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児玉真の徒然

峠にたつとき
すぎ来しみちはなつかしく
ひらけくるみちはたのしい
(真壁仁 峠)

コバケン夏の第九(都響)

2010年07月09日 | いわき
7月4日の第九。
思い起こせば20数年ほど前に、中島良史さんの第九を手伝ったことがある。このときの合唱団は国立音大と一橋の合唱団が中心になった。コピーを卒業生で代理店のコピーライターをしていたK氏に頼んだところ「1月8日の第九」というコピーを書いてきた。年末恒例委敢えて破って・・・という意味。案外単純なコピーだけれど、当時の私たちみんなの空気とは不思議に一致して、予想以上に盛り上がった。そのときのオケも考えてみれば都響。

今回のいわきの第九合唱団は昨年10月末に合唱団のオーディションを行い、11月から練習をしてきた。今回は若干数は少ないけれども少数精鋭?。オープニングにN響との第九をしてからもう2年強が経つ。コバケンは前回のこけらの異様な盛り上がりを覚えていてそのとき聞けなかった人にも自分の第九を聞いて欲しい、という想いがあったのではないか。今回も第九で行きたいという意向だった。オープニングの熱気を思い起こそうという気持ちもあったかもしれない。
今回の合唱団は桐原先生の指導をベースに、酒井さん、三河さんなど3人の指揮者に来てもらって練習をしてきた。ある意味では前回以上のまとまりがあったかもしれない。それは、前回の合唱を契機としてできた市民の男声合唱団があったりしたのもその一因かもしれない。
当日は前回よりもリラックスした感じで迎えられていたように思う。若干バランスの修正があったけれど、響きはとても良かった。
帰りがけの小林さんの感想。「2年前よりもホールの響きが良くなってきたのが喜ばしい。ホールにももっといい音を聞かせてやらないといけない」



ペチャクチャ集会(いわき)

2010年06月27日 | いわき
いわきアリオスが出来て約2年。ちょうど2年間のオープニング期間が終わったところになる。それで事業報告会をかねてこの2年間をきちんと振り返ろうということからペチャクチャ集会というのを行った。
普通、事業報告というのは一方的なものだし、トリトンでも毎年事業報告書と評価事業報告書を作って会員などに配布していたのだけれど、いわきアリオスの場合、ペチャクチャ集会という市民参加自由の集会形式で行うという比較的冒険的な試み(普通の公共の施設ではなかなかできないだろう)。まあ、スタッフ側もこういう緊張感を空気として体験するのも良いことかもしれない。
まずアリオス側から事業報告として、入館者数や予算などについての説明と各プロデューススタッフからの報告が約1時間強。その後、良くアリオスを活用していたり事業に参加したりしている市民の皆さんからの発表。これはアリオスが出来て生き方が変わった(ちょっと大袈裟?)ということを5分くらいづつ話してもらう。そのご書いて頂いた質問について答えて時間がいっぱいいっぱいだった。
本当はスタッフと同じような志を持った市民の皆さんともう少し議論をすると良いのだろうけれど、なかなか時間的にも,問題意識の有り様からも難しいことはありそうだ。でもちょうど2年間のオープン期間が終わったところで、プロデュース側も自分らのやってきたことを検証できることもとても良いタイミングだと思った。企画一つ一つについて、それぞれが制作力としてはきちんと市民の皆さんに対応できていることは実証できたかな。しかし、良い公演があまり来ていなかったいわきで、質の高い公演を喜んでくださることと同じように、制作(人的な部分ですね)でもアリオスの(市の、ということになるかな)様々な対応には個別にはとても喜んで頂いていることが判ったのは大きな収穫。でも市民の皆さんのコメントはちょっとほめ過ぎかも。それよりも、アリオスという仕組みをしたたかに自分の生き方に活用している市民がいるということの方がよほど恐れ入りました,の感じなのである。
ペチャクチャ集会というネーミングに興味を持ったホール関係者もいたようで、茨城県や滋賀県からもホールの担当者がやってきたりして吃驚した。






いわき市文化センターの改修工事

2010年05月05日 | いわき
いわきの文化施設の工事は3年にわたってアリオス大ホールの新築と音楽館の改修(小ホール)、中劇場の新築、2ブロック手前の文化センターの中ホールへの改修という3段階のプロジェクトだったのだけれどアリオスオープン2周年の今年は文化センターの改修再オープンということになっている。正式オープンの前に市民の文化団体に使ってもらう「お試しデー」が4月29日にあった。
小山さんのゲネプロの合間にちょっと覗きに行ったのだけれど、なかなかきれいに出来上がっていて、予想通りなかなか良いホールに仕上がったようである。
まだ少し音が生っぽい感じはあるけれど、椅子もすばらしく座りやすくなったし、音響的にもバランスがとれた会場になったように思う。今までより音楽専用に近くなっている(というか音楽専用だな)ので、聴き手にもシビアに聴かれるかもしれないけれど、500席弱の中ホールは一部の人には待望のホールだろう(アリオスには1700と200しかないので)。
今日は時間がなかったので女声合唱の一曲を聴いただけだけ。でも響きの個性(方向性)は大体つかめたかな。

