走快エイトの気まぐれ人生

家族・スポーツ・スペシャルオリンピックス・教育・消防団・仕事・テレビ番組などの話題を、気ままに綴っていきます。

久々のバラエティー番組視聴

2013年09月28日 22時21分18秒 | 自分&家族
最近、夕食後は殆ど一人きりでPC三昧で、テレビは消しています。今晩は、久々にテレビのバラエティー番組を女房と一緒に楽しみました。「有吉反省○2時間○P」は、見始めたらついつい最後まで引っ張られてしまいました。当然ながら、ゲラゲラ笑いながらではPCがいじれません。たまには、頭をからっぽにして、ゲラゲラ笑うのもストレス発散になりますね。9月28日(土)に最終回を迎えたばかりの「あまちゃん」のパロディー・物真似芸人たちが出演していました。あの人たちは、これからどうするのかと心配した私がアホでした。しっかり今年いっぱいは「あまちゃん」ネタで頑張るそうです。これぞ芸人魂?なのでしょうか。写真は、実際に女房と出かけた東北の旅の途中に、盛岡駅構内で7月に撮影したものです。結婚25周年記念で、私が旅先を選びました。もちろん「あまちゃん」にはまってしまったこともありますが、やはり大震災の後、一度は訪ねてみたいと思っていたためです。被災地である宮古市付近に行き、語り部の方から話を聞かされ、合掌してきました。
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腰痛に関わる悲しい想い出

2013年09月21日 08時46分58秒 | 健康管理
大災害をもたらしていった台風18号が過ぎてからというもの、めっきり涼しくなって秋っぽくなってきました。先日の仲秋の名月は、天候にも恵まれ、大勢の方が夜空を見上げたことでしょうね。私は、9キロの月見ランを楽しみました。専業農家をしている親戚が、例年通りお彼岸でお墓詣りに来て、今年収穫した新米30kgをくださいました。一生懸命、田んぼで作ってくれたお米をいただけ、本当にありがたいです。恥ずかしながら、腰痛持ちの私には、たとえ30kgの物を持てても、あとで3~4日続く腰痛地獄が待っていますので、決して無理はしないように心掛けています。そこで、今回は、力持ちの次男18歳に新米を所定の場所へ移動してもらいました。

私の腰痛は、よく考えて見たら、中学で体操をはじめてからのお付き合いかもしれないと思えてきました。床運動が大好きで、バク転やバク宙をしたり、逆立ちしながら体育館の中を一周したり、柔軟性に自信があったので、女性の平均台で行う身体を反らしてブリッジしながら回転することも出来ました。同じ年齢のコマネチ(当時ルーマニア、現在はアメリカ国籍)がモントリオール五輪で10点満点を何度も出すような素晴らしい演技をテレビで見て刺激され、自分もいつかはオリンピック選手になってみたいとさえ思ったほどです。練習を頑張っても、体操には怪我がつきもので、しょっちゅう身体のどこかを故障していました。多分、腰も痛めたことがあります。

体操は、結局のところ高3まで続けましたが、きちんと指導できる顧問の先生や先輩方に教えて頂けたのは中1の1年間だけで、あとは体操の本を見ながら自己流でせざるを得ませんでした。一応は部活動をするために顧問の先生もいましたが、全く体操の経験や知識もない先生ばかりであり、私の夢は中1の3学期末に、体操部の顧問の先生が転勤していってしまったことで終わりました。それでも、なぜ体操を続けたのかといえば、普通の人ができないような難しい技をすることが楽しかったのだと思います。ちなみに、私の場合は自己流でしたから、2回宙返りや2回捻りのような技も出来ませんでした。鉄棒では、最後に宙返りをして着地することさえ無理でした。

