岡田秀文
2009年3月発行
謎に満ちた事件を、たちまち解決する豪腕ぶりだが、それは稀で、弱みを握られれば骨までしゃぶられ、些細な借りを作ればいつまでもたかられる。悪漢岡っ引き・源助の活躍を描く痛快捕物帖。
山谷堀女殺し
井筒屋呪いの画
猿屋町うっかり夫婦
下谷町神隠し三人娘
元吉町の浮かび首
富次郎の金壷
茅町伊勢屋の藤十郎 計7編の連作
山谷堀女殺し
山谷堀の岸で女の死体が見付かった。別居中の夫が下手人として捕らえられるが…源助は、遺骸の頭だけが河に入れられていた事に不信を抱く。
井筒屋呪いの画
井筒屋徳兵衛から家宝の掛け軸を盗賊の手から守ってほしいと頼まれた源助。掛け軸を守る事は適ったものの、盗賊が予告した晩に井筒屋の妻が変死。
猿屋町うっかり夫婦
吾妻橋近くの川岸で、金貸しの甘太郎の死体が発見される。甘太郎の弟の指物師・亀治郎と、扇屋のうっかり夫婦に事件を引っ掻き回され、さすがの源助も…。
下谷町神隠し三人娘
下谷小町と囃される材木屋の娘が2人、神隠しに遭った。次に狙われるのは材木屋南山の娘と睨んだ源助は用心棒を買って出るが、件の娘は女相撲のような風体で。
元吉町の浮かび首
遠縁の父娘が妖術師に入れ込んでいる事を安じる、古着屋のおまさから相談を受けた平太は、御霊会に参加し、そこで胴が離れ浮いた首がご託宣を述べるのを目の当たりするのだった。
富次郎の金壷
金江富治郎殺害の下手人・おトシが語る、己の身に起こった半生と、誰も知らない罪の数々。
茅町伊勢屋の藤十郎
22年前に匂引に遭った息子の藤十郎と名乗る若者が、突如として茅町の太物屋伊勢屋に現れた。それを小耳に挟んだ源助は、礼金目当てに首を突っ込むのだった。
「山谷堀女殺し」、「井筒屋呪いの画」を読んだ限りでは、共鳴出来る作品でもなく、目新しさと言えば、主人公が善人ではなく小狡い辺りか…としか思わなかった。
だが、「猿屋町うっかり夫婦」で一転。前2作は三人称だが、この作品は扇屋の惣左衛門の語り部で口火を開き、続けて女房のお吉の一人称に続く、ラストに思わなぬ結末を、読者に暗示させて終わっている。この作品から俄然読む気が起き始めた。
続く「下谷町神隠し三人娘」は三人称だが、洗練されて読み易くなっている。
「元吉町の浮かび首」は、平太を、「富次郎の金壷」は、おトシを語り部にといった趣向で趣を変えている。
初出(書かれた順序)からみると、三人称物が早く、後に一人称に変えたようだ。そして作者は、一人称が得意と見た。
そして、最終章の書き下ろし「茅町伊勢屋の藤十郎」は、二重の落ち。大どんでん返しであった。
「事件を闇に葬ったことが伊勢屋にとって幸運だったのか、もっと大きな新しい不幸の始まりだったのか、…」。この最後の2行は笑わせてくれる。
強請、たかりは当たり前。人の弱味に付け込む、悪漢(わる)岡っ引きの源助だが、見逃す部分は心得ているなど、真底悪党ではなく、手下の平太には、推理させるなど、後進を育てる意気込みも示している。
が、そんな源助に相反し、きりりとした男前で義を尊び、不正を憎み、弱気を助ける岡っ引き長太郎の縄張りで暮らしたいとは思うが、手柄を立てるのは何故か源助。この主人公、悪知恵ばかりではなく、頭は切れるらしい。
そして、最終章でのラストでよくよく考えると、源助に集り、強請(ゆすり)を受けるには、それなりの訳があり、遅かれ早かれ身代没収となりうる分限者。お上に没収されるか、源助かの違いなのだろう?? そうか?
