知的障害者・精神障害者について考えよう

知的障害者施設、作業所やA型B型事業所の経験からの投稿にて、この業界に対する世間の理解を深めていきたいと思います。

相模原事件の判決が出ました。

2020年03月17日 | Weblog
注目されていた「相模原事件」の判決が出ました。

少し省略しましたが、いわゆる約3年半前の平成28年7月に、相模原市にある知的障害者施設「津久井やまゆり園」で、元職員の植松聖容疑者が、入所者19名を殺人、また職員を含む26名に重軽傷を負わせた事件です


各ニュースサイト等を見れば、判決の内容は分かると思いますが、一応平均的な報道のNHKサイトを参考に・・・。

「障害者殺傷事件 植松聖被告に死刑判決」
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200316/k10012333681000.html


当時から、元入所支援施設職員を長らくやってきた私自身としては、無関心でいられない事件でした。


当時は、容疑者の考え方や言葉が、様々な形で伝えられてきましたが、私は、むしろ亡くなられた入所者の名前を出さない件について、意見を投稿した覚えがあります。

それについても、様々な意見が出ていましたが・・・(結局、名前が出されたのは、一部の方だけでしたね)


まず、容疑者の問題については、世間では大きくは捉えられませんが、こういう考え方の人は、潜在的に結構いると思います。

それは、私自身がこういう現場である入所支援施設で勤務してきたからこそ感じるもので、実際に直接知的障害者に関わっていない方なら、憶測でしか、話せないことも多く、今回の事件についても、「かわいそう」とか「残酷な事件」とかで、片付けられてしまってもいい感じもありました。

しかし、直接関わってきた部分で言えることは、世間の半分くらいの方の対応は、冷たいものです。


それはおそらく、理解しにくい部分が多い・・・そういうことだと思います。

実際、自身がこの仕事に関わらなかったら、同じ感覚だったかもしれません。



そりゃ、目の前で突然奇声を発したり、意味不明の行動を取られたら、誰でも驚きますし、嫌な気分になります。ましてや、理解をしようとする感覚のない方ならば、「なんだ、こいつ」感覚ですね。

保護者の中にも、一緒に住めない(様々な理由がありますが)ために、距離を置いている方もおられます。

逆に、頑張って理解しよう、共に歩もうとする方も、少なからずおられます。


正直、私も27年以上も勤務してきましたが、半分仕事、半分福祉という感じでやってきました。こういう障害者関係の施設や事業所で勤務する人は、「えらいね」「大変でしょう?」という言葉で片付けられてしまうことも多く、職員が皆、福祉精神を持って取り組んでいるわけではありません。

私のような「仕事半分」の人間も多いですね。


それでも、実際に現場で接していると、”情”も感じますし、ある意味の理解も出来ます(例えば、なぜこんな行動にできるのか?なぜ奇声を発するのか?」等は、経験で分かってきます)。

しかし、容疑者の彼のように、世の中から消えてもらおうなんて発想にはなりませんね。

ただ。世の中にはこういう人たちも、暮らしているんだな・・・という感じですね。


この裁判で、不思議に思ったことは、殺人事件で、なぜ精神的な部分(心身喪失)や責任能力を問うような弁護側の主張が出るのかが分かりません。(望むならば、この「刑法39条」について、もっと議論があってもいいと思うのですが・・・。)


この事件での容疑者は、自身で責任能力を認め、どんな判決がでても控訴しないことを伝えていたようですが、それでも弁護側が、上記のような弁護をして「無罪」だと言っているのを見ると、「?」の感覚に陥るのは、私だけではないと思います。

罪を認め、「減刑」を求めるなら分かりますが・・・


まあ、その議論は別の機会にしていきたいと思います。



一般の方の中には、こういった知的障害者の施設職員の中には、こんな考え方の人間はいるのかどうか?という部分ではないでしょうか?

それは、「否定」は出来ません。

それは、前半で書いたようなことですが、なる程度の期間、知的障害者(特に重度と言われる方々)と直接的に接してきた職員の考えは、実際は分かりませんが、ひとつだけ言えることは、一定期間一緒に過ごしてきたら、ある意味”情”はわきます。

こいつ「死んだらいいのに」とか「殺してやろう」という感情には、ほとんどの方は、至らないと思います。

ましてや、容疑者のように、計画を立ててまで殺人を試みようとは、思いません。


そこは、この容疑者の特異性は感じられるところですね。


私は、この判決は、当然と考えます。

なぜなら、障害者という枠組みは関係なく、人を19人も殺した人間が許されるわけはないのですから・・・


(そういう意味で、余計に「無罪」を主張した弁護側のほうが、よほど異常と思えるのですが・・・あくまでも私の個人的な考えです)



私は、人の命の尊さなんて、宗教的なことは言いませんが、どちらかというと、障害者も含め、人の生き方の問題は大きいと思います。どう生きるか?って重要ですね。

その意味では、いろいろ考えさせられる事件でした。



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