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1990年10月発行
実存した人物に絡め、彼らに縁を持つ無名の者たちの、生き様を描いた短編集。
末期の茶碗
安兵衛の妻
破鏡の女
嘘じゃとて
真贋の月
鳴弦の娘
世外の剣
嫋々の剣
凶妻の絵
不義の御旗 計10編の短編集
末期の茶碗
豊臣秀吉の命により、切腹した千利休。その晒された首の傍らには、彼が末期の茶を嗜んだ黒茶碗が置かれていた。それを盗み、売り払おうとする喜三だったが、茶碗の中に利休の灰神楽が浮かび上がる。
主要登場人物
喜三...盗人
安兵衛の妻
赤穂浪士・堀部安兵衛の妻を名乗り、討ち入りの語り部として報酬を得ている妙海尼の夢は、孫の又蔵と安息に暮らす事であった。だが、又蔵は所帯を持ちたいと言う女(おふさ)が現れ、妙海尼に金子の無心を重ねるようになる。おふさに手玉の取られた又蔵は、それと気付くとおふさの情夫に殺害されてしまうのだった。
偶然にも最近、この方を主人公に据えた小説を良く読む。
主要登場人物
妙海尼(竹)...高輪泉岳寺境内に庵を結ぶ尼僧(堀部家下女)
又蔵...日本橋富沢町鞘師の弟子、妙海尼の孫
おふさ...小伝馬町小料理屋・魚半の女中、又蔵の情婦
破鏡の妻
賄を受け取り、藩の執政を思うままに手中にする家老・曽我権太夫の悪事を暴こうとして逆に若い藩士が命を失っていることに、心を痛める菅沼外記は、意を決して曽我権太夫を打ち自刃する。
だが、事実は遺恨と受け止められ、江戸藩邸に詰めていた馬廻り格小姓を務める嫡子・内記も切腹を申し付かる。
数年後、事実が明るみとなり、外記の名誉は回復するも、畹は出家のままひっそりと生きる道を選ぶ。
主要登場人物
菅沼外記(馬指堂・曲水)...近江国膳所藩本田家(康命) 中老、松尾芭蕉の高足
菅沼畹(破鏡)...外記の妻→尼僧
曽我権太夫...膳所藩本田家家老
嘘じゃとて
花鳥風月を愛でる弥右衛門は、塀越しに花を褒め讃える声の主・伊東大炊助が、いつか花を手折るのではないかと気が気ではない。
一方で、藩から借り受けた土地で薬草を栽培し治療に当たる町医者・佐和玄得から、土地の借用延長の申し出があり、藩内ではそれを認めない方針に動いていた。
だが、偶然に玄得の治療の場に居合わせた藤波弥右衛門は、その人物に感服し、認めるべきと動き出す。
そんな折り、玄得の全楽堂を視察した弥右衛門は、その薬草畑で甲斐甲斐しく働く愛娘の雪と大炊助の姿を目し、大炊助が弥右衛門が育てた一番美しい花(雪)を手折ったことに気付くのだった。
見掛けや地位ではなく、人の本随(心根)を問う一編。ラストシーンが鮮やかに脳裏に広がり、また弥右衛門の言葉に痺れます。
主要登場人物
藤波弥右衛門...美濃国大垣藩戸田家・勘定奉行所組頭
伊東大炊助...大垣藩戸田家郡奉行助・伊東彦十郎の三男
佐和玄得...鷹匠町全楽堂の町医者
真贋の月
祖父の代から京詰めだった桃田平十郎に、帰国の命が下された。折しも家中では、財政逼迫の折り、数十名に永御暇が出されると噂されていた。
身の振り方を危惧しながらも、国元に戻ると古書画の目利きである平十郎に藩庫に収められている茶具や書画を選別し、売り払って財政建て直しを計るという役目がくだされた。
平十郎が役目を全うし、名を高める傍ら、永御暇の人選は進み、扶持を失えば明日の暮らしにも困る下士の斎藤孫七の名もあった。しかも彼の姉・妙蓮尼は孤児たちの面倒を見ていると知るや、平十郎は藤原定家の贋作を造り、それを藩庫に戻すと本物を孫七に餞別として与えるのだった。
「あとはわたしの口先一つでごまかせる」。この台詞とエピローグが利いている明るい話である。
主要登場人物
桃田平十郎...美濃国大垣藩戸田家・京藩邸詰め呉服購い方下役
鳴弦の娘
家中仕置き替えにより、京藩邸にて永御暇を出された奈倉左兵衛兵は、娘の言栄と共に国元へは戻らず、京にて扇商・近江屋の扇に絵付けをしながら五条麩屋町明神社脇の長屋で生活していた。
そこに行き倒れの侍が見付かり、長屋を上げて看病すると、男は近江国膳所藩藩士・中山弥一郎であり、親の仇討ちのために国元を出て8年が過ぎていた。
国元の妹・雪於は、金策尽きついには借金のカタに身売りをしなくてはならないほどになっていた。
左兵衛兵は金策のため、三十三間堂にて催される余興矢に出場しようと言栄と共に稽古を重ねるが、長屋の家主・田島屋の隠居が家庭内の不破で首を括ろうとするのを助けると、言栄の弓を金銭絡みで汚したくはないと悟る。
中山弥一郎に仇討ちを諦めさせ、妹と生きる選ばせる。その兄弟のために覚えのある弓の大会で賞金を稼ぐ。ここまでのストーリは実に分かり易いのだが、田島屋の隠居の件からの終盤が理解し辛いと言うか、未だに理解出来ていない。文末は、妹の借金は弥一郎の腰の物(刀)でけりがつくだろうと結んでいるが、まあ、仇討ちを諦めれば刀もいらない訳だが…。