作者の、謎解きの巧妙さは秀でている。「成る程」と手を打つ程であった。特に「茅町伊勢屋の藤十郎」は面白い。
※出版社さん。誤植には気を付けましょう。おやおやと思いました。
主要登場人物
源助...浅草西仲町の岡っ引き
平太...源助の手下
長太郎...浅草東仲町の岡っ引き
目方喜三郎 定町廻り同心
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2009年3月発行
謎に満ちた事件を、たちまち解決する豪腕ぶりだが、それは稀で、弱みを握られれば骨までしゃぶられ、些細な借りを作ればいつまでもたかられる。悪漢岡っ引き・源助の活躍を描く痛快捕物帖。
山谷堀女殺し
井筒屋呪いの画
猿屋町うっかり夫婦
下谷町神隠し三人娘
元吉町の浮かび首
富次郎の金壷
茅町伊勢屋の藤十郎 計7編の連作
山谷堀女殺し
山谷堀の岸で女の死体が見付かった。別居中の夫が下手人として捕らえられるが…源助は、遺骸の頭だけが河に入れられていた事に不信を抱く。
井筒屋呪いの画
井筒屋徳兵衛から家宝の掛け軸を盗賊の手から守ってほしいと頼まれた源助。掛け軸を守る事は適ったものの、盗賊が予告した晩に井筒屋の妻が変死。
猿屋町うっかり夫婦
吾妻橋近くの川岸で、金貸しの甘太郎の死体が発見される。甘太郎の弟の指物師・亀治郎と、扇屋のうっかり夫婦に事件を引っ掻き回され、さすがの源助も…。
下谷町神隠し三人娘
下谷小町と囃される材木屋の娘が2人、神隠しに遭った。次に狙われるのは材木屋南山の娘と睨んだ源助は用心棒を買って出るが、件の娘は女相撲のような風体で。
元吉町の浮かび首
遠縁の父娘が妖術師に入れ込んでいる事を安じる、古着屋のおまさから相談を受けた平太は、御霊会に参加し、そこで胴が離れ浮いた首がご託宣を述べるのを目の当たりするのだった。
富次郎の金壷
金江富治郎殺害の下手人・おトシが語る、己の身に起こった半生と、誰も知らない罪の数々。
茅町伊勢屋の藤十郎
22年前に匂引に遭った息子の藤十郎と名乗る若者が、突如として茅町の太物屋伊勢屋に現れた。それを小耳に挟んだ源助は、礼金目当てに首を突っ込むのだった。
「山谷堀女殺し」、「井筒屋呪いの画」を読んだ限りでは、共鳴出来る作品でもなく、目新しさと言えば、主人公が善人ではなく小狡い辺りか…としか思わなかった。
だが、「猿屋町うっかり夫婦」で一転。前2作は三人称だが、この作品は扇屋の惣左衛門の語り部で口火を開き、続けて女房のお吉の一人称に続く、ラストに思わなぬ結末を、読者に暗示させて終わっている。この作品から俄然読む気が起き始めた。
続く「下谷町神隠し三人娘」は三人称だが、洗練されて読み易くなっている。
「元吉町の浮かび首」は、平太を、「富次郎の金壷」は、おトシを語り部にといった趣向で趣を変えている。
初出(書かれた順序)からみると、三人称物が早く、後に一人称に変えたようだ。そして作者は、一人称が得意と見た。
そして、最終章の書き下ろし「茅町伊勢屋の藤十郎」は、二重の落ち。大どんでん返しであった。
「事件を闇に葬ったことが伊勢屋にとって幸運だったのか、もっと大きな新しい不幸の始まりだったのか、…」。この最後の2行は笑わせてくれる。
強請、たかりは当たり前。人の弱味に付け込む、悪漢(わる)岡っ引きの源助だが、見逃す部分は心得ているなど、真底悪党ではなく、手下の平太には、推理させるなど、後進を育てる意気込みも示している。
が、そんな源助に相反し、きりりとした男前で義を尊び、不正を憎み、弱気を助ける岡っ引き長太郎の縄張りで暮らしたいとは思うが、手柄を立てるのは何故か源助。この主人公、悪知恵ばかりではなく、頭は切れるらしい。
そして、最終章でのラストでよくよく考えると、源助に集り、強請(ゆすり)を受けるには、それなりの訳があり、遅かれ早かれ身代没収となりうる分限者。お上に没収されるか、源助かの違いなのだろう?? そうか?
作者の、謎解きの巧妙さは秀でている。「成る程」と手を打つ程であった。特に「茅町伊勢屋の藤十郎」は面白い。
※出版社さん。誤植には気を付けましょう。おやおやと思いました。
主要登場人物
源助...浅草西仲町の岡っ引き
平太...源助の手下
長太郎...浅草東仲町の岡っ引き
目方喜三郎 定町廻り同心
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