走快エイトの気まぐれ人生

家族・スポーツ・スペシャルオリンピックス・教育・消防団・仕事・テレビ番組などの話題を、気ままに綴っていきます。

次男の通学に同伴

2010年04月14日 13時11分00秒 | PTA&学校(~18年度)
今日は休日でしたので、朝の散歩を次男の通学同伴という形で行いました。最寄りの駅までの往復4㌔程ですが、行きはずっと次男と話しながら歩けました。駅前では、ロータリーに停車中の送迎バスに向かう大勢の他校の生徒を見かけました。次男と別れた後、私は駅舎の2階に移動し、窓から様子を眺めていると、次男は停車中の一般バスに乗り込むと、入口すぐ横の一人がけの席に座っていました。多分、そこが彼のお気に入りなのでしょう。

次男が乗って数分後には、電車から降りてきた同じ学校の生徒たちも大勢バスに乗り込んでいきました。その中には、なんと次男のクラスメイトの女子も一人発見できました。普段、次男が通学路で行き合う小中学校の子どもたちや、ボランティアで交通安全指導をしてくださっている自警団の皆さんや、駅でみかける他校の大勢の高校生たちを見ることができて、良い体験が出来ました。次男には迷惑でしょうが、また、一緒に歩きたくなりました。
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雨の離任式

2007年03月30日 11時04分38秒 | PTA&学校(~18年度)
今日は離任式の日でした。朝、登校する時、一番雨が大降りだったような気がします。一様、スーツ上下という姿で会場の体育館へ行き、2階のギャラリーから離任式を見学しました。保護者は私一人だけと寂しかったのですが、うちの娘を含む卒業生は大勢来ていて、体育館の後方で床に座り、離任式を黙って見ていました。女房は小学校の離任式の方に出かけました。

進学する高校の制服を着ている卒業生が多く、皆4月から別々の高校に旅立つんだなあと実感しました。私は、PTA会長をしていた際にお世話になった教頭先生が転出されるため、個人的に最後の挨拶をすることが出来て気が済みました。娘たちは、元バレー部の仲間と集まり顧問だったA先生のお宅におしかけ、1000円会費で焼き肉パーティーをするそうで、羨ましいです。
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新PTA会長からの電話

2007年03月29日 21時09分30秒 | PTA&学校(~18年度)
先日紹介致しましたが、女房の実兄が新しいPTA会長に就任することになりました。正式には5月2日開催予定のPTA定期総会で会員からの承認を受ける必要があるのですが、実質上は4月から私の義兄がPTA会長として活動することになります。今日は、新旧PTA事務局役員が勢揃いして顔合わせをしたと義兄から電話がありました。

今のところ、入学式の直後に私がPTA役員に立候補し、いずれかの委員会の役員になろうと考えています。うまくいけば、その委員会で代表になり、PTA運営委員会にも出席しながら、義兄の力になれると思います。また、PTA活動のついでに、先生方とも知り合いになれ、気になる次男の様子も垣間見れるので、一挙両得かもしれません。
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次男の卒業式

2007年03月16日 13時16分13秒 | PTA&学校(~18年度)
今日は、6年生の次男の卒業式がありました。町長さんをはじめ来賓の方30名近いご臨席を賜り、式は盛大に挙行されました。式次第は次のとおりです。①開式のことば②国歌斉唱③卒業証書授与④校長式辞⑤教育委員会告示⑥来賓祝辞⑦記念品贈呈⑧別れのことば⑨校歌斉唱⑩閉式のことば(13日の中学の式と殆ど同じ)

卒業生がたった54名でしたので③の時間も短く、あっという間に終わった気がしました。各児童が賞状を受け取る際、事前に録音した将来の夢が流されました。次男は、中学に行って野球部に入りたいでした。⑧の時、次男はなんとか大きな声で自分に割り当てられた台詞を言うことが出来て、見ている方も安心しました。

