夕刊/金田ヒサ

THE RAMBLINGSのフロントマンが贈る漂流記

娯楽だけではない音楽

2011-03-17 | Weblog
何を書いても薄っぺらの綺麗事に思えてしまう今日この頃。

素直に。

ただ素直にと意識すると。

どうしても鼻につく事が増えていく。

君は東電や国に対しての怒りをおさえ明るく振る舞うも良し。

でもさ。

いつもそこまでだろ。

足元のボールばっか見て逆サイド見てないような。

例えばオウム真理教犯罪の始めがそうだったように。

当時Kさんに対しての偏見が皆同じ方向であったが故の悲劇。

一定の角度からしか物見をしないのは危険で怖いもんさ。

俺がヒネてると笑うなら笑え。


さて、この現況。

目を閉じる事でアバウトに許してしまっていないかね。

沈静化したら忘れてしまわないか?

安易に口走る自分を俯瞰して見れてるか?

こんな時だから明るく元気に暮らしましょう・・・か。

悪くないと思う。

落ち込んでいても何も始まらないってんだろ。

でも気持ちをそこにしか持ってけないのも如何なものか。

俺は何か違和感を感じてる。

正直まだそれが何なのか解っていない。

そう、俺は愚かだ。

自分を楽にするための見解は時に残酷なもんだよ。



19日の独演会~リビング・ライヴについて

停電の場合でも本当にライヴを演るのかと言った主旨の

メールや電話を個人的に何本かいただいた。

娯楽としてだけの音楽を演りに行くのではないから

P・Aシステムや照明の有無など二の次なんだ。

そこが少し通常のライヴとは勝手が違うんだよ。

娯楽だけでは終わらない音楽があっても良いだろ?

少なくとも今の俺はそう思っている。

連絡を貰った人達にはそう伝えたんだ。

これはあくまで俺個人の心のスタンスであって

リスナーのみんなは自分のスタンスで思うように

自由に音楽を楽しんでもらえたら嬉しく思います。

俺も音楽を難しく飾ろうなんて思っちゃいませんから。

勘違いならさぬよう。

通常のライヴに比べ環境面が整っていない点については

(音響や照明諸々。)

わざわざ来てくれるお客さんには申し訳ないと思ってます。

週末の独演会がジョアン+1という空間だからこそ

生音のみで演ることも可能な訳でジョアンのマスターも

俺の意を感じとってくれ開演に賛同してくれました。

多謝。

実際には停電になるか、お客さんが来てくれるかさえ

当日まで全く見当がつかない状態なんだけど

演りたいと感じた時には直感に従って動く。

まずはそこからやってみる。

チャージが払えない君も遠慮しないで聴きにおいでなさい。

その代わり義援金の箱に必ずワンコインを入れるように!

皆さんのご来場待ってます。

独演会~リビング・ライヴまであと2日。


photo/ライヴが無事終わったらまたここで寝るか俺?

ジョアンの簡易ベッド(笑)。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする