8月以来久しぶりの長崎でのアウトリーチ。
今回は地元のアムールと柴田さんで3校で合計4回。二組とも比較的パターンが出来ているのである意味安心。今回は学校の先生の準備で嬉しいことがいくつかあった。最初の学校は私立の精道小学校(女子)で、ここでアムールは「サウンド」をやることにしていたのだが、先生はちょうど「私の好きなもの」という題で作った子どもたちの絵を音楽室の後ろに並べてくれていた。惜しむらくは絵を描いたのは6年生、聴いたのは3,4年生。6年生にも聴かせたかったと言っていたけれど,それはそうだろう。なかなかうまく行かないものだけれど、でも絵が飾ってあるだけでずいぶんと雰囲気が出るものだ。ここの3,4年生の子どもたちのキラキラした反応は特筆に値するとおもう。まあ、アウトリーチの目的はそれだけではないのだけれど・・・。
柴田さんが行った橘小学校では、昨年先生向けのアウトリーチ(講習)で高橋多佳子さんの演奏を聴きました・・という先生。この学校は校長先生の方針で音楽は担任の先生がやるべきだという考えなのだそうだ。ある意味、前向きに捉えることも出来る理屈ではあるけれども・・。だから、この女性の先生は元々は音楽専任だったのだけれど今はクラスを持っているとのこと。忙しくて音楽室の片付けが行き届かないことを気にしていた。今のご時勢では巨大校といっても良い全校で31クラス850名ほどの新しい住宅地の一鶴にある小学校である(それでも一時期よりは減ったそうだ)。昨年のセミナーの時に「私の学校はクラスが多いので少人数のアウトリーチ事業にに応募しにくいのですけれどどうすればいいでしょうか」と質問をされた方だったらしい。今年から同じ学校で2回やることも考えようということになったきっかけを作ってくださった先生である。熱を持った先生だった。彼女は自分のクラスの子に「音楽室に飾り付けをする?」と聞いたらこどもたちが「やりたい!」というのでやってもらったというのだが、子どもは音符の切り紙をつくってそこに一人一人がメッセージを書くことにして、他のクラスまで出かけていって書いてもらったのだと言っていた。それをビニールの帯をつくって音楽室の周り中に貼ってあった(写真)
まあこういう準備は気持ちの問題であるのだけれど、やはり演奏家が一度学校にでむき先生と話すことによって学校側でもいろいろなアイデアが出てくる良い例だと思う。こう言うのは自然体が一番良い。
学校もいろいろな状況がある。外から来てもらうのだから子どもはきちんとしなくては恥ずかしいと思う先生もいるし(尤もである)、子どもが落ち着きがないから外から人が来てもらいたいと思う先生もいる。親から何を言われるかと心配する学校もある。本当にいろいろ。
だからこそまず自分の演奏する音楽そのものの力を信じることと、音楽を聴くことは心の問題だから他人は手を出さないと考えず、その聴き方そのものを体験する手法を編み出すことが演奏する側のやるべきことなのだと思う。それは、あたかも「聴くワークショップ」というようなものであるかも知れない。そのあたりが、アウトリーチをやっていくときになかなか共通項を作れない部分でテーマでもある。
帰りがけに福岡で18日にアウトリーチをやってもらう歌手と打ち合わせたのだけれど、彼女が「周りの演奏者でもなかなか理解できていないと思う」といっていたのが印象的だった。難しいものだ。だからこそ演奏家に理解してもらうセミナーのようなものは重要だろう。地域に拠点のある演奏家ならさらに・・である。
今回は地元のアムールと柴田さんで3校で合計4回。二組とも比較的パターンが出来ているのである意味安心。今回は学校の先生の準備で嬉しいことがいくつかあった。最初の学校は私立の精道小学校(女子)で、ここでアムールは「サウンド」をやることにしていたのだが、先生はちょうど「私の好きなもの」という題で作った子どもたちの絵を音楽室の後ろに並べてくれていた。惜しむらくは絵を描いたのは6年生、聴いたのは3,4年生。6年生にも聴かせたかったと言っていたけれど,それはそうだろう。なかなかうまく行かないものだけれど、でも絵が飾ってあるだけでずいぶんと雰囲気が出るものだ。ここの3,4年生の子どもたちのキラキラした反応は特筆に値するとおもう。まあ、アウトリーチの目的はそれだけではないのだけれど・・・。
柴田さんが行った橘小学校では、昨年先生向けのアウトリーチ(講習)で高橋多佳子さんの演奏を聴きました・・という先生。この学校は校長先生の方針で音楽は担任の先生がやるべきだという考えなのだそうだ。ある意味、前向きに捉えることも出来る理屈ではあるけれども・・。だから、この女性の先生は元々は音楽専任だったのだけれど今はクラスを持っているとのこと。忙しくて音楽室の片付けが行き届かないことを気にしていた。今のご時勢では巨大校といっても良い全校で31クラス850名ほどの新しい住宅地の一鶴にある小学校である(それでも一時期よりは減ったそうだ)。昨年のセミナーの時に「私の学校はクラスが多いので少人数のアウトリーチ事業にに応募しにくいのですけれどどうすればいいでしょうか」と質問をされた方だったらしい。今年から同じ学校で2回やることも考えようということになったきっかけを作ってくださった先生である。熱を持った先生だった。彼女は自分のクラスの子に「音楽室に飾り付けをする?」と聞いたらこどもたちが「やりたい!」というのでやってもらったというのだが、子どもは音符の切り紙をつくってそこに一人一人がメッセージを書くことにして、他のクラスまで出かけていって書いてもらったのだと言っていた。それをビニールの帯をつくって音楽室の周り中に貼ってあった(写真)
まあこういう準備は気持ちの問題であるのだけれど、やはり演奏家が一度学校にでむき先生と話すことによって学校側でもいろいろなアイデアが出てくる良い例だと思う。こう言うのは自然体が一番良い。
学校もいろいろな状況がある。外から来てもらうのだから子どもはきちんとしなくては恥ずかしいと思う先生もいるし(尤もである)、子どもが落ち着きがないから外から人が来てもらいたいと思う先生もいる。親から何を言われるかと心配する学校もある。本当にいろいろ。
だからこそまず自分の演奏する音楽そのものの力を信じることと、音楽を聴くことは心の問題だから他人は手を出さないと考えず、その聴き方そのものを体験する手法を編み出すことが演奏する側のやるべきことなのだと思う。それは、あたかも「聴くワークショップ」というようなものであるかも知れない。そのあたりが、アウトリーチをやっていくときになかなか共通項を作れない部分でテーマでもある。
帰りがけに福岡で18日にアウトリーチをやってもらう歌手と打ち合わせたのだけれど、彼女が「周りの演奏者でもなかなか理解できていないと思う」といっていたのが印象的だった。難しいものだ。だからこそ演奏家に理解してもらうセミナーのようなものは重要だろう。地域に拠点のある演奏家ならさらに・・である。