走快エイトの気まぐれ人生

家族・スポーツ・スペシャルオリンピックス・教育・消防団・仕事・テレビ番組などの話題を、気ままに綴っていきます。

屈折した?ファン心理

2007年10月31日 18時02分42秒 | アメリカ大リーグ
今日のテレビニュースでは、地元ボストンに凱旋したレッドソックス(以下「レ軍」と略す)の選手たちの優勝パレードシーンが映し出されていました。夜勤から帰宅後、今年の大リーグ中継は既に終わっていますので、無性に大リーグの野球中継が見たくなりました。かつて永久保存したある日の「マリナーズvsレ軍」の試合を一人でDVD鑑賞することにしました。

私が保存しているのは、当然ながら応援しているマリナーズが勝った試合です。ワールドチャンピオンになったレ軍にマリナーズが本拠地で挑み、イチローや城島の活躍で最終的に勝利をおさめ、気分がスッキリしました。実際は、その当時レ軍はまだシーズン途中で優勝はしていませんし、こんな過去の試合を見て喜ぶファン心理って、いささか屈折していますでしょうか?

日本のプロ野球など比べ物にならないほど、大リーグではストーブリーグが盛んです。今日は、ヤンキースの監督だったトーリ氏が、来年ドジャースを率いることが報道されていました。ア・リーグのホームラン王となったアレックス・ロドリゲスはFA権を行使し、移籍先を捜しているとか。来シーズンに向けて多くの移籍話が報道されることでしょう。

風邪が完治

2007年10月30日 09時31分00秒 | 健康管理
20日午後から始まった体調不良は、やはり風邪だったようですが、ようやく完治した気がします。24日の夜は楽しみにしていたソフトバレーも休み、25日は仕事さえ休みました。26・27日の夜勤では、行きも帰りも大雨でずぶ濡れになり風邪がぶり返すのでは臆病になりましたが、大丈夫でした。

28日にウォーキングの大会に出かける際も、11キロ歩き通す自信がなく、ため息ばかり出ていました。しかし、ラッキーなことに無事ウォーキング大会も乗り切れ、帰宅すると充実感で体調も良くなった気がしました。偶然29日は指定休でしたので、ゆっくりできて夕方にはジョギングも再開しました。

今朝も快い筋肉痛があるだけで、特に異常は認められませんでした。長引いた風邪も直り、これで11月初旬に実施される職場の健康診断を無事に受けられそうです。以前オークションで入手したプロテイン・ダイエットを利用し、適度の運動と合わせ多少は体重も減らせるよう、精進したいと思います。

赤靴下がワールドチャンピオン!

2007年10月29日 13時38分41秒 | アメリカ大リーグ
今日は指定休(4週間に1度の時間調整)でしたので、朝から大リーグのワールドシリーズをテレビ観戦していました。4時間前後の長い試合を制し、優勝したのはレッドソックス(以下「レ軍」と略す)でした。試合終盤に、昨日に続き岡島がロッキーズの選手にホームランを打たれ2点を返されてしまいましたが、なんとか次のパペルボンが1点差を守り切りました。

ロッキーズは、レギュラーシーズン終盤から、21試合戦って20勝したほどの驚異的な強さを誇っていました。松井が攻守に頑張り盛り上げてきたのですが、結局はレ軍が4連勝したというのは、やはりロッキーズの勢いはワールドシリーズまで続かなかったということでしょうか。愛する女房は、レ軍に入って以降の松坂をずっと応援してきたので、今回は私もレ軍を応援しました。

3年ぶり7回目の世界一を決めたレ軍ですが、解説者の話では、「チームでWシリーズにおいて2打点を挙げた歴代の投手が、サイ・ヤング、ベーブルースそして松坂の3人」ということで驚きました。まさか松坂が偉大な二人と共にに名前を連ねるとは…これで今年の試合は最後となります。昨日と今日の試合は、DVD-Rにダビングすることにします。

大リーグ豆知識:レ軍が所属するア・リーグは、日本で言うパ・リーグ同様、DH(指名打者)制度により投手が打席に立つことはありません。ただし、ナ・リーグとの交流戦の際に相手の本拠地でプレイする時のみ、投手も打つことになります。よって、ア・リーグの投手がバッターとなる機会は、大変少ないのです。

ウォーキング大会

2007年10月28日 20時10分33秒 | 青少年相談員
今日は、町を挙げての大行事であるウォーキング大会が、快晴のもと無事に開催されました。主催者は1,000名の参加者を見込み、力を入れていたのですが、事前の申し込み数は426名でした。しかし、天気が回復したせいもあり、当日受付者が多数押し寄せ、最終的には600名近い方が10~14キロある3コースに分かれて歩くことになりました。

