鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2008.12月「能見台~金沢八景」取材旅行 その2

2008-12-08 04:59:51 | Weblog
『明治日本旅行案内 東京近郊編』という本(東洋文庫/平凡社)があります。編著者はアーネスト・メイスン・サトウとアルバート・ジョージ・シドニイ・ホーズ。サトウというのは有名な幕末・明治期の外交官。ホーズというのは、『横浜周辺外国人遊歩区域図』の編集・作図者。2人ともイギリス人。この「東京近郊編」は、『明治日本旅行案内』の全ルート64の中から、東京近郊を巡る、ルート1、2、5、27、52を選んで構成したもの。その「ルート2」は「横浜とその周辺」であり、その中に「横浜から金沢、鎌倉、江ノ島へ」(P157~161)というのがあります。ここでは2コース(経路)が紹介されています。一つは「横浜→関→金沢→鎌倉→大仏→江ノ島」というコースであり、もう一つは「横浜→根岸→杉田→関→金沢→鎌倉→大仏→江ノ島」というもの。ここで本文では次のように書かれています。「後者の経路では杉田と関の間は俥が通れない。また前者の場合は全般に俥が使えるが、関以降では俥から降りて約3マイルを丘陵を越えて歩いた方がよいかもしれない。関までの道は非常に平坦である。横浜から二里七町のところで鎌倉へ直接通じる道〔四里〕が右側に分岐する。関で最良の旅宿は石川屋である。」この耳慣れない「関」という地名はどこか。調べてみると、現在の京急上大岡駅から「笹下釜利谷道路」に沿って南下。笹下(ささげ)というところに「関」という交差点があるのですが、そのあたり一帯が「関」という「金沢道」に沿った集落であり、「石川屋」などの旅宿や店などが軒を並べていたらしい。この関から金沢へ至る道筋は俥で行けないことはないが、丘陵を越える道なので(つまり関までのように平坦ではないので)、俥から降りて、およそ3マイル(約5キロ弱)の道のりを歩いて行く方がよいというのです。この関より10町(およそ1キロメートル)ほど先に進むと峰の円海寺に通じる右へと分岐する道があるけれども、そのすぐ先の丘から見える景色は、「水平線いっぱいに広がるパノラマの展望が得られるが当地域では群を抜いて見事なものである」と記されています。この地点は能見堂跡よりも手前で、能見堂跡とは違うようです。この地点へ私はまだ足を運んではいませんが、能見堂から見える景色とならぶような絶景が展開するところであったようです。ちなみに「俥(くるま)」とは人力車のこと。 . . . 本文を読む