昔からなのですが、校歌を歌うと目がウルウルしてしまいました。卒業生が退場する際には、体育館後方へ遠回りし保護者席の脇を歩いてくれたので、多くの保護者が学校の粋なはからいに感動していました。我が家は、平成8年に長男が入学してから始まった小学校との付き合いも、今日で終わりとなり感慨深いものがありました。

特殊学級の先生方から、小中合同の郡市合同運動会や学習発表会があるので、また会えるよと言われ、次男は喜んでいたように見えました。運動会は6月頃、学習発表会は2月頃に毎年印旛地区内の小中学校の特殊学級が佐倉市内の会場に勢揃いして行われるので、いつも楽しみにしているものです。
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卒業アルバムの今昔

2007年03月15日 10時00分00秒 | PTA&学校(~18年度)
今日は4週間ごとにもらえる時間調整の休日でした。 特に予定もなかったので、娘が卒業式の前日に頂いてきた卒業アルバム(今)を、私が持っている30年前のもの(昔)と次のように7項目に分けて比べてみました。

白黒からカラーへ:昔にも当然カラー写真はありましたが、まだ白黒と併用されていた記憶があります。多分、学校の方針で写真を白黒にしたのでしょう。今は全てカラーでとても鮮やかです。
生徒一人ずつの紹介:昔は、クラス紹介のページは集合写真と授業風景くらいでした。今は、生徒一人ずつの顔写真まで載っています。
早目の完成:昔は、最後の1ページに卒業式のシーンも入れたため、出来上がりがその分遅くなり、離任式に手渡された記憶があります。
校舎点描写真の登場:昔は、校歌・全教師の集合写真・校舎全景が最初の1ページにまとめられていました。今は、校歌や全教師の集合写真とは別に、見開き2ページに渡り、校舎を中心に素晴らしい校内の写真が20枚以上散りばめてありました。桜の花がいっぱいの校舎と雪景色の校舎の比較は天晴れです。
3年間と最後の1年:昔は、中3の1年間にあった学校生活の記念写真だけ。今は、入学当時から卒業直前までの3年間に渡ったものでした。
作成会社:昔は記載がありませんので、どこの印刷所が作成したのか不明です。今は、アルバムの目立たない隅にさりげなく作成した写真屋さんの名前と連絡先が書かれていました。
アルバムの表紙の模様:昔はシンプルに、校章と1977という数字が表紙の表側に描かれているだけ。今は、表には校章に代わり「絆」という漢字、そして全校生徒による合唱風景と校舎のイラスト、裏には「祝○○中学校開校60周年」と書かれたプレートが飾られた校舎の窓のイラストと中学校名が描かれていました。

同じ中学校なのに、時代の変遷による卒業アルバムの豹変に驚くばかりです。

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手作りの卒業式

2007年03月13日 15時45分19秒 | PTA&学校(~18年度)
今日は、地元の中学校で第60回卒業式がありました。 私は前PTA会長として来賓で招待され、体育館のステージ上に設置された席に座ることになっていました。しかし、卒業する娘から頼まれ、来賓席行きはやめました。(昨年まで3年連続でPTA会長祝辞を述べていました。)そこで、形ばかりの挨拶を来賓の皆さんと交わした後、全体移動の前に失礼し一般席へ行き女房と合流しました。

式は次の順で進められました。開式のことば/国家斉唱/校歌斉唱/卒業証書授与(150名)/精勤賞授与/学校長式辞/教育委員会告辞/来賓祝辞(町長・町議会議長・PTA会長)/卒業記念品贈答(教育委員会から卒業生へ賞状の筒・卒業生から学校へ校舎案内板)/送別のことば(現生徒会長)/卒業のことば(前生徒会長)/式歌合唱(「明日の空へ」「旅立ちの日に」「大地讃頌」)/閉式のことば

