走快エイトの気まぐれ人生

家族・スポーツ・スペシャルオリンピックス・教育・消防団・仕事・テレビ番組などの話題を、気ままに綴っていきます。

偉大な退職者の皆さん

2009年03月07日 08時51分37秒 | 職場20年度(横浜)
日付が変わって間もない約9時間前に書いたブログの続編です。会場でお会いした8名の退職者のうち、7名はかつてお世話になった方でした。ホテル宴会場では、まず歓談から始まり、正式に会が始まると、まずは退職者全員の記念写真が撮られ、一段高くなった架設ステージに上がり、一人ひとりの経歴紹介や本人からの短い挨拶があり、東京の局長さんから送る言葉が、退職者代表の方から感動的な挨拶と続きました。そして、バイキング方式の立食パーティーとなりました。

退職者の方は、40年前後の長い間、日本各地を転勤して回り、時には単身赴任も強いられ、頑張ってこられました。そして、二人の方は紹介では公表されませんでしたが、一度は生死を彷徨う大病をして現場に復帰された経歴をお持ちでした。多分出席者の多くは、口にこそ出さずとも御存知だったことでしょう。健康を保ち続けるのが一番立派ですが、大病で長期離脱からのカムバックというのも、大変なご苦労があったことでしょう。本当に、退職者の皆さん、ありがとうございました。
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合同送別会を初体験

2009年03月07日 00時19分16秒 | 職場20年度(横浜)
金曜は、仕事を1時間早退させてもらい、東京の竹橋駅隣にあるホテルへ向かい、退職者の合同送別会に出席してきました。ホテルの近くには、平成11・12年度に通勤していた東京の本部庁舎があったはずですので(現在は、品川に庁舎が移転しています)当時と同様に東京駅丸の内方面の出口から歩いて見に行きました。しかし、全く違う建物に生まれ変わっており、当時の面影はなく、時代の移り変わりを感じさせられました

送別会は、東京管内ということで、関東・甲信越地区で定年を迎える皆さんが主賓となり、対象者14名中8名の方がお見えになっていました。40年前後も働いて定年まで勤め上げるだけでも、本当に立派だと思います。会場に集まった方々の半分程度は過去にお世話になった先輩方であり、まるで職場の同窓会みたいでした。嬉しいことに、久し振りにお会いした大先輩たちが私の名前を覚えていてくれて、とても感激しました。

中には、23年振りの方もいらっしゃり、エイト君は今でも走っているのかい?と声をかけて頂きました。その方が知っている頃の私は、ホノルルマラソンへの初挑戦を目指し、朝昼晩と時間を見つけては走っていました。また、成田で知り合った同僚とも会えて、お互いに情報交換し合い、4月から私が異動する業務のことについても多少知識を得ることができて良かったです。実現可能ならば、いつかは私も後輩に送られたいものです。
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通勤のトラブル

2009年03月06日 05時33分19秒 | その他
5日の朝は、久し振りに通勤で大変な思いをさせられました。電車のトラブルが重なってしまったのです。まずは、慣れっこになった自然渋滞ならぬ自然遅延から始まりました。特に異常がないにもかかわらず、ダラダラと小さい遅れが積み重なっていき、中間点の東京で既に4分の遅れとなっていました。これくらいは、私の許容範囲となりましたが、そのあとがいけませんでした。

なんと、鶴見駅で人身事故のため、新川崎駅を出発してすぐに電車が止まってしまったのです。横須賀線だけでなく、東海道線も京浜東北線もすべてストップ。車内では、事故によるもので安全確認が出来るまでお待ちくださいといったアナウンスが耳にたこができるほど繰り返し聞かされました。そして、ようやく10分以上経って動き出したのは良かったのですが、糠喜びでした。

通常ですと、横浜駅で根岸方面へ向かう京浜東北線の電車に乗り換えるのですが、ここでまた問題発生です。横須賀線以外の線は依然ストップしたままだったのです。仕方なく、駅の構内アナウンスに従い、代行輸送のチケットを改札口でもらい、地下鉄「みなとみらい線」を利用することにしました。元町・中華街駅下車でダッシュし、9時丁度に職場に到着できました。ああシンド。
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横浜の職場から卒業