私は青少年相談員からの役員として7時に会場へ集合し、打合せ後に参加者を迎え入れる受付準備をしました。私の担当は、11キロを3時間かけて歩くコースでした。130名前後の方が5班に分かれ、出発式の後9時過ぎに出発しました。私は最後の班の先頭でずっと大きな「のぼり」を持って歩きました。途中、地元の集会所やお寺など4ヶ所で休憩を取りました。

台風一過で暖かく、途中で1枚上着を抜ぎ、長袖シャツになったほどです。年齢構成は、小学2年生から70歳過ぎの方まで幅広いのですが、中学・高校生や20から30歳代の社会人層はいませんでした。地元の順大から大勢の学生が応援に来てくれ一緒に歩いてくれたのには、とても助かりました。気分良く歩けたせいで、風邪も完治したようです。

「職場/相談員/同窓生」というカテゴリーから「青少年相談員」を独立させました。

最優秀賞ゲットだぜ!

2007年10月27日 16時48分07秒 | PTA&学校(19年度~)
今日は、うちの中学の体育館で文化祭が開催され、そのメインが合唱コンクールでした。ビデオカメラで様子を撮影してきた女房に聞くと、次男のクラスが第1学年の部で最優秀賞、つまり優勝を飾ったのだそうです。多少は「思い入れ」もあるでしょうが、次男のクラスの男子だけが各クラスの男子の中で最も声が出ており、女子の声とのバランスも良く、3年生にも負けないくらい素晴らしかったそうです。

最初に1年の5クラス、次に2年の4クラス、最後に3年の5クラスが、クラスで選んだ曲を歌い競いました。次男のクラスは、1年の部で最後に登場し「涙をこえて」を合唱しました。一昨年、長女が2年の時に歌った「COSMOS」が、2年生のあるクラスで歌われており、懐かしく感じました。このコンクールの模様は毎年CD録音され、卒業生にはお祝いに3年分のものを編集して贈られています。

プログラムに書かれていた校長先生の文章を抜粋してご紹介したいと思います。「4月から毎日校長室に聞こえてきた歌声は、ここにきて一段と美しい響きとなってきました。いままでになかったもの(音、和、絆)を創り出す、まさに創造です。そして、どのクラスも一人ひとりが心を一つにして取り組んで来ました。ここまで頑張れるのは、心の根底に、クラスの団結を願う皆の思いがあるからこそと思います。」

季節はずれの台風

2007年10月27日 15時20分42秒 | その他
10月下旬だというのに、季節はずれの台風20号により、千葉県は昨日から大雨です。今夜、関東地方に最接近するそうで、明日は天気が回復するらしいけど、本当でしょうか。昨日の通勤では、駅まで歩いている際に小雨からスコールのような大雨に変わり、靴はびしょ濡れとなりました。塗れた服とズボンは、職場の仮眠室でハンガーにかけ乾かしました。

今日は、夜勤から帰る際、駅から歩く道は川のようでした。水溜りなんて生ぬるい状態ではありません。昨日から続く雨は、排水溝から溢れるほどの雨量で、当然ながら家に到着するまでに「ドブネズミ」状態となっていました。なぜ、車は歩行者がいるのにスピードを落とさず向かって来るのでしょう。お陰で、車によって弾き飛ばされた雨水が容赦なく襲ってきました。

明日は、町を挙げてのウォーキング大会が開催されます。まだ風邪が抜けない体調であり、11キロも旗を持って歩き続けられるのか心配です。いっそ、台風が居座って明日は大雨のため中止になってくれたら、どんなに楽でしょう。しかし、それではこのイベント開催に向けて準備してきた大勢の関係者の努力が報われませんので、無理してでも明日は歩く覚悟です。

ドタキャン?

