鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

渡辺崋山『参海雑志』の旅-田原から伊良湖岬まで-その3

2015-01-18 05:54:14 | Weblog
『参海雑志』の原本は大正12年(1923年)の関東大震災で焼失してしまったという。この関東大震災において焼失してしまったと言えば、あの『游相日記』の原本もそうでした。『游相日記』に描かれていたスケッチは20図。それに対して『参海雑志』に描かれていたスケッチは全部で61図で、『游相日記』の約3倍。『渡辺崋山集』第2巻の『参海雑志』には、そのうち13図が掲載されています。内訳は、①「赤羽根村の山景」と思われるもの、②「赤羽根遠見番所」、③「フウトウ、風藤、本草藤部」、④「小(古)山ノはな」、⑤「稚海布(わかめ)を取る道具」、⑥「燈明山建物」、⑦「村落風景」、⑧「神島渡海」、⑨「畠村螺(にな)ヲ捕ル」、⑩「(五輪塔)華蔵寺殿円山成公大居士」、⑪「芸妓」、⑫「弘法大師像」と思われるもの、⑬「彼岸(彼岸花)」。このうち私にとって興味深いのは、②の「赤羽根遠見番所」と⑥の「燈明山建物」、そして⑦の「村落風景」。②は赤羽根において、⑥と⑦は「神島」において描かれたもの。和地村で泊まった「医福寺」、「和地川尻」、堀切村の「小久保三郎兵衛住居」、同じく堀切村の「常光寺」、伊良湖の「彦二郎(屋敷)」、「伊良湖明神」、「神島海岸を望む」、「相崎」、「戸(豊)島池」、「神嶌、船ヲアグル図」、「神島風俗」、「畠村陣屋」、「街道風景〔四図〕」などのスケッチも興味あるものですが、ここには掲載されていません。『江戸後期の新たな試み-洋風画家谷文晁・渡辺崋山が描く風景表現』(田原市博物館)には、「医福寺」、「常光寺」、「神島」)、「本宮山」のスケッチを見ることができます。私は『参海雑志』に描かれていたすべてのスケッチを見たいと思っているのですが、それはどのようにしたら可能なのか。『渡辺崋山集』には、「大正九年に稀書複製会から写真版が刊行された」とあり、おそらくそれに目を通せば全スケッチを見ることができると思われますが、まだ目を通してはいません。今のところ、私が見ることのできるスケッチ(風景・建物・お寺などの絵)や読むことのできる日記をもとに、その舞台を実際に歩いて訪れてみるというのが私の基本的なスタンスです。 . . . 本文を読む