでしょうか?



実際、被告人である友人も、こんな事件の当事者にされ(全く無実なのに)、すでに罰を受けているにも関わらず、再度法廷に立たされ、(検察側の)嘘の証言がなされ、原告側の子供は(すでに)施設を退所し、実家である(地元)関東圏へ戻っています。

もちろん、こういう事件のこともあり、受け入れてくれる施設は存在しないと思います。(今後もないかも・・・)




友人は、退職しても(元の法人・事業所が裁判を理由に)退職金も支払わってもらえず、苦しい生活を送っています。30年以上、彼が貢献してきた施設側は、全く冷たい対応をしています。
原告の子供が発した(嘘の言葉)「あの人が切ったんだ」(実際はそんな事実も、証拠もありません)が、人の人生を狂わせ、悲惨な人生を歩ませることになるとは・・・。



原告の子供は、成長して、自身の発した言葉の重さを感じるときは来るのでしょうか?保護者の方も、施設に入所出来た感謝の気持ち(地元で受け入れてもらえなかったのに)は全くなく、裁判を起こして、どうしたかったんでしょうね。



今回の件で、司法側の仕組みの疑問と同時に、現在の障害者の方の発言を重視する意味合いを、改めて考える機会になりました。









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