2007年10月26日 10時19分27秒 | 職場~19年度(成田)
昨日の日勤は、先週から引きずっている風邪の症状が悪化したことから、有給休暇を使って休みました。ここ数年、風邪をこじらすこともなく、体調を崩して仕事を休んだ経験は記憶にありません。しかし、今回は次に述べる3点の事情により、仕事を休みました。

①私の場合は3交代制勤務で夜勤が主体です。土・日は日勤主体の方が不在のため職員不足からなるべく休まないように意識しています。しかし、平日の日勤なら応援を他の部署に求めることが可能ですので、休んでも同僚に迷惑をかける程度が少なくて済みます。

②1年間に20日間の有給休暇をもらえるのですが、昨年からの繰越し16日間があったので、スタートは36日間でした。20日間は翌年に繰り越せるのですが、現状では年内に16日間消化しきれず、何日間かを無駄にしてしまう可能性が高いのです。

③11月と12月にも休む予定を組んでいたのですが、繁忙期のため冠婚葬祭以外の休暇を認めないという事務連絡が数日前に幹部から言い渡されました。あまりにも突然で理不尽な業務命令ではありますが、公務員としては従わざるを得ません。

昨日、ゆっくり静養できたことから、だいぶ体調は良くなってきたようです。27日(土)は次男の通う中学で文化祭があり、朝から夜勤明けの仕事を早退して出席したかったのですが、上司からは承認を受けにくい時間休暇でしたので、諦めることにします。

「障碍」とは?

2007年10月25日 17時40分48秒 | その他
以前から、「障碍」という熟語を「障がい」を持つお子さんのお母さんからの投稿文章中で、よく見かけたので多少気にしていました。今日たまたまその熟語の読みと意味をネットで調べてみると、予想外な重い意味があったことに気付かされ、ちょっと驚きでした。簡単に言えば、戦前から使われていた「障碍」という言葉は、戦後の当用漢字、常用漢字などといった、字の制限の中で、一般的に使われない字になったということで、「障害」を当てることになったそうです。

同じことを表現するにしても「障害」と書けば、何やら害を与えるお邪魔虫のように感じてしまいますが、「障碍」ならば漢字の意味からしても元々本人が「妨げ」をもっているものの、他人に害を与える印象はなくなる気がします。あまり、神経質に考えるべきではないのでしょうが、けっこう拘っている方もいらっしゃいますので、「害」という字を使う際は気をつけようと思います。英語ならhandicap とか challenged という差別の意味がない的確な言葉があるのですが・・・

詳しくは、http://www.neting.or.jp/welfare/chime/#challengedをご参照ください。
        

辛らつなアドバイス

2007年10月25日 09時30分55秒 | PTA&学校(19年度~)
昨日、広報委員会の企画会議に集まった役員7名で、「幽霊役員」と化したAさんについて、どう対応すべきか話し合いました。Aさんへは電話とFAXで連絡してきたのですが無視され続け、他に名案も出ませんでした。このままだと、AさんはPTA活動を全くせずに1年を終えるかもしれません。帰宅後にネットを通じ、AさんにPTA活動をしてもらう名案を募ったところ、次のような辛らつなアドバイスがありました。

『もう少し、大きな心で接してみてはいかがでしょうか?あなたは、PTA活動できる、ある意味恵まれた環境にある方です。(中略)近年、所得の2極化が顕著になり、パートのダブルワークや、だんなさんを含めて、一家総アルバイト世帯が増えているのも事実です。大企業の冬ボーナス平均が90万円を超えましたが、その同額を1年かけて働いて得ている人もいるのです。その、生きていくのが精一杯な人たちに、これ以上、何の役務を義務付けるのでしょう?(中略)

私は、精一杯生きている人たちが、「止む止む、PTA活動に参加しない」のに、「過剰な督促状FAX」「過剰な勧誘電話」は、PTA活動の本来の目的をあきらかに逸脱しています。「PTAの幽霊役員を立ち直らせる方法とは?」と、幽霊扱いまではまだしも、「立ち直らせる」とは、思い上がりと、エゴの塊を感じ、大変残念です。あなたが、黒一点で、盛り上げようと言うのは、「PTA全体」のためというより、「あなた自身の株を上げる行為」にしか見えません。(中略)』

回答者は私のことを全く知らない方とはいえ、ここまではっきり私と正反対の考え、PTAに対する想いを述べられたのには本当に驚きました。今まで10年以上もPTA活動と係わってきて、しかも会長を小・中学校で通算5年務め、大勢の保護者や先生方と知り合ってきましたが、上記のような考えを持つ人の存在を初めて知りました。上場企業の元人事担当者からの回答であり興味深かったので、敢えてブログで紹介させて頂きました。

2学期初の企画会議

2007年10月24日 16時46分47秒 | PTA&学校(19年度~)
今日の午前中は、2学期に入って初めての広報委員会による企画会議がありました。気の合う広報委員の仲間と話し合い、そろそろ次の広報誌の準備をしましょうということになり、3週間前に私から他の13人の委員に召集をかけました。しかし、仕事などの用により半数の方は欠席で、たった7人の寂しい企画会議となりました。

