うてん通の可笑白草紙

江戸時代。日本語にはこんな素敵な表現が合った。知らなかった言葉や切ない思いが満載の時代小説です。

寂しい写楽

2012年06月29日 | 宇江佐真理
 2009年6月発行

 山東京伝(伝蔵)の洒落本が寛政の御改革に触れ、身代半減、闕所の沙汰を受けた板元の耕書堂蔦屋重三郎は、東洲斎写楽なる無名の絵師の役者絵で、一世一代の大勝負に出る。

寂しい写楽 長編
 
 伝蔵(山東京伝)の洒落本3冊が寛政の御改革に触れ、伝蔵は手鎖50日、板元の耕書堂蔦屋は身代半減、闕所の沙汰を受けた。
 耕書堂蔦屋の主である重三郎は、起死回生の勝負を試みようとするが、子飼だった喜多川歌麿と瀧澤馬琴とは袂を分かち、看板戯作者の伝蔵は、吉原から身請けした女房を亡くしたばかりで、どうにも戯作に身が入らず、吉原の馴染みの妓の元に居続ける有様。
 そこで重三郎は、無名ではあるがこれまでにない視点と画風で役者を描く東洲齋写楽の大首絵に、伝蔵、春朗(鉄蔵)、幾五郎が背景を付けた豪奢な錦絵で大勝負に出る。
 実は、現在迄に発行されている宇江佐さんの著書(エッセイの「ウエザ・リポート」は除く)を読み尽くしてなお、触手をそそられなかった作品である。
 それは、以前も書いたが、宇江佐さんの魅力は、巧みな表現力と状況描写であり、それが、現存した人物を取り込んだ作品になると薄れてしまうからである。
 そういった意味で、宇江佐さんのライフワークとも言える、蝦夷松前物と絵師物は苦手である。史実を描いた部分が、下町市井物と筆が違い、何とも読み辛いのだ。それで敬遠していたのだが、いよいよ手にしてみた。
 滑り出しこそ、伝蔵のプライベートな話で頁をめくる手が動いたが、次第に登場人物の名前の複雑さに何度も手を止める事になった(自分だけだろうが)。
 資料的には宇江佐さんの表現で正しいのだろうが、出来れば私のような鈍い読者も考慮して名前は号で統一するとかして欲しかった。
 そして最大の要因は、アクト毎に語り手が変わる手法である。誰の視線で物語を読んで良いのやら、どうにも尻が座らない感が否めなかった。
 肝心の写楽は添え物的であるのは否めないが、伝蔵の視点で重三郎を描いていると思えば、歌麿だったり、幾五郎だったり…。
 そして前記したように、常であれば風景やら、心情やらで、胸に沁みる文や、奇麗な日本語の表現が必ずある宇江佐作品に、そのような部分が見当たらず、駆け足で書いた感もあったのが残念。
 宇江佐さんにとっては、書きたかった題材と思い、それを理解出来ない当方がファンと言っていいのか阻まれるが、やはり市井物が良い。
 最後に、 物語とは別に、これだけの江戸を彩る文化人が揃った作品は珍しく、その繋がりを不自然なく組み上げたあたりはさずがである。

主要登場人物
 伝蔵(=山東京伝)...戯作者、絵師
 蔦屋重三郎...板元耕書堂の主
 春朗(=鉄蔵)...後の葛飾北斎、浮世絵師
 幾五郎...後の十返舎一九、黄表紙、滑稽本作家
 倉蔵(瀧澤“曲亭”馬琴)...読本作歌
 直次郎(大田南畝)...後の蜀山人、狂歌師
 歌川豊国...浮世絵師
 斉藤十郎兵衛(東洲齋写楽)...浮世絵師、武士
 勇助(喜多川歌麿)...浮世絵師
 俵蔵(鶴屋南北)...歌舞伎役者、戯作者


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