うてん通の可笑白草紙

江戸時代。日本語にはこんな素敵な表現が合った。知らなかった言葉や切ない思いが満載の時代小説です。

お腹(はら)召(め)しませ

2013年03月07日 | 浅田次郎
 2006年2月発行

 作者自身が祖父から聞かされた、思い出話などを基に執筆された、幕末から明治維新期を舞台の時代短編小説集。

お腹召しませ
大手三之御門御与力様失踪事件之顛末(おおて さんのごもん およりきさま しっそうじけんのてんまつ)
安藝守様御難事(あきのかみさま ごなんじ)
女敵討(めがたき うち)
江戸残念考
御鷹狩 計6編の短編集

お腹召しませ
 家督を継がせた入り婿の与十郎が、藩の公金に手を付けた上、新吉原の女郎を身請けし逐電してしまった。舅の高津又兵衛は、家名を守るためには「腹を切るしかない」と、上役から暗に諭されるも、まだ45歳の身を思うと踏み切れずにいた。
 さらには、妻と娘はと言えば、家を守るためならと、いともあっさり「お腹召しませ」とせっつく始末。
 唯一、勝俣家から与十郎に従い高津家に入った老中間の久助のみが、家名よりも大切な命などあるものか。腹を切った者のみが馬鹿を見ると、進言するのだが、又兵衛は…。
 全てを悟っていた久助の手配で、死に装束の侭、走り出した又兵衛。江戸を離れる与十郎の姿を目の前にし、縛り付けられない与十郎の方がまともに写り、武士道とは何か、命と引き換えにする家名の重さとはを又兵衛は知り、家名を捨て生きる道を選ぶ。

 又兵衛の切腹は外堀から固められていく。こんな理不尽にも武士たる者、腹を斬らなくてはならないなんて…。「止めて」と叫びたくなるほどであった。
 が、物語は、死に装束の又兵衛が江戸を走り、それを目にした町人が腰を抜かしたりと、どこか滑稽さを醸し出し、又兵衛の決断は、妻子を喰わせていけばいいんだろうと、結局はそういう事だと言わんばかりに、悲しい結末にはならずにほっと胸を撫で下ろした。

主要登場人物
 高津又兵衛...隠居、元小藩江戸定府役・勘定方八十石
 久助...勝俣家より与十郎に付けられた中間
 千世...又兵衛の妻
 菊...又兵衛の娘、与十郎の妻
 勝俣十内...与十郎の実父、譜代三百石旗本
 高津与十郎...又兵衛の娘婿、江戸定府役・勘定方

大手三之御門御与力様失踪事件之顛末
 御百人組の横山四郎次郎の姿が、詰め所である大手三之門から忽然と消えたと、御組頭の本多修理太夫から聞かされた長尾小源太。三之門は言わば大きな密室状態であり、神隠しとしか思えないでいたが、行方知れずになってから5日目、横山が己の屋敷の門前に倒れ伏していた。
 5日間の記憶もなく、やはり天狗の仕業であったかと収まりかけていた矢先、四郎次郎が昵懇である小源太だけに全てを打ち明けるのだった。
 恋仲であったが家のために添えなかった娘・お咲が、内藤新宿の岡場所で女郎に身を落とし、幾許もない命ながら、四郎次郎に死に水を取って欲しいと願っていると知ったがため、神隠しを装った四郎次郎。
 御徒の出である四郎次郎が、水練に長けていると推理する修理。己も、水練を学び神隠しに合うと決めるのだった。

 脇役ではあるが、本多修理太夫の存在が光る。四郎次郎の失踪をほかには告げずに内密に済ませたり、果ては、誰にでもひと時ばかり人目をはばかり済ませたい事柄があろうといった姿は、ウィツトに飛んだ正に理想の上司と言えよう。
 
主要登場人物
 長尾小源太...百人組二十五騎組(青山組)馬上与力
 横山四郎次郎...百人組二十五騎組(青山組)馬上与力
 本多修理太夫...百人組青山組御組頭
 道庵...塩丁の蘭方医

安藝守様御難事
 浅野安芸守茂勲は、老いた御側役に「斜籠の稽古」と言われるままに、広敷から夜盗のごとく逃げる稽古をさせられていた。目的が分からない茂勲は、曾祖母にあたる御住居様に話を聞こうとするも、斜籠については語れぬと、たださめざめと泣くばかり。謎は恐怖へと変わり、茂勲はますます不安を募らせるが、側役から真夜中に老中の屋敷で斜籠を披露下されと言われる。分かったふりをして事に臨もうとするが、果たして斜籠の儀とは……。賄賂のための隠密行事だった。

 いち藩士から、あれよあれよと藩主の坐に収まった茂勲に、ただならぬ出来事が。ミステリー仕立てで、真相が溶けるのだが、何とも面子を重んじるが故の所行であったというおちである。
 ただ、怖い結末にならずにこちらの話も胸を撫で下ろした次第。ぽかんとする茂勲の顔が浮かぶような幕切れだった。

主要登場人物
 浅野安芸守茂勲...芸州広島藩14代藩主
 御住居(末姫)...11代藩主・安芸守の妻、11代将軍・徳川家斉の息女

女敵討
 国元に妻を残し江戸勤番に就いた奥州財部藩士・吉岡貞次郎は、大した勤めもないまま2年半が過ぎていた。
 そんなある日、国元から江戸屋敷へ赴いた御目付役・稲川左近が、貞次郎の妻の不貞告げ、すぐに国元に帰り女敵を討ち果たせと言う。顔も知らぬまま結婚した仲とはいえ、14年連れ添った妻である。しかも貞次郎は、妻が夫を待ちわびているであろう間、江戸で妾との間に子を成していた。
 結果、貞次郎は妻を情夫と共に逃がすが、そこに居合わせた左近が、女敵を討ちを認める。
 締めは、息子を吉岡家の跡取りに差し出し、自らは身を引こうとする妾のおすみが、貞次郎を訪う。

