3番目の子が2年前に高校を卒業した時点で、学校とは縁が切れてしまったかもしれないと思っていましたが、幸いにもOB会の広報担当を2年続けることができました。そして、今春にそれが終わると同時に長女が特別支援学校へ就職。また、今年度は運命とも思える人事がありました。それは、私が3年間にわたり地元の中学校でPTA会長を務めた際にお世話になった校長と教頭が、久々に我が町に戻ってきたのです。元校長は教育長として、元教頭は中学の校長としてです。こんな巡り合わせがあれば、私としては黙っていられませんので、何も肩書はありませんが、教育委員会に挨拶にいこうと思っています。写真は、地元の中学校に設置されている記念碑です。確か、私が中学に入った時にお世話になった校長が関わっているものだと思います。
11月28日は仕事が休みでしたので、朝から女房の命令で部屋の片付けをさせられています。これは、私にとって強制労働とか何かしらの罰を受けている気分になります。(笑) とはいっても、書類整理をしながらPTA会長時代に収集した懐かしい書類や、自分で作成した講演レポートなどを読みふけり、なかなか作業が捗(はかど)りません。
写真は、学校の先生が毎年発行していた文集です。当時は、単に優秀な作品が掲載されていると思うくらいでしたが、38年後の現在では宝物のように貴重な資料だと思えます。表紙の写真からは、新校舎が建設中だったと分かります。当時の私は5年生であり、6年生の時に新校舎で最後の小学校生活を送ったことが、昨日の事のように記憶が蘇ってきました。
当時の世相を映しだしたような編集後記が、担当の先生により書かれていましたので、ご紹介します。『石油不足、紙不足、物の値段が、どんどん上がって、皆さんの学用品も、高くなりましたね。でも、ノートを使わなくても、鉛筆がたくさんなくても、勉強はできます。物を見る目、考える心、やろうとする気持ち、丈夫な体、これが勉強のもとです。これは使えば使うほど増えていきます。春の気配が感じられます。あしの芽といっしょにのびていきましょう。』
写真は、学校の先生が毎年発行していた文集です。当時は、単に優秀な作品が掲載されていると思うくらいでしたが、38年後の現在では宝物のように貴重な資料だと思えます。表紙の写真からは、新校舎が建設中だったと分かります。当時の私は5年生であり、6年生の時に新校舎で最後の小学校生活を送ったことが、昨日の事のように記憶が蘇ってきました。
当時の世相を映しだしたような編集後記が、担当の先生により書かれていましたので、ご紹介します。『石油不足、紙不足、物の値段が、どんどん上がって、皆さんの学用品も、高くなりましたね。でも、ノートを使わなくても、鉛筆がたくさんなくても、勉強はできます。物を見る目、考える心、やろうとする気持ち、丈夫な体、これが勉強のもとです。これは使えば使うほど増えていきます。春の気配が感じられます。あしの芽といっしょにのびていきましょう。』
19日(火)私が夜勤で不在中の我が家に、地元A小のH校長先生がいらっしゃって、学校の評価委員への就任依頼がありました。我が家は、A小に無償で山林を教育利用のため貸与していることから、A小では私の父が「大(おお)ちゃん山の先生」と代々引き継がれていることが理由のようでした。父が無理なら私では如何とH校長が話したため、女房からメールで連絡がありました。
そこで、20日(水)夜勤から帰る途中にA小へ寄り、校長先生と話をしてきました。A小は、昭和57年にオープンした町の2番目の小学校で、私の3人の子がお世話に成り、私自身も平成10・11年度にPTA会長を務めたご縁のある学校でした。私は22年度に町の教育委員会を評価する評価委員会の代表を務めていましたので、再び町からその大役を依頼される可能性が高いです。
そこで、H校長に教育委員会と調整して欲しいとお願いし、電話してもらった結果、23年度も町では私に大役を依頼する予定と判明しました。一人で両方を兼務することは差し支えないとのことでしたが、それでは会議出席の数が増して本業に差し支える旨を説明し、A小の方はお断りすることに。個人的には、教育委員会の依頼を断り、A小の方を優先したかったのですが、それは無理でした。
