悲しみを背負ってしまったなら背負ったまま生きていこう。
(こう思えるには相当の時間が必要だったよ。)
深い悲しみは深い傷跡となり消えることがないとしてもだ。
だが内側から外側へ放電する事でプラスへと変換される時もある。
俺の場合における創作活動やライヴがその一部だと思う。
作品としての完成は悲しみの固定になってしまうのだけど
それはライヴという熱量を要する儀式で解かれ救われる時もある。
(まったく駄目な時だってあるけどね。)
悲しみは消えないし血に混じったとしても薄まらないだろう。
わかってるよ。
わかった上で生きてく。
悲しみのない人生なんてとウソぶきながらね。
(こう思えるには相当の時間が必要だったよ。)
深い悲しみは深い傷跡となり消えることがないとしてもだ。
だが内側から外側へ放電する事でプラスへと変換される時もある。
俺の場合における創作活動やライヴがその一部だと思う。
作品としての完成は悲しみの固定になってしまうのだけど
それはライヴという熱量を要する儀式で解かれ救われる時もある。
(まったく駄目な時だってあるけどね。)
悲しみは消えないし血に混じったとしても薄まらないだろう。
わかってるよ。
わかった上で生きてく。
悲しみのない人生なんてとウソぶきながらね。