2009年03月05日 05時33分47秒 | 職場20年度(横浜)
日本全国の各学校・幼稚園・保育園では、卒業式の時期ですね。地方によっても違いますが、我が町では中学校が11日で、小学校が18日に卒業式が開催されます。私も横浜の職場から、もうすぐ卒業できることになり、少しずつその準備をしています。3日には、私の後任へ引継ぐ業務の説明文書を、上司に提出しました。この文書は、昨年の4月に横浜へ異動してきてから、少しずつ書き貯めてきた業務のポイントなどをまとめたものです。

通算すると18年(1+10+7)もお世話になった成田空港支局から、未知の世界である横浜支局で初めての業務を担当し、失敗を重ね身につけてきたものばかりです。自分は、定年で退職される前任者から、それほど詳しく引き継ぎをしてもらえなかったので、人一倍苦労しました。それでも、周りで助けてくる同僚や上司のお陰で、なんとか1年やってこれました。本当の失敗や、実は濡れ衣だったことの顛末書は、何度書かされたことか…。

横浜でのことは、今後も現在の仕事を続けていくために、きっと役立つ経験や人脈を手に入れられたと、プラスに考えるように心掛けています。ただ残念なことに、せっかく横浜へ通っているのに、石川町駅から職場への往復だけで、殆ど楽しい思いをしていないのです。そこで、8日(日)は休日ですが横浜見物に出かけ、楽しい思い出を作ってこようと計画しています。天気に恵まれたら良いのですが、最近続いている不順な天候が気になります。
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のどの痛み

2009年03月04日 05時28分55秒 | 健康管理
先週末から、ずっとのどが痛んでいます。風邪のバイ菌がのどにでもへばりついているのでしょうか? また、不順な天気で、しょっちゅう雨が降っているというのに、鼻水が出たり目が痒かったり、花粉症の症状もきついです。通常、雨の日は症状が殆どないはずですが、原因不明です。大事をとって仕事を休んでしまおうかとも思います。

しかし、来週の水曜は地元の中学卒業式に来賓で呼ばれているため、既に仕事を休む根回しをしており、むやみに余計な有給休暇を使うわけにもいきません。唾を飲み込む度に、のどが痛みます。また、大好きなコーヒーを飲む際も、熱いせいかのどが痛み、せっかくのコーヒーのおいしさが感じられません。週末までには治したいものです。
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肩 書

2009年03月03日 05時33分45秒 | 自分&家族
私は、春になると地元の学校から卒業式や入学式に招待されています。A小からは青少年相談員(会長)として、B小からは学校への協力者(グランド脇の山林を無償でB小に貸与中)として、S中からは元PTA会長として、それぞれ違う肩書により招待を受けているのです。走快エイトという一人の人物に対し、各校によって肩書が違うというのも不思議な気がします。

ちなみに、B小でもPTA会長を2年務めましたが、同校は元PTA会長を行事に招待する期間を退任後3年までと決めているそうです。S中に比べると、ちょっと寂しい気がします。今年は、次男がお世話になっているS中の卒業式のみ、仕事を休んで出席する予定です。PTA会長の任期中は、やたらに多くの肩書を押しつけられ大変でしたが、現在はだいぶ楽になりました。

消防団は、4月で20年目を迎えますが、新入団員が入らないため、もうしばらくは辞められそうもありません。しかし、青少年相談員はあと1年で定年のため、ようやく卒業することになります。ただ、心配なのは来春22年度から次男が進学する特別支援学校(昔の養護学校)高等部のPTA役員、地区の自治会役員、町の少年補導員や教育委員にされる可能性があるということです。
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同窓会幹事からの電話

2009年03月02日 05時41分56秒 | 同窓会
昨日、4月に開催されることになった小中学校の同窓会幹事さんから、電話がありました。行方不明者がいるので、力になって欲しいとのことでした。同窓会のお知らせと出欠の返事を確認するため、全ての同窓生に往復ハガキを送付したのだが、数名が郵便局から宛名不明で返却されてきたとか。そのうち4名については、私の良く知る方でしたので、幹事さんに次の通り説明しました。

