しろくま日記

読んだ本の感想を記録してみたいと思います。
なんだか忘れてしまうので。

星新一1001話をつくった人 上・下 最相葉月著 新潮文庫

2018-01-07 | 日本SF
これまた「覆面座談会事件」がらみで読んだのですが、本作は単行本(2007年)が出たとき話題になったこともあり単行本を買って読みました。

当時嫁が子ども(当時5歳)を連れて田舎(那須)に帰っていて、金曜日夜早く帰って準備して土曜日早朝から向かう予定が...。

会社帰りについ本書を買ってしまい読み始めてしまったら止まらず、ほぼ徹夜となり大変なことになった記憶があります。

星新一作品やらエッセイやらを小・中学生の時むさぼるように読んだ自分としてはとてもとても途中で止めることのできない内容でした。
単行本

本書は第34回大佛次郎賞、第29回講談社ノンフィクション賞、第28回日本SF大賞、第61回日本推理作家協会賞評論その他の部門、第39回星雲賞ノンフィクション部門を受賞しています。

著者の最相葉月氏は1998年に「絶対音感」がベストセラーになっていますが、本作が最高傑作といってもいいのではないでしょうか。
(他読んでいないのでいい加減ですが...。)

今回の読み直しに当たっては持ち歩きを考慮し文庫版を入手しました。
文庫本


内容紹介(裏表紙記載)
上巻
「ボツコちやん」「マイ国家」など数多くのシヨートシヨートを生み出し、今なお愛される星新一。森鴨外の血緑にあたり、大企業の御曹司として生まれた少年はいかなる人生を歩んだのか。星製薬社長となった空白の六年間と封印された負の遺産、昭和の借金王と呼ばれた父との関係、作家の片鱗をみせた青年時代、後の盟友たちとの出会い——知られざる小
説家以前の姿を浮かび上がらせる。

下巻
セキストラ」でのデビユー後、ドライでウイツトに富んだシヨートシヨートは多くの読者を獲得する。膨れ上がる人気のー方で、新しすぎる個性は文壇との間に確執を生んでいた。そして前人未到の作品数を生み出す中、星新一自身にも、マンネリ化ヘの恐怖が襲いかかることに。本人と親交のあった関係者134人ヘの取材と、膨大な遺品からたどる、明かされることのなかった小説家の生涯。


今回の読み直しも通勤だけでなく家に帰っても止まらずで一気読みしてしまいました。
(3-4年前にも風邪ひいて寝ている時ふっと途中から読んだら止まらなくなり徹夜しそうになって危なかったことがあります....)

「星新一」の魅力だけでなくこの作品の持つ魅力なんだと思います。

この作品の魅力は...。
とはいってもまずは「星新一」であることは間違いないでしょう。
「星新一」というポピュラーでありながらちょっと不思議な独特のポジションにある人というのがなんとも絶妙な選択です。

同じ日本SF作家御三家でも小松左京だと俗っぽくなりそうだし、筒井康隆だと文学論・作品論に終始することになりそうです。

星製薬の御曹司かつ作家として独特なポジションにいた「星新一」というのが良かったんでしょうねぇ。
今回この記事を書くのにAmazonの感想やらを見返しましたが、小中学生の頃夢中になって星作品を読んで、高校-大学と進むにつれて「卒業」し「忘れ」ていく人のなんと多いことか...。

「一般的」にはどうかしれませんが日本の子供のころからの「読書好き」な人間のかなりの割合に同様な人がいそうです。
(少なくと60-80年代生まれの人、70年生まれの私もそうです。)
「卒業」した人にとっては、昔お世話になった恩人を懐かしむ気持ちと、「忘れていた」そこはかとない罪悪感とがないまぜになった気分があるんじゃないかと思います。

今の小中学生に読まれているかは残念ながら自分の子供が2人とも字の本あまり読まないのでわかりませんが....。
いまでもかなり星作品が新潮文庫でラインアップされていることを考えると読まれているんでしょうねぇ。

ただ本作の魅力はそれだけでなく、星新一自身の著作でも描かれている星製薬の創業者・父である「星一」、当時のSFファンの間でも放言好きな「長老」、ショート・ショートの名人、面白い発想の人と感じさせるエッセイでイメージがついている「星新一」をていねいな取材を基に「出来うる限り」客観的に再構成していることにあるとも思います。

アメリカ帰りで「近代的経営」を掲げながらも後藤新平と関わり衆議院議員にもなったりと商売と政治を密接に関わらせて事業を伸ばし、社内ではワンマンで後継者を全く育てられなかった星一像というのは「星新一」の描くものとは全然別物ですし、当時の経営者としては当たり前だったかもしれない「隠し子」やらの存在もそれなりにショッキングでした。