書評を読んだら、人間の幸福が身分や物質で量れるものではないといった、著者のメッセージだそうだ。我が考え方は、凡人たる凡人故。目から鱗であった。
主要登場人物
奈倉左兵衛兵...元美濃国大垣藩戸田家・祐筆下役
言栄...左兵衛兵の娘
中山弥一郎...近江国膳所藩藩士
世外の剣
父・左衛門の仇討ち本懐を遂げ、家名存続がなったものの、討った相手が人違いと分かり、藩を出され隠棲の日々を過ごす事を余儀なくされた宗伯。
その隠宅に、元同輩から、刺客に狙われる幼子・歌留を預けられるも、事情を知らされぬまま同輩は鬼籍に入る。そして十数年。またも刺客が歌留の命を付け狙う。
藩内の政治力により、命を危険に晒される先代藩主・氏教の庶子・歌留が真実を知るシーンは、行数を割いておらずさらりと流されているにも関わらず、実に印象深く、かつ重要な意味合いを持つ。こういった手法が澤田氏の巧さ並びに持ち味である。
主要登場人物
根来宗伯(根来武太夫)...大垣藩領春日村在住の薬草売り、元美濃国大垣藩戸田家江戸詰め祐筆・根来左衛門の嫡男
歌留...宗伯の孫娘、大垣藩7代藩主・戸田氏教の庶子
赤座弥右衛門...大垣藩戸田家普請奉行
天野甚左衛門...大垣藩戸田家城代
嫋々の剣
御附武士番頭として江戸から赴任中の浅野源太夫から、妾奉公を執拗に迫られている下級公家の娘・千佳。公家のプライドと、源太夫の卑劣な手段を晴らすため、源太夫の誘いに乗ったと思わせ、意外な行動に出る。
公家が実は、吉岡流小太刀の名手であり、彼らはそれを隠し軟弱を装っている。澤田氏の作品は、史実の説明の箇所が難解であるのだが、それでも読むのを止められないのは、こういったこれまで知る事のなかった史実を織り込んでいるためであり、大変興味深い。
そう聞かされてみれば、戊辰戦争の折り、有栖川宮熾仁親王が自ら東征大総督の職を志願したり、姉小路公知が朔平門外で暗殺された折り、太刀持ちが逃げ刀がないまま、笏で立ち向かっている事が理解出来る。
単なる権力を握ったエロ武士の話ではなく、深さを感じた。
主要登場人物
池尻千佳...定孝の娘
池尻定孝...勧修寺十三家・従三位・御蔵米公家
勘兵衛...池尻家の下男
浅野源太夫...御附武士番頭、幕府旗本
凶妻の絵
貧乏旗本の三男だった弥十郎は、小普請組の旗本・太田定於の二番目の夫として婿養子に入った。だが、先の夫が逃げ出した訳を思い知る事になる。定於には情を通じた男がおり、夫と寝間を共にしようとはしないのだ。
不貞の妻を江戸に残し、京に赴任なった弥十郎は、日々妻への恨みが募り、習い覚えた「江戸琳派」の絵にて、妻への怒りを絵巻物にして送り付けるつもりでいた。
そんな矢先、弥十郎が幼い頃より使えている下男の与惣に付き添われて、定於が京に現れる。
妻の不貞をあからさまに罵れない、怒りを露に出来ない立場の弥十郎が、それを絵にする。この時の心境は、妻の改心を願うのか、それとも全てお見通しだと、妻を追い詰めるのか…。
受け取った後の妻の心境、行動を描いて欲しかったが、陰惨な結末ではなく、発展的な終わり方なので、後味は良い。
主要登場人物
太田弥十郎...二条御門番、幕府旗本・小普請組、太田家婿養子
与惣...老僕
太田定於...弥十郎の妻
不義の御旗
幕末、和親条約が結ばれ、絹糸の値段が高騰。西陣の織屋も次々に廃業を余儀なくされていった。老舗・丹波屋もご多分に漏れず、先祖伝来の美術品を売り払い、奉公人を解雇しながらも、細々と暖簾を掲げている有様だった。
弥兵衛は、元奉公人の彦七が、病いで死に掛けた娘に粥を食べさせたいといった無心を断りながらも、妾を囲うくらいには金銭的に余裕もあった。
そんなある日、薩長から、錦の紋織物の依頼が高機八組(織屋組合)にもたらされる。薩長と幕府との戦を予感し、高機八組は断りを入れるが、弥兵衛はただひとりそれを受け入れるのだった。
錦の御旗誕生秘話である。確かに、誰かが織らなければ新政府軍が御旗誕を掲げる事は出来なかったのだが、思いもよらない内容だった。読めば納得の話である。
そしてもうひとつの話は、妾には惜しみなく金を使いながらも、元奉公人には僅かな金も与えない弥兵衛。物語上、それなりの酬いを受けるのだが、意地悪く断りながらも、その一方では自責の念に駆られる弥兵衛の心境が、手に取るように分かる話である。誰もが思い当たるような話ではないだろうか。
主要登場人物
丹波屋弥兵衛...上京笹屋町・織屋の主
雪園(おとめ)...弥兵衛の妾、祇園の芸妓、元丹波屋の奉公人
彦七...元丹波屋の織職人
読破までにかなりの時間を要した一冊。澤田氏の作品は、難しい。先にも書いたが、史実の説明部分を読解するのが困難なのだ。そして読み終えて「おやっ」と思う話もままあるのだが、それが実は「おやっ」は読み手の当方がつたない故であり、澤田氏の本意を知れば知るほど、その深さに感銘を覚えるのだ。
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