2年前に長男の卒業式を経験していたせいか、始めのうちは淡々と撮影に専念していたのですが、卒業生からのサプライズでは感動で涙がにじんできました。なんと、卒業のことばの途中に、卒業生が全員ステージに上がり、ベートーベンの第九をドイツ語で合唱したのです。卒業生全員による合唱は迫力があり、とても見事でした。そして、式歌では上記3曲が歌われ、胸がジーンとしてきました。

生徒が退場後、クラスを持たない3年担当の先生4人に対し、保護者全員から感謝の花束が贈られました。その際に、学年主任の先生から、卒業生に対して色々とお褒めの言葉を頂きました。①中学の卒業式で第九を歌ったのは、全国でも前例がないのでは?②卒業生たちは、事前に実行委員会を立ち上げ生徒による手作りの卒業式を実施したことがとても素晴らしかったという言葉が印象的でした。

式が終わると、卒業生は一旦それぞれの教室に戻り最後の別れを担任と生徒で行いました。そして、掲載した写真のように再び体育館に集合し、卒業生全員から3年の先生に歌の贈り物をしました。生徒たちと向かい合って座っているのが先生方です。帰宅後に聞いた娘からの話では、曲は「友がいるから」で練習不足のため満足に歌えなかったそうです。それでも、聴いていた先生方や保護者は大満足でした。
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不思議な連鎖

2007年03月09日 14時05分22秒 | PTA&学校(~18年度)
私の親族には、世にも不思議な連鎖があります。 それは平成10年に私が地元のA小学校のPTA会長になったことから始まりました。数年後、母方の従兄弟(長男)がB小学校の副会長から会長に、17年には従兄弟(次男)がC中学校の副会長から会長にと、それぞれ時期や学校は違いますが一族から3人も同じ時代にPTA会長が出ているのです。

そして、今春とうとう4人目となる女房の兄までも就任依頼を断りきれず、地元中学校のPTA会長に決定してしまったのです。義兄には二人の男の子がいて、それぞれ私の長女・次男と同じ学年です。つまり、私が中学の会長を引き受けた際、当初は1年という話でしたので3年前から義兄には会長候補として誘いがあったわけです。

当時の私は、会長候補者すべてに断られる事態が続いたせいで、結局3年間も会長を続けることになりました。 私の後継者には、3年の保護者で私の前任者でもあったDさんがしぶしぶOKして下さいました。そして、今回はDさんから義兄にバトンタッチされることになったわけです。ちなみに、Dさんは義兄より13歳年上です。

また、青少年相談員の連鎖もあります。義兄が平成元年に就任したのが始まりで、私も7年に続き、他の市町村に住む妹の夫まで13年に相談員となったのです。4月から私が相談員の会長で、義兄が中学PTAの会長となります。4年前には、義兄が相談員の会長で、私が中学PTAの会長でしたので、不思議な巡り会わせです。
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中学の予餞会

2007年03月05日 14時52分20秒 | PTA&学校(~18年度)
今日は、娘の通う中学校で予餞会(はなむけとして、旅立ちや卒業の前に行う送別会のこと)がありました。私は仕事で見に行けませんでしたが、女房がビデオ撮影してきてくれたお陰で、夜勤から帰宅後にビデオを見て、雰囲気を味わうことが出来ました。会場の体育館は、照明が落とされ映像が全体的に暗かったのですが、流行曲に合わせて上映されたスライドは鮮明に写っていてとても良かったです。

M先生がPCを駆使して映像の加工編集を担当したそうですので、後で先生に交渉し映像をダビングしてもらうつもりです。入学式の頃から中3の秋の合唱コンクールまで、駆け足で懐かしい写真が映し出され、娘の学校生活を垣間見ることが出来ました。学校行事は、PTA会長として2年関われましたし、一般の保護者に比べ子どもと接する機会を多く持てたのは誇りに思えます。

そして、いよいよ13日には卒業式を迎えます。長男の時は、PTA会長でしたので体育館のステージ上の席に来賓として座り祝辞も述べました。しかし、今回は来賓の招待状を断り一般保護者として式に参加する予定です。きっと感動的な式になるでしょう。同じ週に娘(長女)と次男の卒業式があるため、数時間の有給休暇を使い仕事を休むことになりますが、同僚には大目に見てもらいたいです。
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6年生を送る会