また晩年の新一の文壇から評価されないあせり、文学賞に恵まれなかった憤慨、筒井康隆の文学賞受賞パーティーで口汚くののしる星新一像も従来のイメージとかけ離れたものだと思います。
この辺は島田雅彦とのエピソードやら弔辞で筒井康隆が「文壇が評価しなかった」ことをわざわざ触れていることからもまぁそんな面もあったんだろうねなぁとも思います。
”星さんの作品は多くの教科書に収録されていますが、単に子どもたちに夢をあたえたというだけではありませんでした。手塚治虫さんや藤子・F・不二雄さんに匹敵する、時にはそれ以上の、誰しもの青春時代の英雄でした。お伽噺が失われた時代、それにかわって人間の上位自我を形成する現代の民話を,日本ではたった一人,あなたが生み出し、そして書き続けたのでした。そうした作品群を,文学性の乏しいとして文壇は評価せず、文学全集にも入れませんでした。なんとなく、イソップやアンデルセンやグリムにノーベル文学賞をやらないみたいな話だなあ、と、ぼくは思ったものです。”
(収録されている「不滅の弔辞」は手に入れているのですが...感想は書いていません)
気になったので星新一の受賞歴調べてみたのですが....。
元ネタwikipedia
・1968年ショートショート集『妄想銀行』で第21回日本推理作家協会賞を受賞。
・1981年「マンボウ・マブゼ共和国」文華勲章が授与。
・1998年 第19回日本SF大賞特別賞受賞(死後)
これほどの「大作家」にしては異常に少ない。
「マンボウ・マブゼ共和国」文華勲章は受賞歴なのか....「?」です(笑)

SFファンが贈る「星雲賞」については”ただし、1983年の「ショートショート1001編を達成」を機に、翌1984年夏の日本SF大会で、日本SFファングループ連合会議議長の門倉純一の提案で「星雲賞特別賞」授賞。実際に授賞式まで行われたが、星の側が受賞を拒否。「幻の星雲賞」となった。”という事情はあり”後年、手塚治虫、矢野徹、米澤嘉博、野田昌宏、柴野拓美、小松左京らは死去した際に星雲賞特別賞を受賞したが、星の死去時は授賞されなかった。”
との事情があったようです。なかなか難しい....。(本書にもこの辺書かれていますが...)

ちなみに筒井康隆の受賞歴(これもwikipedia
・1970年 「霊長類南へ」で第1回星雲賞(長編部門)「フル・ネルソン」で同賞(短編部門)受賞。
・1971年「ビタミン」で第2回星雲賞(短編部門)受賞。
・1974年 「日本以外全部沈没」で第5回星雲賞(短編部門)受賞。
・1975年「おれの血は他人の血」で第6回星雲賞(長編部門)受賞。
・1976年「七瀬ふたたび」で第7回星雲賞(長編部門)「スタア」で同賞(映画演劇部門)受賞。
・1977年「メタモルフォセス群島」で第8回星雲賞(短編部門)受賞。
・1981年「虚人たち」で第9回泉鏡花文学賞受賞。
・1987年「夢の木坂分岐点」で第23回谷崎潤一郎賞受賞。
・1989年「ヨッパ谷への降下」で第16回川端康成文学賞受賞。
・1990年 ダイヤモンド・パーソナリティー賞受賞。
・1991年 日本文化デザイン賞受賞。
・1992年(平成4年)「朝のガスパール」で第12回日本SF大賞受賞。
・1997年 神戸市名誉市民勲章受章。
    フランス・芸術文化勲章シュバリエ章叙勲。
    フランス・パゾリーニ賞を受賞。
・1999年「わたしのグランパ」で第51回読売文学賞受賞。
・2002年「 紫綬褒章受章」
・2010年 第58回菊池寛賞受賞。
・2017年 毎日芸術賞受賞。

星新一とくらべて「・・・・」どうでしょう?嫌味の一つも言いたくなる気持ちもわからないではないです。

ちなみに小松左京(これもwikipedia
・1971年 「継ぐのは誰か?」により第2回星雲賞(長編部門)受賞。
・1973年 「結晶星団」により第4回星雲賞(短編部門)受賞。
・1974年 「日本沈没」により第27回日本推理作家協会賞・第5回星雲賞(長編部門)受賞。
・1976年 「ヴォミーサ」により第7回星雲賞(短編部門)受賞。
・1978年 「ゴルディアスの結び目」により第9回星雲賞(短編部門)受賞。
・1983年 「さよならジュピター」により第14回星雲賞(長編部門)受賞。
・1985年 「首都消失」により第6回日本SF大賞受賞。
・2007年 城西国際大学より、名誉博士号授与。
・2011年 第42回星雲賞特別賞受賞
・2011年第32回日本SF大賞特別功労賞受賞。
SFファンに愛されていたのがよくわかります。

「星新一」は果たして「???」ですが....。

本作ではその辺のところの記述「悲劇」サイドに寄り過ぎている感はありますが...、まぁ完璧な「真実」を文章に著すというのは不可能かと思いますのでこれはこれでありかと。

無難に「偉大な実業家の息子として生まれた人物が挫折を経て、有名作家に。その作品はいまも変わらず読み継がれています。」というように纏められるよりも全然よかったとは思います。

いろいろありながらも自らの作品の手直しに執念を燃やし続ける晩年の星新一の姿は胸に迫るものがあり(月並みな表現だ....)ちょっとくらいのイメージを変化する描写では、「読書」の喜び、「物の見方」の基本を教えてくれた偉大な「星新一」に対する自分の思いは変化しないことがわかります。

ただここに書かれている星新一像、実業家向きではないんだろうなぁとは思いました....。
「俗っぽさ」なさすぎです。

俗っぽさ(別に筒井康隆を非難しているわけではないです)があれば文学書向きの作品もしくは「作品集」くらいいつでもできたらしいし、根回しもできたような気がするのですが.....。

そこがまた読み継がれる所以なんでしょうね....。

ちなみに「覆面座談会事件」については記載はありますが...星新一がメインではないので一般的なものにとどまっています。(蛇足ですが....)


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