昼休み中にA小を訪れ、校長室で校長先生と二人きりで話せたのは15分程度でしたが、とても有意義な一時を過ごせました。H校長は、教員生活を始めたのが私の母校であるB小だったそうです。定年まであと2年、できれば想い出深い我が町の小学校で終わりたいと仰っていました。隣町にお住いの方なのに、我が町をいかに愛しているか話して下さり、聞いていて嬉しかったです。
そこで、20日(水)夜勤から帰る途中にA小へ寄り、校長先生と話をしてきました。A小は、昭和57年にオープンした町の2番目の小学校で、私の3人の子がお世話に成り、私自身も平成10・11年度にPTA会長を務めたご縁のある学校でした。私は22年度に町の教育委員会を評価する評価委員会の代表を務めていましたので、再び町からその大役を依頼される可能性が高いです。
そこで、H校長に教育委員会と調整して欲しいとお願いし、電話してもらった結果、23年度も町では私に大役を依頼する予定と判明しました。一人で両方を兼務することは差し支えないとのことでしたが、それでは会議出席の数が増して本業に差し支える旨を説明し、A小の方はお断りすることに。個人的には、教育委員会の依頼を断り、A小の方を優先したかったのですが、それは無理でした。
昼休み中にA小を訪れ、校長室で校長先生と二人きりで話せたのは15分程度でしたが、とても有意義な一時を過ごせました。H校長は、教員生活を始めたのが私の母校であるB小だったそうです。定年まであと2年、できれば想い出深い我が町の小学校で終わりたいと仰っていました。隣町にお住いの方なのに、我が町をいかに愛しているか話して下さり、聞いていて嬉しかったです。
ようやく19日から始まった研修も今日で終わり、お米1俵くらい入っているのではないかと思えるような重い荷物を持って、無事に帰宅しました。実は、28日には次男の通う高校で、今日は次男が卒業したばかりの地元中学校で、それぞれPTA総会がありました。高校の方は、入学式の際にクラス理事に選らばれたことから、私の代役で女房が出席しました。
中学の方は、前PTA会長の義兄に「歓送迎会だけでも、一緒に参加しませんか。」と誘われましたが、遠慮しました。3月末で異動してしまったA先生と、久し振りに会うことが出来るので、無理しても参加したかったのですが、残念です。中学校には、弟の娘二人が通っていますが、今後は行事に元PTA会長で呼ばれるくらいしか行くこともなさそうです。
中学の方は、前PTA会長の義兄に「歓送迎会だけでも、一緒に参加しませんか。」と誘われましたが、遠慮しました。3月末で異動してしまったA先生と、久し振りに会うことが出来るので、無理しても参加したかったのですが、残念です。中学校には、弟の娘二人が通っていますが、今後は行事に元PTA会長で呼ばれるくらいしか行くこともなさそうです。
8日の入学式直後にPTA役員の選考があり、クラスの理事を務めることになりました。最初の仕事は連絡網を作ることだそうで、集まった保護者全員に氏名・電話番号・メールアドレスなどを紙に書いてもらい、自宅に持ち帰り、休日にパソコンを使って連絡網を作り始めました。入学式のパンフレットに記載されていた新入生の氏名も参考にしました。
自由な形式で良いと言われたのですが…字体は明朝体、ゴシック体などでどれが良いか?字の大きさは、通常使用している12ポイントで良いか?住所を書いていない人がいる。メールアドレスに書かれたアルファベットのnとh、oと数字の0、スペースが入っているのかどうか区別がつかない。ハイフンの種類は?名前に読み仮名をつけるかどうか?
仕方なく、試行錯誤しながら数種類の連絡網を作成してみて、女房に見てもらいました。そして、最も見栄えが良いものを子どもにもたせて、担任の先生に見てもらい、最終的にはクラスメイトを通じてコピーを保護者に見せて間違いないか確認してもらい、数日後に私の手元に戻ってきた時点で、イラストなどをつけて加工し完成させることにしました。
自由な形式で良いと言われたのですが…字体は明朝体、ゴシック体などでどれが良いか?字の大きさは、通常使用している12ポイントで良いか?住所を書いていない人がいる。メールアドレスに書かれたアルファベットのnとh、oと数字の0、スペースが入っているのかどうか区別がつかない。ハイフンの種類は?名前に読み仮名をつけるかどうか?
