鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2010.12月取材旅行「新川~江戸川~浦安」その6

2010-12-10 06:21:29 | Weblog
渡辺崋山の『四州真景』については、芳賀徹さんの『渡辺崋山 優しい旅人』に詳しい。それによれば、崋山がこの旅に出立したのは文政8年(1825年)6月29日。数えで33歳の時。それまで崋山は、16歳の時と26歳の時に藩主に従って田原を往復し、29歳の時、鎌倉・江の島へ数日の小旅行をしていましたが、この「四州」の旅は彼にとっては初めての本格的な旅行でした。この時までに、画家崋山の名前は広く知られており、すでに『一掃百態』や『佐藤一斎像』などの作品がありました。しかし小藩の藩士としての生活は苦しく、「家財を質に入れ、借金を重ね、売り絵を描いて、かつかつにその日その日を支え」るような毎日でした。「たか」を妻に迎えた文政6年(1823年)には、「心の掟」という覚書を記していますが、それには両親にひもじい思いをさせないこと、そして「学問ヲシテ遠ク慮(おもんぱか)リ画ヲ書キテ急ヲ救フ事」といったことが書かれています。崋山にとって絵を描いて売ることは、日々の生活を支える手段でもあったのです。しかし文政7年(1824年)8月、崋山が孝養を尽くした父定通が死去。その心の痛手が、翌年の「四州」旅行という保養旅行へ赴く事情の背景にあったと思われます。 . . . 本文を読む