 貞次郎の苦悩と平行し、おすみの苦悩も描かれ、息子・千太の将来を思うばかりに、女手ひとつの貧乏を味合わせたくないと、手放す決意をするのだ。
 一方の貞次郎は、妻を逃し、己の代にての御家断絶は元より、後は侘しくひとり生きる覚悟を決めるが、思いもよらないハッピーエンドに終わろうとして、作者は筆を置いた。

主要登場人物
 吉岡貞次郎...奥州財部藩江戸中屋敷・徒士組組頭
 稲川左近...財部藩目付役
 おすみ...貞次郎の妾
 ちか...貞次郎の妻
 きさぶ...ちかの情夫、札差の番頭

江戸残念考
 慶応4年の正月。代々御先手組与力を務める浅田次郎左衛門が、年賀の挨拶回りに出かけようとしたところ、祖父の代からの郎党・孫兵衛が、薩摩・長州と戦になるやも知れぬという情報を仕入れてくる。数日後、徳川慶喜が鳥羽・伏見から逃げ帰って来たと告げる。江戸は無様な結果に曝され、「残念無念」と言うのが流行っていく。
 そして、鳥羽・伏見に参戦しながらも生き延びた事や、徳川のために戦に出ない事を不忠と後ろ指を指され、若き婿が無下に命を失わないために、次郎左衛門は自ら、上野の山に参戦するのだった。

 「残念」、「無念」このふた言が、悲壮感を払拭しているが、実は負け戦に投じる悲しい物語である。
 作者のシャープな筆が、鳥羽・伏見から逃げ帰った慶喜を痛烈に批判し、登場人物に「会津公に御政道を任せるべきだった」と言わせているあたりがスカッとする。

主要登場人物 
 浅田次郎左衛門...先手組(弓組)馬上与力・百五十石
 孫兵衛...浅田家の郎党
 石川直右衛門...先手組、次郎左衛門の娘婿

御鷹狩
 檜山新吾、間宮兵九郎、坂部卯之助ら、前髪立ちの若者3人は、頬かむりという出で立ちで、薩長の田舎侍に抱かれる江戸女は許せないと、御鷹狩りと称し、夜鷹狩りに出向き、夜鷹を4人死に至らしめた。
 だが、意外なところから新吾らの犯行は明らかになるも、混乱の幕末、事は穏便にも済まされようとしていた。
 妾腹の子である新吾が、疎まれて育った事を歯がゆく思う嫡子である兄の小太郎は、そんな弟が不憫でならず、再び夜鷹狩りに出向く新吾の跡を付けるのだった。

 腹違いの弟・新吾を思いやる兄・小太郎の幼年期の回想シーンがぐっとくる。新吾をおぶい、「里子に出されそうなので連れ帰った」と、母にも渡さず逃げ回るシーンは、全作品中で、目頭が熱くなった。
 そして、これまでの5編。悲惨な話がなく、徳川崩壊の最大の時期ありながらも、どことなく、面白味を感じていたが、この物語のみ、殺人といった怖さが込められている。
 だが、作者は兄弟愛、母子愛を伝えたかったのか、終焉は、思わぬ展開で奇麗に収まった。

主要登場人物   
 檜山新吾...新番組・檜山孫右衛門の庶子(二男)
 檜山小太郎...檜山孫右衛門の嫡男、新吾の異母兄
 間宮兵九郎...大番組士の惣領息子
 坂部卯之助...新番組士の息子
 五郎蔵...地場の貸元
 おつね...夜鷹
 田丸...仮牢の番役同心(元牛込定町廻り同心)

 作者の浅田次郎氏が、祖父との貧しい2人暮らしだった少年期に、祖父から聞き及んだ昔話を、自身の見直に掛け合わせて描いた6編。
 時代小説部分に入る前後には、それにまつわる現代の話が組み込まれている。
 読み終えて…書ける人は描ける。ミステリーや情にユーモアを加えながらも、伝える重さは重厚。
 「昔のおさむれえてえのは、それほど潔いもんじゃあなかった」。と書かれた表紙の帯に言葉だが、読み始める前は、ユニークさが醸し出されていたが、読み終えると、ずんと重く伸し掛かる。
 笑いの中に、軽いタッチで筆を進めながら、その実は、死と背中合わせ=理不尽な武士道や、命の重さ、人としての生き方などを説いている、深い作品と受け止めた。
 「御鷹狩」の項でも書いたが、後味の悪い悲惨なシーンがなく、暗にお涙頂戴に走らない辺りに、作者の手腕の凄さを見せ付けられたと同時に、読んでいて安心出来たのだが、「御鷹狩」の夜鷹斬りのシーンが噛んでしまったのが残念。
 切腹、仇討ち、極刑、戦などの非豪さを露にせずとも、胸を打つ作品は描けると言った代表ではないだろうか。
 また余談であるが、江戸の旗本・御家人の住まいや、千代田の城の佇まいなど、江戸の様子を明確に現しており、我が書棚の永久保存版に収める事とした。



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