仕方なく、試行錯誤しながら数種類の連絡網を作成してみて、女房に見てもらいました。そして、最も見栄えが良いものを子どもにもたせて、担任の先生に見てもらい、最終的にはクラスメイトを通じてコピーを保護者に見せて間違いないか確認してもらい、数日後に私の手元に戻ってきた時点で、イラストなどをつけて加工し完成させることにしました。
今日は、異動による時間調整のため日勤でしたが、有給休暇を取って休みました。庶務担当者の話では、元々4週間に1度もらえる時間調整で休日に当たっていたそうです。せっかく休めたので、地元小学校の入学式へ来賓で出かけてきました。昨日は姪(弟の次女)の中学校入学式で、今日は甥(弟の長男)の小学校入学式、そして明日は我が次男の高校入学式と3連続になります。
幼い子供たちは、とても初々(ういうい)しく見えました。新入生は107名ですが、新興住宅地に引っ越してきた家庭の子が半数以上を占めているのには驚きました。ちなみに、私の住んでいる地区の子はたった2名です。今年の式では、「2年生からの歓迎のことば」として、2年生が全員で座っている新入生を囲み、「大きなカブ」の寸劇をミュージカルのようにして行いました。
これまで、10回程度は地元小学校の入学式に出席してきましたが、このような試みは初めてであり、とても感動しました。1年経てば、あんなに立派な寸劇ができるようになるのかと、列席の保護者や来賓は感じたことでしょう。来賓席ではカメラ撮影が出来ないため、寸劇の様子をご紹介できず残念です。その代り、桜が満開で見事な風景の、校舎周辺の写真を掲載しました。
幼い子供たちは、とても初々(ういうい)しく見えました。新入生は107名ですが、新興住宅地に引っ越してきた家庭の子が半数以上を占めているのには驚きました。ちなみに、私の住んでいる地区の子はたった2名です。今年の式では、「2年生からの歓迎のことば」として、2年生が全員で座っている新入生を囲み、「大きなカブ」の寸劇をミュージカルのようにして行いました。
これまで、10回程度は地元小学校の入学式に出席してきましたが、このような試みは初めてであり、とても感動しました。1年経てば、あんなに立派な寸劇ができるようになるのかと、列席の保護者や来賓は感じたことでしょう。来賓席ではカメラ撮影が出来ないため、寸劇の様子をご紹介できず残念です。その代り、桜が満開で見事な風景の、校舎周辺の写真を掲載しました。
今年の入学式は、天気にも恵まれたうえに桜の花が満開で、とても印象深いものでした。来賓席は体育館のステージ上のため、さすがに写真撮影は無理なので、式が始まる前の風景をカメラに収めておきました。偶然にも、先日地元の小学校を卒業した弟の次女が、1組になったために最前列に座っていたので、表情が来賓席から手に取るように見ることが出来て良かったです。新入生は、皆が緊張していて、座りながらの礼の仕方もぎこちない感じでした。
3月に卒業して行った生徒数と、ちょうど同じ数だけ新入生が入ってきたそうです。初めての学生服でフレッシュな感じがするものの、女生徒のリボンの色が紺で少し違和感がありました。私が学生時代もそうでしたが、伝統的に1年が赤・2年が緑・3年が紺と決まっていたためです。22年度からは、校則が変わったようです。来賓席で隣りに座った方は、私が地元小学校のPTA会長をした際の前任者でしたので、気軽に話せて会話がはずみました。
3月に卒業して行った生徒数と、ちょうど同じ数だけ新入生が入ってきたそうです。初めての学生服でフレッシュな感じがするものの、女生徒のリボンの色が紺で少し違和感がありました。私が学生時代もそうでしたが、伝統的に1年が赤・2年が緑・3年が紺と決まっていたためです。22年度からは、校則が変わったようです。来賓席で隣りに座った方は、私が地元小学校のPTA会長をした際の前任者でしたので、気軽に話せて会話がはずみました。
今日は、姪っ子の卒業式に来賓で出席してきました。我が子も3人がお世話になったA小は、平成10・11年度に私自身が2年間PTA会長を務めたり、長男の卒業式で保護者代表の挨拶をしたりした想い出があります。先日の地元中学校の卒業式とは違い、児童数も少なく体育館も狭く、こじんまりとした式でしたが、とても感動しました。(写真は以前のものです。)