高校卒業後は、体操を続ける環境も無くなり、今度は走る事に夢中になりました。当時は、ジョギングがアメリカから日本に伝わり、ブームになりました。練習をすれば、どんどん長い距離が走れるようになり、タイムも良くなっていくのが嬉しくて、つい自分の体力以上に走り過ぎてしまう失敗を何度もおかしました。膝や腰の故障がついてまわり、長男が生まれた平成元年には特に腰痛がひどく、定期的に鍼灸医院にも通い治療を受けていましたので、長男を抱っこすることもなるべく控えるようにしました。かわいい赤ちゃんを抱っこ出来ない父親は、寂しかったです。その分、スキンシップはとりましてけどね。その長男が、来月には24歳になるとは、時の流れは速いものです。(写真は、1983年の香港マラソンでの記念写真です。ランナーズ主催のマラソンツアーでしたから、月刊誌のランナーズにも掲載してもらえました。)
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幹事の意地、そして幹事冥利

2013年09月14日 08時11分42秒 | 同窓会
同窓会の案内を往復はがきで80名の旧友たちに送ったところ、残念なことに10名も宛先不明ではがきが戻ってきてしまいました。10年前の名簿に記載された住所を書いて送ったのですが、既に転居されて1年以上経過していたということになりますね。

10名の内のひとり、A君は卒業アルバムで調べた実家に電話したところ、不通になっていました。普通はこれでアウト、お手上げです。でも、往生際の悪い私は、諦めません。4年前の会の幹事だったBさんが、A君の実家のご近所だったことを思い出し、Bさんにメールで尋ねました。

すると、翌日Bさんから返信があり、なんとA君のお母さんに実際に会ったとのこと。連絡先が分かり、住所と電話番号を教えてくれました。Bさんの誠実な行動には、本当に頭が下がります。地域社会に根付いて生きているって感じですね。数名は、実家に連絡がつきました。

でも、今のご時世では仕方ないのでしょうが、どなたも同窓生の新しい連絡先を教えてくれません。いくら、私が誠意を持って説明しても、信じてもらえないのでしょうか?仕方なく、殆どの方は、私が実家を地図で調べ訪ねて行き、戻ってきた往復はがきをご家族に手渡しています。

いくら苦労しても構いません。同窓会当日に、一人でも多くの仲間が集まれたら、それでOKです。もし、実家まではがきを届けた方が実際に同窓会に参加してくれたら、幹事冥利に尽きますね。3連休を利用して、戻ってきたはがきをその方の実家へ郵便配達してきます。
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同窓会の開催に向けて

2013年09月03日 22時20分08秒 | 自分&家族
これまで何度も小・中学校同窓会の幹事を務めてきましたが、前回が平成11年でしたから、今回は14年振りの幹事となります。8月初めに4名の幹事で集まり顔合わせをし、8月終わりに2回目の幹事打合せでは幹事経験者で町内に残っている仲間4名を加え、具体的なことまで決めることができました。そこで、マメな私は自分で買って出た仕事の手始めとして、今夜ようやく案内状の印刷に取り掛かりました。往復はがきの購入は、今日が仕事の休みだった同じく幹事の女房に頼みました。

私たちの学年は、ずっと小学1年生から中学卒業まで2クラスでした。我が故郷の酒々井(しすい)町は人口が少なく、当時は小・中学校が1校ずつしかなかったので、殆んどの仲間は、エスカレーター式に酒々井小から酒々井中に進学しました。全員で80名に欠けていたうえ、早々と恩師より先に天国に旅立ってしまった仲間も数名いるので、準備している幹事としても、複雑な気持ちになってしまいます。

写真は、40歳で開催された同窓会の時のもので、この時は出席率がとっても高くて、盛り上がりました。幹事さんは4次会まで付き合って、大変でしたでしょうね。私と女房は、この時は幹事を免れていたので、気を許して楽しめました。ホテルで1次会・2次会をしたのですが、送迎バスで酒々井町に戻ってから、3次会・4次会と続き、幹事は大変でしたでしょうね。ちなみに、今回は1次会のことしか考えていません。2次会でカラオケに行きたい方は、開催場所のすぐ近くの店で歌えますので、ご自由に!
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