私が前回、他の委員にお会いしたのは6月22日の第3回公正の時でした。殆どの委員の皆さんは広報誌発行の6月27日に勢揃いしたのですが、私は次男の参加した青い麦の子ふれあい運動会のため佐倉市に出かけ、当日は欠席していたのです。本当に久し振りにお会いする委員の皆さんは、相変わらず若々しく元気そうで何よりでした。

出席者は半数とはいえ、せっかく集まったので次号の広報誌準備のため大枠だけでも決めておこうと、①発行日は2月22日②8ページ構成でカラー印刷は1・5・6・8ページのみ③印刷は前回と同じ会社に依頼④次回の企画会議は11月21日に開催という4点を決めました。内容については、各自でアイデアを出し合うのみでした。

今年中に青写真を作り終え、校長先生・PTA会長・各委員会の代表者の皆さんに原稿依頼をし回収まで済ませておければ、年が明けてからスムーズに作業が進みそうです。例年繰り返しているワンパターンには囚われず、読者が喜ぶような一捻りした企画をたくさん盛り込みたいと思います。広報誌作成への情熱が、復活してきました。

写真は学校前の風景で、畑に作られた落花生のボッチは近所でもたくさん見かけます。

1日遅れですが、万歳!

2007年10月23日 18時25分27秒 | アメリカ大リーグ
松坂が、昨日の大リーグのアリーグ優勝決定戦第7戦で先発し、岡島、パベルボンと繋ぎ、見事にレッドソックスを優勝に導きました。5回を2失点に抑えたので、とりあえずはギリギリ合格点だと厳しい地元紙の記者からも論評されていたようです。ワールドシリーズでは、実力を発揮して欲しいものです。

昨日は夜勤でしたので、10時45分までテレビ観戦できました。松坂の立ち上がりは上場の出来で、相手の先頭打者のバットをへし折ったりし、気持ちの篭った球威のある球を投げ込んでいました。しかし、出かける直前には、味方が3点取ったのに、相手から連続ヒットを浴び、1点を返されていました。

自宅を出て20分後、最寄の駅改札口前に設置されている無音のテレビで試合の状況を確認すると、3対2になっており松坂が5回を最後まで投げきれるのか心配でした。しかし、後で女房から勝利投手になったとメールがあり一安心しました。今日は、夜勤から戻り、録画した試合をじっくり見ました。

5回を投げきった松坂も頑張ったけれど、大事なところを粘りのピッチングで踏ん張った岡島の活躍は素晴らしかったです。松坂のように、「打たれるのではないか」という心配は起きませんでした。味方の打撃陣では、ペドロイアが終盤に5打点の大活躍があり、11対2という大差での勝利でした。

どうせ打つなら松坂が投げていた試合前半で打って、試合を早目に決めてしまって欲しかったと思うのは、私だけでしょうか? 試合中は、勝負の女神が両チームを何度も行き来し、7回にペドロイアがホームランを打つまでは、どちらが勝つか分からない状況で、ハラハラさせられましたが好試合でした。

流石は優勝請負人

2007年10月22日 07時26分35秒 | アメリカ大リーグ
昨日の大リーグの試合「レッドソックス(以下ボストンと記す)対インディアンズ」は、録画しておいて今朝ゆっくり観戦しました。シリング投手といえば、かつてダイヤモンドバックスで世界一になった際はMVPに選ばれています。また、2004年にボストンへ移籍すると、ワールドシリーズで足を怪我しての登板で靴下を血染めにしての好投は、チームの劇的な逆転勝利に貢献し、2度目の世界一になりました。

昨日の試合でシリング投手は、第2戦で負けた際には3打数2安打と打ち込まれた相手打線の1番打者を4打数無安打に抑えました。味方打線の13安打の猛攻にも助けられ、7回まで投げ26人の打者に対し6安打自責点2という結果は見事でした。流石は20年目のベテランで、チームがピンチの時に頑張ってくれます。これで、ボストンはインディアンズと並んで3勝となりましたが、流れはボストンにきています。

昨日の試合は1回のボストンの攻撃で、ドリュー選手の満塁ホームランで決まったように見えます。しかし、相手を2点に抑えた投手陣の働きも素晴らしかったです。リーグ優勝は今日の第7戦に持ち越されました。ファンとしては、最後の試合に松坂投手が登板するということで、期待は最高潮に盛り上がっています。シーズン後半からずっと彼の調子は良くないのですが、今日こそ彼本来の実力を発揮して欲しいものです。