弟の姉妹は、二人とも幼稚園の頃からピアノを続けており、先日は姉が中学校で、今日は妹が小学校で、卒業式の中で歌われる曲のピアノ演奏をしていました。これって、とても名誉なことですね。私は、来賓席にいましたので、カメラも使えず、いいアングルで姪っ子の写真が撮れたのに、心の中でシャッターを押すだけとなりました。校歌合唱では、涙が出そうでした。
PTA会長当時から数えると、一体どれだけたくさん校歌を歌ったことか。素敵なメロディーと曲のため、初めて聴いてすぐに気に入ってしまいました。校歌を聴くたびに、PTA会長時代や小学校時代の子どもたちの想い出が蘇ってきて、つい涙もろくなってしまいます。今日も、暗記して歌えるはずでしたが、感動で声が殆んど出せませんでした。
本来ですと、今日は1日じゅう有給休暇を利用し休みだったところ、今夜の夜勤当番をする職員がいないことから、私が午後から出勤して夜勤をすることになりました。このブログを書いて投稿し、昼食を済ましたら出勤です。実は、4月からインドネシアへ単身赴任される仲間の壮行会が、今夜開催されるのですが、出席できなくて、とても残念です。
弟の姉妹は、二人とも幼稚園の頃からピアノを続けており、先日は姉が中学校で、今日は妹が小学校で、卒業式の中で歌われる曲のピアノ演奏をしていました。これって、とても名誉なことですね。私は、来賓席にいましたので、カメラも使えず、いいアングルで姪っ子の写真が撮れたのに、心の中でシャッターを押すだけとなりました。校歌合唱では、涙が出そうでした。
PTA会長当時から数えると、一体どれだけたくさん校歌を歌ったことか。素敵なメロディーと曲のため、初めて聴いてすぐに気に入ってしまいました。校歌を聴くたびに、PTA会長時代や小学校時代の子どもたちの想い出が蘇ってきて、つい涙もろくなってしまいます。今日も、暗記して歌えるはずでしたが、感動で声が殆んど出せませんでした。
本来ですと、今日は1日じゅう有給休暇を利用し休みだったところ、今夜の夜勤当番をする職員がいないことから、私が午後から出勤して夜勤をすることになりました。このブログを書いて投稿し、昼食を済ましたら出勤です。実は、4月からインドネシアへ単身赴任される仲間の壮行会が、今夜開催されるのですが、出席できなくて、とても残念です。
今春は、私にとって卒業式のオンパレードです。9日に高校生の長女の式があり、女房が出席してきました。11日の今日は、中学生の次男の式ですから、夫婦揃って出席しました。18日は、近所に住む小学生の姪(弟の次女)の式で、私は青少年相談員会長として来賓で出席します。19日は、大学生の姪(妹の長女)が就職も内定し、社会に羽ばたいていきます。この日は私も女房も仕事のため、私の両親が晴れ着を見せにくる姪と実の娘(私の妹)と自宅でいきあいます。
そして、最後になります4月17日は、私自身の卒業式?みたいな行事があります。平成7年10月から、約15年間にわたって千葉県知事から委嘱をうけて活動してきた「青少年相談員」の委嘱式です。15年前は沼田知事でしたが、堂本→森田と知事が変わりました。これまでは、あらたに委嘱を受けていましたが、今回は年齢の問題で更新出来ないため、卒業と言う事になります。当日の夕方は、送迎バスで成田市内の料亭に行き、懇親会が予定されており楽しみです。
今日の卒業式で、印象に残ったことを二つご紹介します。まずは精勤賞受賞者が161人中で43名もいたことです。女房の兄の次男も、その一人でした。そのうえ、小学校から9年間の精勤者が4名もいたのには、驚きました。本人だけでなく、保護者の努力の結晶ですね。次男と、幼稚園の3年保育時代から一緒だった生徒は、もう自分の子みたいに親近感を持ちました。合唱は、いつもながら見事なハーモニーでした。地元中学校の伝統とさえ言えると思います。
そして、最後になります4月17日は、私自身の卒業式?みたいな行事があります。平成7年10月から、約15年間にわたって千葉県知事から委嘱をうけて活動してきた「青少年相談員」の委嘱式です。15年前は沼田知事でしたが、堂本→森田と知事が変わりました。これまでは、あらたに委嘱を受けていましたが、今回は年齢の問題で更新出来ないため、卒業と言う事になります。当日の夕方は、送迎バスで成田市内の料亭に行き、懇親会が予定されており楽しみです。
