渡辺崋山は天保4年(1833年)の4月(陰暦)に、滞在地である田原城下から、「御系譜の御用」と「巣鴨老公の三河志の御用」を兼ねて、渥美半島や、神島、佐久島、そして吉良などを訪ねる旅に出ます。4月15日(陰暦・以下同じ)に田原城下を出立して、4月の20日過ぎには田原に戻っているようであり、4月25日には田原を出立して江戸へと向かっています。その1週間ばかりの旅日記が『参海雑志』であり、崋山の旅日記としては最後になるものです。私が田原を訪ねるのは今回がおそらく6回目。田原城下は歩いたことがありますが、あとは車で移動しており、崋山の『参海雑志』の足跡を実際に歩いたことはありませんでした。理由は遠距離であることが一番大きい。高速を使っても片道5時間ほどはかかります。しかし、『毛武游記』や『游相日記』の旅を終えたところで、崋山の最後の旅日記となる『参海雑志』の旅をしないことには、「崋山の旅」を締めくくることはできず、1年ほどをかけてじっくりと三河地方を私も歩いてみることにしました。今回(第1回目)は、田原から伊良湖岬までを崋山の足跡を追って歩きました。以下、その報告です。 . . . 本文を読む