人生の転機

2007年10月21日 19時20分37秒 | 自分&家族
私にとって、人生の転機はたくさんありましたが、思いつくまま年代順に書いてみます。①小学5年の時、担任のK先生と出会い、それまで内向的で何事にも消極的だった自分の殻を破り、最初の変身をしました。詳しい経緯は覚えていませんが、初めて学級委員に選ばれたのです。これが縁で、19歳まで何度もクラスの代表役が回ってくることになりました。

②中学1年の時、優秀な友だち数名が私立中学に進学したことで、廊下に張り出されるテストの成績順で、ベスト10内に私の名前が出てくるようになり、「やれば出来る!」と自信が出てきました。③中学3年の時、担任の先生から「成田高校から特待生として私を迎えたい」という話があることを知らされ、最終的には同校だけ入試を受け、入学できました。

④得意な英語を生かす仕事に就くため、高校卒業後は語学専門学校に進みました。英語と中国語を思いっきり勉強できたうえ、今でも付き合いが続いているような親友がたくさんできました。19歳の夏には、アメリカのある大学で1ヶ月短期留学をしてきました。そのせいで就職活動の出遅れはありましたが、今の職場を見つけ入社試験を受け合格できました。

⑤20歳になり就職、最初の勤務先は神戸であり、初めて親元から離れて暮らすことになりました。⑥26歳になって、結婚しました。女房とは小学3年生の時から顔見知りであり、幼馴染ともいえます。その後、3人の子宝に恵まれました。⑦36歳で地元小学校のPTA会長になり、2年続けました。その後も中学校でPTA会長となり、3年務めました。

七つの転機を紹介しましたが、それぞれが私にとって、大切な思い出となっています。もし、あの時こうなっていなかったら、私の人生は全く違っていただろうと思える貴重な経験ばかりです。もしタイムマシンが実在したら、各転機の自分を物影からそっと覗いてみたいものです。きっと、ハラハラドキドキしながら当時の自分を見守るのでしょうね。

特別支援学校のお祭り

2007年10月20日 12時47分26秒 | PTA&学校(19年度~)
今日は公休でしたので、女房と二人で近所の特別支援学校のお祭りに出かけてきました。初めて行ってみたのですが、うちの子と小・中学校が一緒だった数名の子が中学部や高等部に所属しており、元気に模擬店で手作りの工芸品を売っていました。先生方、近所の大学生サポーター、保護者のお手伝いで、活気のある素晴らしいお祭りでした。

保護者の中には、久し振りにお会いした方も多かったです。私と女房の中学時代の同級生E子さんを見つけた時は、とても驚きました。E子さんは成人式で見かけたものの、同窓会には参加していなかったようで、25年振りの再会となりました。元気そうに模擬店のバザーで雑貨を売っている姿に出会え、ちょっとだけ話もできて嬉しかったです。

次男と小学校で6年間一緒だったA子さんのご両親とも出会え、A子さんが中学部の劇で「水戸黄門」に出演すると知らされ、見て行きました。楽しそうに演技する子どもたちの様子を見て、この学校の素晴らしさが感じられました。言葉が出なかったり、車椅子でしか移動できない子も、先生に同伴され演技している姿には感動しました。

昭和34年の魅力

2007年10月19日 16時14分36秒 | お気に入り
今日は夜勤から帰る途中、先週の創刊号&2号に続き、「昭和タイムズ」第3号を購入しました。今回の本が特集する昭和34年は、私と女房にとっては生まれる前なのに、妙に昭和の魅力を感じてしまう不思議な年なのでした。やはり、2年前の11月に公開され話題になった映画「ALWAYS 三丁目の夕日」の影響でしょうか。なんと、女房は3回も見に行った程ですから。

主な日本の出来事は、皇太子、正田美智子さんとのご成婚・天覧試合の巨人、阪神戦で長嶋選手がサヨナラホームラン・第1回レコード大賞に水原弘「黒い花びら」が決定・少年サンデーと少年マガジンが創刊・プロ野球の殿堂誕生(第1回受賞は沢村投手ら9名)・ミス日本としてミスユニバースに出場していた児島明子が世界一の栄冠に輝く・伊勢湾台風で5千人死亡など。

11月3日に公開される「ALWAYS 続・三丁目の夕日」は、是非とも前回同様に私と女房の親も同伴で見に行きたいものです。先日新聞と共に届いた読売新聞スクープ10月号(8ページのタブロイド版)では、3ページにわたって映画の紹介記事や映画の一場面が掲載されていました。「高速道路のない日本橋」「プロペラ機が離発着する羽田空港」「完成した東京タワーが見える夕日町三丁目」などの文字と映像が、読者の興味を倍増するようです。