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昨日は、次男にとって、9回目の一部会小中合同学習発表会への参加となりました。この行事は、二つの市町村が合同で開催しているもので、小・中学校の特別支援学級に通う全ての児童・生徒による学習発表会です。小学1年生から参加してきた次男は、とうとう中学3年で卒業生として在校生から送られる立場となりました。最後の発表は、詩の群読とリコーダーの演奏をクラスメイトと共に立派に演じ切りました。
私は毎回参加している訳ではありませんので、詳しい事情は分かりませんが、今回は同じ校区にある小・中学校の合同発表が殆んどでした。つまり、一つの学校だけでの発表は数えるほどしかありませんでした。元々特別支援学級に入っている子の数が少ない・新型インフルエンザの流行で練習が思うように出来なかった・9時過ぎから12時半までという時間の制約上仕方ないなど、様々な事情があるのでしょう。
障碍(しょうがい)の重い子にとっては、ステージで人前に立つだけでも、大変です。練習どおり上手く発表できなかった子も多かったことでしょうが、皆の懸命に取り組んでいる姿に、会場の人たち(当事者である児童・生徒、担任の先生方や保護者、教育関係者など)は感動していたようです。私は、次男のこれまでの成長を振り返りながら見ていたのですが、時々感傷的になって涙が出てきてしまいました。
各校の児童・生徒による発表が終わると、卒業生を送る会となりました。かつて小6だった次男が、小学校時代にお世話になった中3の男子卒業生に花束をあげたシーンを思い出しました。今回は、各校の卒業生がステージに並び、一人ずつ感想や将来の希望などを述べ、在校生代表からの送る言葉があっただけで、在校生からの花束贈呈はなく残念でした。そして、卒業生の親代表で私があいさつをしてきました。
私は毎回参加している訳ではありませんので、詳しい事情は分かりませんが、今回は同じ校区にある小・中学校の合同発表が殆んどでした。つまり、一つの学校だけでの発表は数えるほどしかありませんでした。元々特別支援学級に入っている子の数が少ない・新型インフルエンザの流行で練習が思うように出来なかった・9時過ぎから12時半までという時間の制約上仕方ないなど、様々な事情があるのでしょう。
障碍(しょうがい)の重い子にとっては、ステージで人前に立つだけでも、大変です。練習どおり上手く発表できなかった子も多かったことでしょうが、皆の懸命に取り組んでいる姿に、会場の人たち(当事者である児童・生徒、担任の先生方や保護者、教育関係者など)は感動していたようです。私は、次男のこれまでの成長を振り返りながら見ていたのですが、時々感傷的になって涙が出てきてしまいました。
各校の児童・生徒による発表が終わると、卒業生を送る会となりました。かつて小6だった次男が、小学校時代にお世話になった中3の男子卒業生に花束をあげたシーンを思い出しました。今回は、各校の卒業生がステージに並び、一人ずつ感想や将来の希望などを述べ、在校生代表からの送る言葉があっただけで、在校生からの花束贈呈はなく残念でした。そして、卒業生の親代表で私があいさつをしてきました。
24日にご紹介しました親友の羽根田君からの協力依頼に賛同し、私のブログでも鳩間島からの告知文を次の通り掲載することにしました。宜しければ、周りの方との話題にでもしてみてください。(羽根田君のHPは、私のブログの左横にあるブックマークから閲覧できます。)
■目の前にサンゴ礁の海が広がる小中学校に通ってみませんか。
鳩間島では、地元の鳩間小中学校に通う海浜留学生を受け入れています。海浜留学生は島の住人が一定期間預かる形となり、島の人たちと生活をともにしながら学校に登校します。エメラルドグリーンの海を目の前に臨む学校は、集落から歩いて数分のところにあります。勉強や運動はマンツーマンに近い少人数制で行なわれ、小中学校の先生が親身に指導をしてくれます。
環境が変われば、子供たちもまた変わります。登校拒否やイジメなど、さまざまな理由で地元の学校に馴染めなかったたくさんの子供たちが、これまでに島の海浜留学制度を利用し、鳩間小中学校を卒業していきました。あなたも、鳩間島の小中学校に通ってみませんか。海浜留学制度の詳細についは、通事建次さん(TEL.0980-85-6166)宛までお問い合わせを。