2007年03月02日 13時38分55秒 | PTA&学校(~18年度)
今日は公休でしたので、女房と小学校へ「6年生を送る会」を見物に行きました。プログラムは低学年児童用に作成されていましたので、私が大人用に次のとおり編集してみました。『開会の言葉/校歌斉唱/実行委員長挨拶/校長挨拶/送辞(1年)/各学年の発表/全校ゲーム/先生の発表(仮装して「翼をください」を演奏)/記念品贈呈/八木節演奏(6年)/閉会の言葉』

女房ら一般保護者は会場となった体育館後部に陣取り、私らビデオ撮影者は2階に回りました。各学年の発表は、児童の成長ぶりを示すものであり、とても感動しました。最初は3年生による「ありがとうございました、6年生の皆さん」で、ダンスが見事でした。姪っ子に良く似た女児を見つけたので、しばらくズームアップしていたら、途中で別人と分かり、本当の姪っ子を必死で探すハプニングもありました。

次は、4年生による「祝卒業!勇気100%」で、曲に合わせた全員による縄跳びでした。3番目は、1年生による「6年生って大きいね」で、6名前後の1年と2名の6年でペアを作り、身長・習字作品(1年が「ちば」6年が「房総の海」)・縄跳び等を各組で比較した後、赤い衣装でたらこのダンスをし大受けでした。4番目は2年生による「パワーソーラン節」で、小さい児童が上下黒の服装で蟻のように踊っていました。

5番目は、6年の次男が出演した(特殊学級)くすの木による「大室大サーカス」でした。先日、印旛郡市の小中合同発表会で演じたものと同じで、マット運動や玉乗りは、今日の方が前回より出来が良かったです。飛び入りで校長先生が倒立前転などをしていましたが、上手で観客から大きな拍手をもらっていました。先生は確か、中学で体操部だったと聞いています。

最後を飾ったのは、5年生による「大遊記」といって、西遊記をアレンジした劇でした。今まで長い間は、6年に扮した5年が小学校6年間の学校生活を振り返る劇が続いてきましたが、今回の劇もまあまあの出来でした。個人的には、今までどおりの劇を期待していたのですが…もう一人の姪っ子が代表挨拶及び声優役で頑張っていました。久しぶりの小学校とあって、楽しい半日でした。
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ほほえみカレンダー

2007年02月22日 09時50分48秒 | PTA&学校(~18年度)
今年も印旛特別支援教育研究連盟から、注文していた「ほほえみ」というカレンダーが届きました。次男が特別学級にお世話になり始めた5年前から、毎年欠かさずに購入している暦です。印旛郡市の小・中学校特殊学級、盲・養護学校に学ぶ児童生徒の描いた絵を使った暦で、年度ごとのものですから今回は19年4月から20年3月まで編集されています。

2年前には、次男の描いたクレーン車の絵が1面を飾ったこともありました。親ばかで、飾りもしないのに当時の暦を余計に買ったことを覚えています。今回の表紙左隅に掲載された写真には、昨年開催された「青い麦の子ふれあい運動会(毎年6月頃に実施される印旛郡市の特殊学級児童生徒の大合同運動会)」の時のものでした。偶然にも、うちの地元小学校の児童全員がステージに上がったシーンが選ばれ、その中に次男を見つけ感激しました。
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人権教育セミナーに参加

2007年02月20日 13時17分07秒 | PTA&学校(~18年度)
今日は夜勤でしたので、3時間の有給休暇を利用し、久しぶりにPTAと関わりのある講演会に参加してきました。講師は茨城大学生涯学習センター助教授の長谷川幸介先生で、演題は「家庭と社会における人権問題」でした。この行事は町教育委員会の他3団体が協賛しており、①町人権教育セミナー②家庭教育講演会③町婦人会研修会といった3つの表示がされていました。

