児玉真の徒然

峠にたつとき
すぎ来しみちはなつかしく
ひらけくるみちはたのしい
(真壁仁 峠)

玄海島

2008年11月22日 | 各地にて
 玄海島は3年前に地震で全島住民が避難するという生活環境の大きな変化を余儀なくされた島であり、島の斜面にくっつくように建っていた家が悲惨な状態になっていた写真を覚えている。普及の中、基本的に島民全員が今年の3月に帰島できたらしいが、その間のいろいろなことがあっただろう。
 その震災復興の一環として(物のあとは心、ということになるのだろう),地域創造が音活の仕組みを通じて音楽家を派遣する,と言う事業が11月19日20日の2日間で行われた。小さな島に行ってみて、家や店や集会所など全部の建物が新築と言うのも少し不思議な感じがした(多くの場所では古い建物がほとんどというのが普通だろう。学校だけは時間がかかっていて来春に建て替えが完成するらしい)
 実は1週間前から「来週は寒波が来る」という天気予報が出ていたのを聞いていながら,あんまり本気にしないで居たら、本当に寒波が来てしまって波が荒いので船が欠航、19日は朝から福岡港で夕方まで船が出るのを待つ・・と言う事態。島の人に言わせると「年に数回」という日に当たってしまったわけだけれど、全行程は出来ないまでも夕方の船が出ることが判ってほっとした。もちろん、翌日昼間に大阪で仕事が入っている演奏家(BBBB)の帰りの心配もあるのだけれど、何しろ島にわたらねば何も始まらない、ということで夕方の船に布団とともに乗船し(宿泊所がないので公民館で雑魚寝。布団もないので福岡市の文化振興財団の方が手配してくれた布団を持ち込むしかないわけだ)、着いてすぐに待ってくれていた中学生と交流兼翌日の練習。夜は持ち込みのバーベキューで夕食を済まし、飲んで寝る,と言う感じ。20日は小中学校の学習発表会に出演。こういう場所では、普通の単なる学校行事が、町の大事な娯楽として楽しみにされている様子をつぶさに見させてもらった。先生はコミュニティの人間と言えないのかも知れないけれど明治以来、学校と言う場所はコミュニティの一つの極としてあったのだろう。西洋の教会の代わりかな。写真は小学生の太鼓との共演。ここの先生は邦楽を一生懸命教えていて、小学生は太鼓、中学生は箏と三味線を演奏していた。教えるために習いに行ってそのまま三味線を弾くようになってしまったという先生の熱意が伝わるような生徒たちだった。
こういう事業は、押しつけにならないように注意深くやらないといけないのだけれど、地域創造の担当者も福岡市文化芸術振興財団の人もそのことをきちんとしてくれていたようで良かった。
ひたすら寒かった,ということ以外はなかなか楽しく出来たし、帰りに港まで送ってくれた8人の中学生の顔を見ても、楽しんでもらったのがわかって良い気持ちで帰途につけた。