■目の前にサンゴ礁の海が広がる小中学校に通ってみませんか。
鳩間島では、地元の鳩間小中学校に通う海浜留学生を受け入れています。海浜留学生は島の住人が一定期間預かる形となり、島の人たちと生活をともにしながら学校に登校します。エメラルドグリーンの海を目の前に臨む学校は、集落から歩いて数分のところにあります。勉強や運動はマンツーマンに近い少人数制で行なわれ、小中学校の先生が親身に指導をしてくれます。
環境が変われば、子供たちもまた変わります。登校拒否やイジメなど、さまざまな理由で地元の学校に馴染めなかったたくさんの子供たちが、これまでに島の海浜留学制度を利用し、鳩間小中学校を卒業していきました。あなたも、鳩間島の小中学校に通ってみませんか。海浜留学制度の詳細についは、通事建次さん(TEL.0980-85-6166)宛までお問い合わせを。
昨日は、朝から地元小学校で運動会が開催されました。1週間前の中学校の体育祭では雨に悩まされたのですが、小学校の方は曇りで暑くもなく寒くもなく、丁度良い気候の中で実施され、子どもたちも喜んだことでしょう。私は、来賓としてテントに用意された椅子に座り、各競技を見物しました。一緒に付いてきた中3の次男は、運動場内を一人でフラフラしたり、持参した任天堂DSでゲームをしたりして時間を潰しましたが、楽しんでいたようです。
6年生の姪っ子は、選手の招集係をしながら、100m走・組体操・騎馬戦・紅白リレー・音楽部の演奏などに出場し、大活躍しました。さぞ想い出深い最後の運動会になったことでしょう。多分、私の親族の中でも、小6の女子としては最速ではないかと思えるほど、脚が速かったです。しかも、珍しくピッチ走(歩幅を若干狭くして、ペースを速くする走法)で短距離を走っていました。紅白帽子には、1等賞の金色シールが二つも貼られていて、誇らしげでした。
幼い頃は、モデルや芸能人になりたいと両親も本人も話していましたが、成長するにつれ夢はだんだん現実化してきたことと思います。きっと、中学に上がったら○○部に入って○○を頑張りたいと考え始めていることでしょう。両親と姉がバスケをしていた(いる)のですが、同じ道に進むとは限りませんので、文化部か運動部かも予想がつきません。姪っ子の成長が楽しみです。普段なかなか会えない近所の方や知り合いなどにも会え、充実した1日を過ごせました。
6年生の姪っ子は、選手の招集係をしながら、100m走・組体操・騎馬戦・紅白リレー・音楽部の演奏などに出場し、大活躍しました。さぞ想い出深い最後の運動会になったことでしょう。多分、私の親族の中でも、小6の女子としては最速ではないかと思えるほど、脚が速かったです。しかも、珍しくピッチ走(歩幅を若干狭くして、ペースを速くする走法)で短距離を走っていました。紅白帽子には、1等賞の金色シールが二つも貼られていて、誇らしげでした。
幼い頃は、モデルや芸能人になりたいと両親も本人も話していましたが、成長するにつれ夢はだんだん現実化してきたことと思います。きっと、中学に上がったら○○部に入って○○を頑張りたいと考え始めていることでしょう。両親と姉がバスケをしていた(いる)のですが、同じ道に進むとは限りませんので、文化部か運動部かも予想がつきません。姪っ子の成長が楽しみです。普段なかなか会えない近所の方や知り合いなどにも会え、充実した1日を過ごせました。
今日は、朝から地元の中学校へ、体育祭見物に行ってきました。3番目の子が中3ですので、これが最後の体育祭となるのです。とは言っても、私は元PTA会長という肩書で、来年度も来賓として今まで通りに出席できると思いますが…さて、体育祭は開会式前から降り出した雨が時折ひどくなったり、小雨になったりで、殆ど止むことがなく、大変でした。そのため、先生方が協議して午後の大切な種目を午前中にやったり、来賓レースやPTA参加競技としての中3生徒との綱引きは中止となるプログラム変更がありました。