私は、町P連会長をしていた年に、この行事である講師の先生と会食する機会がありました。その時の講演で「千の風になって」の詩を初めて紹介され、公演終了後には楽屋で詩の音読をさせてもらい、先生から上手だと褒めて頂いたことを覚えています。さて、今日の講演会ですが、大人の世界は「職」「役(地域のボランティアや家庭の役割など)」2つの世界があり、子どもの世界にも同様に「学校」「家庭」があるという話が出てきました。

「職」「学校」は、肩書きや成績など『比べる世界』であり、全ての人に平等に流れるカチカチ時間という言い回しには笑えました。この時間は、ストップウオッチが後ろから追いかけてくる感じだとか。それに対して、「役」「家庭」は、比べようがない「かけがえのない世界」であり、選んだ(参加した)人にだけ訪れる不平等なサラサラ時間。砂時計の砂が落ちていくようで、必ず前に進む感じだそうです。

私自身、けっこう役を多く引き受けているし、それほど会社人間とは思いませんが、「職」のことで思い当たる点がありました。あと、子どもの4つの力として、①学力②学ぶ力③生きる力④周りを明るくする力があることを学びました。①は主に学校の成績が関っており、「差の力」つまり引き算の発想、②③は人と協力して作り出す足し算の発想なのだそうです。先生は、肩書きと違い堅苦しい感じがせず、親しみやすく語られ、参加者は皆が大満足だったと思います。
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マラソン大会

2006年12月05日 11時35分58秒 | PTA&学校(~18年度)
今日は、小6の次男にとって最後のマラソン大会の日。記念レースを是非この目で見たいと、仕事を休み張り切って応援に出掛けました。 次男は、走るのが遅いわけではありません。運動会の徒競走では、時々1位を取るくらい頑張っていますが、長距離となるとどうも…

彼はグ~ンと身長も伸び、父親が言うのもなんですが、モデルのように足長のスマートな体型です。 6年生は、運動場を1周半走り、坂を上り校舎の周りを1周し、再び坂を下りて運動場を1周する、約1200mのコースです。

私は8ミリビデオで撮影しながらの応援でしたが、次男が近くに来ると自然と大声で応援してしまいました。 スタート直後から縦長になり、彼は最後尾のグループで走っていましたが、声援に対し片手を挙げる余裕がありました。同級生に比べれば見劣りしますが、彼なりに頑張って腕を振り、歯を食いしばって走っていました。

運動能力からすれば先頭グループにいてもおかしくないのですが、やはり競争心、上位を狙おうという拘りがないようです。 ゴール手前10mで3人に抜かれ今年も指定席のブービー賞(ビリから2番目)でした。「もうちょっとだったのに。悔しい」という気持ちが芽生えてくれたら良いのですが。 
でも、親バカですから、次男が帰宅したら「頑張ったね」と声をかけるつもりです。

夕方、次男が帰宅するなり「悔しかった」と私に話しかけてきたので、ちょっと嬉しくなりました。予行では転ぶハプニングがあったにもかかわらず18番だったのに、本番では25番だったのが、本人としても納得いかなかったようです。
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参観日で驚いた事

2006年11月18日 12時55分17秒 | PTA&学校(~18年度)
①今日は、次男の通う小学校で授業参観がありました。 土曜日とあって、いつもより大勢の保護者がみえていました。昇降口の前に置かれた無人の受付へ帰り際に寄ると、1~6年まで全クラスの児童名簿があり、保護者の出欠の有無がチェックされていました。

出席を示す○のオンパレード。なんと、出席率は9割前後 自殺の連鎖やいじめなどの事件が毎日のように報道されていることから、普段は子どもの教育に無関心の保護者でさえ、学校に足を運んだのかもしれませんね。


②次男がグループの仲間と修学旅行に行った時の体験発表を行うというので教室に入った際のことです。教室の壁に張られた歴史年表に「平成」が入っているのに、初めて気付きました。これには、急に時代の流れを感じさせられ、本当にビックリしました。

