寒いから、家でおとなしくしていれば良いものを、
「ポスティング納め」とたぁ~ぼくんに乗って
なにわの年の瀬風景の取材である。
大阪の大晦日と言うと、やっぱり
「浪花の台所」黒門市場
である。
もうピークは過ぎたかな?
確かに人出は多いけど身動きとれない程じゃない。
なんか買おうかと思ったけど
アリオ八尾の方が安いわ。
「ポスティング納め」とたぁ~ぼくんに乗って
なにわの年の瀬風景の取材である。
大阪の大晦日と言うと、やっぱり
「浪花の台所」黒門市場
である。
もうピークは過ぎたかな?
確かに人出は多いけど身動きとれない程じゃない。
なんか買おうかと思ったけど
アリオ八尾の方が安いわ。
う~ん、大晦日は近畿全般で
「雪」
との予報。
我が八尾市のスポット予想では
午後には「湿った雪」が
「冷たい雨」に変わるみたい。
最悪やん!
お正月の買い物はもう済ませたので
後は家で暖かくして、うどんを食べながら
紅白を見て年越しでもええちゃーええんやけど、
今年は、一昨年行って結構良かった
長谷寺の「観音万灯会」に又行こうかしらん、
と企てていたのだ、
でもちょと辛いかな~
まあ、寒さには強い方なので
雨じゃあなく、雪なら行ってもいいんだけど。
吉例の近鉄八尾駅前の
「河内音頭でカウントダウン」
も冷たい雨なら、中止かも知れんし。
「雪」
との予報。
我が八尾市のスポット予想では
午後には「湿った雪」が
「冷たい雨」に変わるみたい。
最悪やん!
お正月の買い物はもう済ませたので
後は家で暖かくして、うどんを食べながら
紅白を見て年越しでもええちゃーええんやけど、
今年は、一昨年行って結構良かった
長谷寺の「観音万灯会」に又行こうかしらん、
と企てていたのだ、
でもちょと辛いかな~
まあ、寒さには強い方なので
雨じゃあなく、雪なら行ってもいいんだけど。
吉例の近鉄八尾駅前の
「河内音頭でカウントダウン」
も冷たい雨なら、中止かも知れんし。
海に行きたいと言ったあなた
たくさん泳ぎたいと言ったあなた
仕事が休めないと言ったら少し拗ねたあなた
友達と行ってくると言ったあなた
笑顔で喜んでいたあなた
いっぱい日焼けをしてくると言ったあなた
嬉しそうに出ていったあなた
夜に電話で一日を報告してきたあなた
海の美しさを語ったあなた
連絡がつかなくなったあなた
帰ってこないあなた
やっと帰ってきたあなた
真っ白になったあなた
あなたを抱き締めた僕。
たくさん泳ぎたいと言ったあなた
仕事が休めないと言ったら少し拗ねたあなた
友達と行ってくると言ったあなた
笑顔で喜んでいたあなた
いっぱい日焼けをしてくると言ったあなた
嬉しそうに出ていったあなた
夜に電話で一日を報告してきたあなた
海の美しさを語ったあなた
連絡がつかなくなったあなた
帰ってこないあなた
やっと帰ってきたあなた
真っ白になったあなた
あなたを抱き締めた僕。
外が真っ暗な闇なら
窓ガラスに映るのは車内の風景
つまり、幽霊は車内にいた。
では、
「近鉄奈良線の各駅停車の最終に乗って上本町まで」
で更に「近鉄花園駅」という
全国的には決してメジャーではない駅名が
わざわざ現わされている意味が説明つかない。
恐らく、近鉄奈良線列車暴走追突事故
俗に「花園事故」
と呼ばれている鉄道事故が絡んでいると思われる。

地元の方なら、河内花園駅の傍らにある
お地蔵様の事を御存知か思われる。
このお地蔵さまこそが、
死者49名、負傷者282名もの被害者を出した
「花園事故」の慰霊の為に建立されたものである。
1948年(昭和23年)3月31日
近鉄奈良線の奈良発上本町行き急行電車が、
生駒トンネルを走行中にブレーキが効かなくなり、
トンネル内からの下り坂を加速・暴走し、
70 - 80km/hで河内花園駅を発車しかけた前方の上本町行き普通電車に7
時51分または52分頃に追突した。
衝突した急行電車の各車は木造車であったために衝撃で大破し、
特に先頭車であったモ9は車体が半分以上前後の車両に食い込んで原形を留めず、
2両目以下も相互の連結部分を中心に大きな破損が発生した。
また、衝突された側の普通電車は鋼製車であったため大破は免れたが、
それでもモ9と衝突したモ307は運転台部分が潰れ、さ
らにモ9の台枠以下が床下に潜り込んで車体が大きく持ち上がるという、
凄惨な被害状況を呈した。
と伝えられる。
ただ、おじいさんの
「××。。。おまえ満州で死んだよな・・?」
との発言が、この戦後の混乱期に起きた事故と
どう関係があるのか?
の説明がすっきりしにのだが。
窓ガラスに映るのは車内の風景
つまり、幽霊は車内にいた。
では、
「近鉄奈良線の各駅停車の最終に乗って上本町まで」
で更に「近鉄花園駅」という
全国的には決してメジャーではない駅名が
わざわざ現わされている意味が説明つかない。
恐らく、近鉄奈良線列車暴走追突事故
俗に「花園事故」
と呼ばれている鉄道事故が絡んでいると思われる。

地元の方なら、河内花園駅の傍らにある
お地蔵様の事を御存知か思われる。
このお地蔵さまこそが、
死者49名、負傷者282名もの被害者を出した
「花園事故」の慰霊の為に建立されたものである。
1948年(昭和23年)3月31日
近鉄奈良線の奈良発上本町行き急行電車が、
生駒トンネルを走行中にブレーキが効かなくなり、
トンネル内からの下り坂を加速・暴走し、
70 - 80km/hで河内花園駅を発車しかけた前方の上本町行き普通電車に7
時51分または52分頃に追突した。
衝突した急行電車の各車は木造車であったために衝撃で大破し、
特に先頭車であったモ9は車体が半分以上前後の車両に食い込んで原形を留めず、
2両目以下も相互の連結部分を中心に大きな破損が発生した。
また、衝突された側の普通電車は鋼製車であったため大破は免れたが、
それでもモ9と衝突したモ307は運転台部分が潰れ、さ
らにモ9の台枠以下が床下に潜り込んで車体が大きく持ち上がるという、
凄惨な被害状況を呈した。
と伝えられる。
ただ、おじいさんの
「××。。。おまえ満州で死んだよな・・?」
との発言が、この戦後の混乱期に起きた事故と
どう関係があるのか?
の説明がすっきりしにのだが。