お昼前には、ゲリラ豪雨並みの強い雨がしばらく降り続き、一旦生徒たちはグランドから校舎に非難することまで起きました。なんとか昼休みも短くしてやりくりし、時間通りに閉会式を迎えることが出来ました。今回は、雨に悩まされましたが、子どもの元気な姿や、懐かしい方と再会できたこと、全国大会まで進んだ陸上部の女子生徒の走りが見れただけでも良かったと思います。夜は東京で飲み会があるので、私は閉会式の途中で帰宅してきました。
お昼前には、ゲリラ豪雨並みの強い雨がしばらく降り続き、一旦生徒たちはグランドから校舎に非難することまで起きました。なんとか昼休みも短くしてやりくりし、時間通りに閉会式を迎えることが出来ました。今回は、雨に悩まされましたが、子どもの元気な姿や、懐かしい方と再会できたこと、全国大会まで進んだ陸上部の女子生徒の走りが見れただけでも良かったと思います。夜は東京で飲み会があるので、私は閉会式の途中で帰宅してきました。
中3の次男が所属する野球部の公式戦ラストゲームが、去る7月23日に四街道で開催されました。総合体育大会(略して「総体」と呼んでいます。)での決勝で、勝って優勝すれば県大会に進めたのですが、残念ながら1-0で惜敗したのでした。その際にビデオ撮影してくれたAさんの映像がとても好評なようで、女房は10人もの野球部で知り合ったお母さんたちに、その映像をDVDディスクにダビングすることを思いついたそうです。
我が家の機械で試したのですが、ディスクの規格が合わず、ダビング出来ませんでした。そこで女房は、近所に住むパソコンに詳しいBさんに、有料でダビングをお願いしたそうです。手間賃の1000円とお菓子をBさんに届けたので、後で一人100円ずつ集めるとのことですが、それでは大赤字です。儲ける必要はないけれど、経費としてディスク代やBさんに支払った手間賃のことを考えれば、倍の200円でもいいくらいだと思うのですが…
我が家の機械で試したのですが、ディスクの規格が合わず、ダビング出来ませんでした。そこで女房は、近所に住むパソコンに詳しいBさんに、有料でダビングをお願いしたそうです。手間賃の1000円とお菓子をBさんに届けたので、後で一人100円ずつ集めるとのことですが、それでは大赤字です。儲ける必要はないけれど、経費としてディスク代やBさんに支払った手間賃のことを考えれば、倍の200円でもいいくらいだと思うのですが…
今日21日は夏至、父の日、次男の修学旅行初日…だというのに、朝から本格的な雨が降り続いています。昨日までの梅雨の中休みのように天気が良ければ、旅行も楽しいだろうに、天気予報では雨が続くようですね。旅行の日程表は女房が持ち歩いているため私のうろ覚えですが、昼前に新幹線で京都に到着後は、すぐに奈良の明日香へ移動し、班別にサイクリングをし、宿泊地の琵琶湖グランドホテルへ。
明日は京都市内の観光予定です。有名な清水寺などを巡るそうです。宿泊先は1日目と同じホテルです。3日目は京都嵐山を散策し帰路へ。せっかくの修学旅行だというのに雨が降り心配ですが、梅雨の時期だから仕方ないのです。新型インフルエンザの感染騒動で旅行の実施も危うかったことを考えれば、まあ良かったのでしょう。雨の旅を、それなりに同級生と楽しんできて欲しいです。
修学旅行には、地元写真屋のAさんが同行しています。卒業アルバムの作成を請け負っているため、修学旅行の思い出の写真は必要なためでしょう。Aさんは、町の中で最も小・中学生に有名なお兄さんかもしれないほど、人気者です。Aさんの家は昔からの写真屋であり、Aさん自身も青少年相談員の仲間という親しい関係です。たくさんの素敵な写真を楽しみにしています。
明日は京都市内の観光予定です。有名な清水寺などを巡るそうです。宿泊先は1日目と同じホテルです。3日目は京都嵐山を散策し帰路へ。せっかくの修学旅行だというのに雨が降り心配ですが、梅雨の時期だから仕方ないのです。新型インフルエンザの感染騒動で旅行の実施も危うかったことを考えれば、まあ良かったのでしょう。雨の旅を、それなりに同級生と楽しんできて欲しいです。
修学旅行には、地元写真屋のAさんが同行しています。卒業アルバムの作成を請け負っているため、修学旅行の思い出の写真は必要なためでしょう。Aさんは、町の中で最も小・中学生に有名なお兄さんかもしれないほど、人気者です。Aさんの家は昔からの写真屋であり、Aさん自身も青少年相談員の仲間という親しい関係です。たくさんの素敵な写真を楽しみにしています。