アリオスGWフェスティヴァル2

2010年05月03日 | いわき
 GWフェスティヴァルの2日目は、アリオス前の公園での演奏を含めオープンスペースの演奏があり、最後にアンサンブルでのカジュアルな曲目を小ホールでやって終了した。
当日券の売れ行きもよく、目標とした人数を超える人たちが集まって自然体で楽しんでくれたので、アリオスとしては市民のライフスタイル提案型の良い企画になったと思う。
演奏家にとっては2日間に4回の演奏というのはアウトリーチなどではよくあるパターンであるけれど、じつはなかなかハードなスケジュールで、気持ちよくやってくれたスペランツァに感謝である。演奏家のフレンドリーな雰囲気が全体に伝わってきて良かったと思う。まあ、進行とか話とかはもっと考えられていても良いかな・・・という部分もあって、せっかく好いディレクターのバックアップもあるので、そこのシェープアップを考えるともっと良くなると思う。
 公園での演奏(写真)ではPAの作りが絶妙。アリオスは岡田さんという全国区の音響が居て、その専門的なノウハウでクラシカルな音楽にもきちんと対応してくださるので安心。クラシックのPAはなかなか満足できることがないのだけれど、響きが前に出てこない屋外のPAを厚くも薄くもなく、ちょっと音量が小さいかなと一瞬思うのだけれど、音作りが暴力的でなく、聴き手の意識がさりげなくそちらの方へ向かうようにうまくコントロールされていてうれしい。少ない機材をうまく使うがゆえの自然さなのだと思うけれど、なかなかこういうPAには出会わないので・・・。

いわきアリオスGWフェスティヴァル

2010年05月01日 | いわき
今日と明日。アリオスではN響メンバーの室内楽(スペランツァ)の演奏とかえっこバザールなどいくつかのイベントを組み合わせて、小さなフェスティヴァルをやっている。
さっき0歳からのコンサートが大ホールで終わったばかり。700人を超す親子が集まったた。会場内はさながらピクニック状態ではあったけれど(もちろん飲食はなし)、聞くぞ!という感じではなくもっとおもいおもいな楽しみ方をしていたのかもしれない。緩やかなゴールデンウィークの過ごし方としての時間があったように思う。
今日の夕方は、ショパンとシューマンの、明日の午後はカジュアルクラシックコンサートと続く。カスケードでは打楽器、弦楽器などの体験コーナーが市民の人たちの手で開かれていて、そこにN響のメンバーが来て子供に教えたりしている絵はなかなか良いものである。かえっこなどで作った人との関係がいろいろと生きている感じがする。
写真は山内さんが子供に体験をさせているところ(この楽器は山内さんが車に積んで持ってきてくれたもの)


小山実稚恵の協奏曲(いわきアリオス)

2010年04月29日 | いわき
3年半前、いわきの新しいホールのピアノ選びを誰に頼むか、という話になったときに一番先に思い浮かべたのが小山さんだった。彼女は東北生まれと言うこともあって盛岡市のホールのピアノ選びに何故かつきあったことがある。あれは何故そうなったのかよく覚えていないのだけれど、今は亡き盛岡の最上君が突然電話をしてきて、ピアノ選びにつきあって・・と言われたからだと思う。
小山さんとはそれほど親しかったわけではないけれど、まあ興味もあって一緒について行ったのだけれど、最上君に「ピアノはね、買ってからどう維持するかの方が大切なのよ」と何度も何度も言っていたことを思い出す。
今回は小山さんに頼んだけれど、今までいくつかの会館のピアノ選びをお願いすることがあった。カザルスホールは内田光子さんだったし、第一生命ホールでは佐古さんと仲道さんに一大づつ選んでもらうというやや離れ業のようなことをやった。岐阜のメルサホールは関与しなかったけれど、三鷹ではアヴォ・クユムジャン、考えてみれば、それだけの数、新しいホールに関与させてもらったことになる。まあありがたいことと言えば言えるが、良いことなのかどうか・・・
いずれにしろ、ホールのピアノを選ぶと言うことは、単に良いピアノを選択する、という単純なものではない。まず何台もの中から調整されたピアノ数台がそこにあって、その中からしか選べない(というか、調整されていないピアノを選ぶことに意味はない)。それに、ピアノは少なくとも5年程度は変わっていくものだし、季節や状態、使った人の個性などによっても変化していくものだ。その中で、これが良いだろうというのは、小さい子供の才能を見抜くような一種の感性(感)がはたらかないといけないのである。
ピアノ選びがそのような実に人間的な営みであるとすれば、お願いする方も、ホールの個性(これも頼む段階でははっきりしないことも多いわけだ)や演奏家の個性までも勘定に入れてお願いするのであるし、その後のいろいろな演奏家とのつきあい方もある程度思い浮かべておく必要もあるのだ。その意味では、いわきアリオスのスタインウェイは比較的幸福な出会いができて、小山さん本人も私たちも気に入っているという状態が続いている。
アーチストが入れ込んでくれるというのはすばらしい事態であって、今回小山さんもピアノとの再会を楽しみにしてくれていたようだ。
小山さんの強い希望で実現したコンチェルトだけれど、指揮の沼尻竜典さんとトーキョー・モーツアルト・プレイヤーのサポートも良くて、良いコンサートになった。
ショパンの1番とブラームスの2番という2曲の選択はかなり重量級のコンサートだと思うけれど、小山さんが楽しんで弾いてくれていたようなのでまずは満足である。
演奏も後半に聴いたブラームスの演奏は気合いの乗った力演で、お客の気持ちを一気に、ひとまとめにして持って行くエネルギーに満ちていた。それは、今回のCDへのサイン会への列が表していたように思う
(写真はゲネプロ)