AさんとBさんは、女房との年賀状のやりとりも続いているし、単に住所の書き誤りか引っ越したのであろうということで、私と女房で連絡をつけることにしました。しかし、C君とD君については、以前私と女房が幹事をした際も連絡がつかなかったため、無理かもしれない、どうしてもというなら、我が町に住む両名の家族を通じて連絡してもらったらどうかと伝えました。

いずれにせよ、少しでも幹事さんのお手伝いが出来て光栄に思えました。また、幹事さんが私を頼ってくれたのも、少しばかり嬉しかったです。何しろ、私と女房は同窓生同士で結ばれた、たった1組のカップルですから。前回は、同窓生が40歳になったのを記念し、ダブル成人式として盛大にホテルで開催しました。今回も、久し振りに同窓生に会えるとあって、再会が楽しみです。
写真は、中3の時の文化祭で体操部の主将として演技した際のものです。
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「おくりびと」の影響

2009年03月01日 11時25分44秒 | 自分&家族
アメリカでも認められた「おくりびと」という映画は、死に対する畏敬の念を改めて考えさせてくれた日本を代表する作品となりました。滝田洋二郎監督と言えば、「バッテリー」を始め多くの話題作を発表された素晴らしい方です。主人公を演じたモックンこと本木雅弘さんは、個人的に10数年前インドの旅とある本を通して納棺師について知ったそうです。共演されたベテラン俳優の山崎務さんは、確か「お葬式」という映画にも出演されていましたね。

私の女房も病院で働いている関係で、亡くなった患者さんに対する「エンゼルメイク」をしたことがあるそうです。その女房こそが、我が家でただ一人「おくりびと」を実際に鑑賞してきた人物です。私は、女房が記念に購入してきた映画のパンフレットを参考にこのブログを書いています。何度もテレビのニュースや娯楽番組で特集されているので、まるで自分が既に映画を見た気までしてきて、普段はあまり考えない死について、改めて考えてしまいました。

残念ながら、若い方が長生きするとは限らない時代に私たちは生きています。私の家族では、母が30年程前に病気で、父が2003年に頚椎損傷で、それぞれ死の淵を彷徨いました。幸い、手術と入院を経て奇跡的に生き延びています。2004年には、妻・長男・次男が乗った車が信号待ちしていたところ、メールを打ちながら運転中の愚かな青年の車に、ノーブレーキで後ろから追突され、車が大破する大事故に遭いました。運が悪ければ、3人とも死んでいたかもしれません。

私だって、高校3年の夏に腎臓の精密検査で入院した際、細胞を検体として私の身体から抽出時に原因不明の菌が侵入し、死ぬような苦しい経験をさせられたことがあるのです。また、土曜に見つけた両親のアルバムで祖父の葬式の写真に驚いたことがありました。それは、喪主を務めた父の年齢が、現在の私と同年齢だったということです。出来れば、寿命による両親の死や、病気・事故による家族の死とは永遠に関わりたくないものです。変な話、私がおくられる方になりたいものです。
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アルバムで見つけた!

2009年03月01日 09時05分53秒 | 自分&家族
いつも自主トレで走った後、帰宅してすぐ行うのが腰痛予防のストレッチです。昭和59年頃、あるランニング雑誌を通じ通販で購入したストレッチ用の器具があるのですが、納屋の室内に置いて未だに使い続けています。その室内には母屋に収めきれない雑誌や贈答品などがしまわれています。たまたま昨日の夕方、走後のストレッチ中に両親のアルバムを見つけ、興味深いことに気付きました。

ちょうど、私と同じくらいの年齢で、父が小中学校の同窓会に出席した写真がありました。日付は昭和60年4月でした。一緒の皆さんは、当時の父と同じ45歳間近ですが、時代の違いでしょうか、多くの方が私より老けて見えました。父の頭は殆ど白髪で、客観的に見ても現在の私の方が勝っている気がします。偶然ですが、4月に予定されている私の同窓会も同じホテルが会場であり、驚きました。

他にも、近所の風景写真がありました。昭和50年代に住宅地の造成で変わってしまう直前の風景でした。現在、その住宅地に住んでいる皆さんがご覧になれば、きっと信じられないと思うほどのド田舎で、田園風景が広がっていました。当時は、特に理由もなく撮影した風景写真でしょうが、今となっては、昔の名残を感じさせる、貴重な写真だと思います。早速スキャンしてパソコンに取り込みました。
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