しかも、1998年の長野冬季オリンピック開催まで記されているとは…。昔の歴史年表の内容など覚えていませんが、多分私たちの時代は、東京オリンピック開催が最新の出来事だったかもしれません。
③今回は女房が仕事のため、私が単独で参観しましたが、これも実は初体験でした。
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魂をゆさぶる感動

2006年10月28日 21時28分41秒 | PTA&学校(~18年度)
今日は、地元中学の開校60周年記念行事が挙行されました。来賓として招待されていましたので、仕事を休んで出席しました。式典では、お決まりの国歌斉唱・校歌斉唱・校長式辞・実行委員長(PTA会長)挨拶・来賓祝辞(町長・議長・教育委員長)の後は、生徒会長による誓いの言葉・全校生徒による合唱・社会福祉協議会への車椅子贈呈がありました。

記念講演では、盲目の電子オルガン奏者「大島彰(あきら)」氏による電子オルガンの演奏とメッセージを頂きました。正味75分間の講演は、演奏が終わる度に拍手喝采となり、会場は感動の渦に包まれました。普段は生意気な感じの生徒たちも、私同様に魂をゆさぶられたようで、大島氏の講演にはノリノリだったように感じました。

大島氏は、今年もうすぐ還暦を迎える年齢の男性で、生まれながらの全盲でしたが、両親から与えられたオルガンにより音楽の世界にのめり込んでいったそうです。志した音楽の教員には制度上なれなかったことから、一時は死をも決意したそうですが、立ち直り音楽の演奏会活動をはじめ現在に至っているそうです。

彼のメッセージで印象的だったのは①「有難い」という言葉は、簡単に出来ないことを皆がそれぞれ努力した結果できること②天文学的な数字になる多くのご先祖様から受け継いできた命のバトンを自分で断ち切ってはいけない等でした。演奏は、アメージング・グレイズから始まり、歌曲アイーダ~世界で一つだけの花で終わりました。

当然ながら、感動した生徒たちからは「アンコール」の声が…大島氏はそれに答えられて「未来」を演奏されました。そして彼の講演が終わり、お決まりの生徒代表挨拶と花束贈呈がありました。すると、信じられない光景が。なんと、生徒全員が立ち上がり、感謝の気持ちをあらわしたいと合唱を大島氏に贈るハプニングが起こったのです。

多くの学校を講演している大島氏にとっては、よくある事かもしれませんが、会場に居合わせた人々には、多分初めてのことだったと思います。生徒の行動はとても新鮮に感じられ、ちょっと今の若者を見直した気がしました。講師に大島氏を選んだ校長先生をはじめとする先生方や、これまでご苦労されてきた実行委員の皆さんには、心から感謝したいと思います。
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写生会

2006年09月22日 17時11分32秒 | PTA&学校(~18年度)
昨日の出勤時に、次男が通う小学校2年の児童たちに行き会いました。身体に似合わない大きな画板を持ちながら、先導する担任の先生に連れられJR駅の通路を歩いていました。多分、写生会で駅舎を描いていたのだと思います。

自分達が小学生の頃、どこへ写生会に行ったのか思い出してみました。低学年の頃は近所の牛舎や川周辺だったりしたけれど、高学年になると電車に乗って近隣市町村にあるお寺や電車の車輌基地をスケッチしていました。

学校を抜け出す所謂(いわゆる)校外学習という行事は、私にとっては遠足気分で、楽しい一時でした。しかし、忘れられない楽しくないことも中学1年の時にありました。近所の養鶏場へ写生会に行った際の出来事でした。

自分を含め多くの生徒がガムを噛んでいたのを先生に見つかり、当時の学級長だった私が代表で先生に頬をぶたれたのです。美術の女先生から泣きながら受けた行為は、自分達が悪かったのですが、なぜ自分だけが・・・と疑問を感じてしまいました。
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