鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2010.12月取材旅行「新川~江戸川~浦安」その10

2010-12-15 06:22:06 | Weblog
山本周五郎の代表作の一つ『青べか物語』には、浦安町は「浦粕町」として、江戸川(旧江戸川)は「根戸川」として登場します。北には田畑が広がり、東は海、西は「根戸川」が流れ、南には「沖の百万坪」と呼ばれる広大な荒地が広がっています。パンフレット「周五郎が愛した『青ぺかの町』」によると、「沖の百万坪」と呼ばれていた場所は存在しないが、境川が海に流れ込んでいる先に「十万坪」と呼ばれる海苔と貝の漁場があったという。昭和6年(1931年)に松井天山によって描かれた浦安俯瞰図により作成された地図(パンフレットに所載)を見ると、「大松」は新川橋の南詰にあり、その「大松」のところに町役場の建物が見える。その南隣にある神社が清瀧神社で、その鳥居前から境川に平行する形で延びる通りが、当時の浦安町の中心街で、たしかに多数の商店が軒を並べています。「天てつ」や「二十目食堂」、「浦安演技館」、「浦安亭」などもその通りに沿ってあります。「天てつ」は小説では「天鉄」として登場し、「二十目食堂」は「四丁目」として、「浦安演技館」は「浦粕座」、「浦安亭」は「浦粕亭」として登場します。「沖の百万坪」は、実際はそのような名前の土地はありませんでしたが、江戸川を少し下ったところの沿岸に広がっていた荒地であって、そこには貝の缶詰工場やその貝殻を原料とする石灰工場がありました。江戸川の流れが境川に入るところの北側には、「江戸川亭」や「吉野屋」、「喜代川」などがあり、その「吉野屋」の北側の江戸川べりの河岸が「蒸気河岸」。「江戸川亭」は「根戸川亭」、「吉野屋」は船宿「千本」、「喜代川」は小料理屋「喜世川」として登場します。「蒸気河岸」については、パンフレットに次のように記されています。「三方を川と海に囲まれた浦安では、もっぱら船による水上交通に頼っており、当時、蒸気船は東京と浦安を結ぶ唯一の交通機関であった。猫実5丁目の江戸川に面した一角は、その蒸気船の発着場所であったことから、『蒸気河岸』といわれていた。この作品の主人公は、この辺りに住んでいたので、町民から『蒸気河岸の先生』と呼ばれていた」。松井天山の浦安俯瞰図の境川には多数の舟が浮かび(あるいは往来し)、その両岸に沿って人家が並んでいますが、これが茅葺き屋根の比較的裕福な漁師の家であり、「旧大塚家住宅」もその中の一軒として描かれているはずです。 . . . 本文を読む