白井光子さんのシューマン

2009年11月07日 | いわき
昨日と明日、いわきアリオスで白井光子のリサイタル。昨日はリーダークライスと女の愛と生涯を含むシューマンプログラム。シューマンの夕べ、シューベルトの夕べ、とか名付けてコンサートをしたのはフィッシャー・ディスカウの時代。もう30年くらい前である。その頃のあるコンサートの雰囲気と昨日のコンサートの雰囲気が似ていて、なにか久しぶりさを感じるのは、こっちがクラシック最先端にいないせいなのか,それとも時代が変わってしまったのか。そういえば白井さんはディスカウとも近い学校にいたんだった。
まあ、演奏のことは言う必要のない世界。昨年病気をしているのでどうか心配したのだけれど、全然心配は不要だった。でも音響の良い狭いホールで聴くのはかなり贅沢。白井さんの自然体の雰囲気と、でもこっちがどうしても背筋を伸ばしてしまうオーラも健在。三鷹でやったときに(もう13年くらい前かな)、白井さんがついたとたんに、制作から裏方からみんなが彼女のために何でもしなくては・・という気分になったのがとても印象に残っているのだけれど、今回も前ほどではなくてもちょっとそんな感じがあった。でも舞台ではにこにこしつつ、さっと曲の世界に入ってくのは本当に素敵。演奏がすばらしいとか言うことは当然のように自然であって、だからこそ、一人芝居で世界を作っていくのと同じ感じがしたのだろう。何を感じさせてくれるのか,という内容はすでに音楽自体を超えているように思う。おそれいりました。
一緒にお寿司と食べたのだけれど、どんなことにもちゃんと反応していく感度の良さは日本人にない気がした。人にも物にたいしても見ているだけで反応しないのでは何を感じているのか分からないしおかしいでしょ?、とはなかなか言えないよなあ。テレビ一つ見るのでも,ちゃんと反応してことばで表していて、ちょっとびっくりするのだけれど、表現を扱う人間としてはちょっと耳が痛い。勉強になるなあ。
リートの演奏会が一人芝居であることを強く感じさせてくれた演奏会でした。

能の公演

2009年09月20日 | いわき
以前書いたことがあると思うけれど(5月)、宝生流のシテ方である佐野登さんが中心になって夏休みの間10数回にわたってやってきた子供のためのワークショップ、今日の能公演の午前中に子供が素謡で約10分出演した。70人近くの子供がきびしい練習にめげずについてきてくれた,と言うことは佐野さんにとっても嬉しいことだったはずだ。これだけの人数でやるのは珍しかったみたいでもある。
子供には最後の最後まで厳しい声を発していたけれど、まあ、子供が好きなことは間違いないようで、そういうことはきちんと伝わっているはずだ。
子供と親の多くが能についてほとんど知識がない初心者だったことを考えると、このワークショップの意味はあったと思う。
佐野さんと話していると、クラシック音楽のアウトリーチを日頃やっている身からすると、うらやましいような気もするし、芸術観については違う部分もあるのだけれど、きちんと説明する必要を感じているという根っこの部分は同じ情熱を感じて嬉しくなる部分でもある。
久しぶりに靴を履かずに舞台裏を移動した。これはこれでなかなか良いものである。

キッズルームでのミニコンサート

2009年07月29日 | いわき
いわきアリオスにはとっても良い雰囲気のキッズルームがあって、ここは支配人こだわりの場所なのであるけれど、ここで何かできると良いなあ、と言うことでちょうど来ることになっていた田村緑さんにお願いして午前中の30分、親子のためのミニコンサートを行った。0歳から5歳までの子供とお母さんで約45名ほどが集まってくれた。
内容はきらきら星、絵本の読み聞かせ(佐藤さん)といっしょに2曲、カノン、トルコ行進曲。
小さい子供も多いのですべて何か工夫があってなかなか良い時間になった。
残念だったのはピアノがなかったことで結局電子ピアノで行った。アリオスにはグランドピアノしかないのでドアから入らないのである。動かせる位置にアップライトでもあればもっと良かったのだけれど・・・。寄付でもしてもらえばもっといろいろなことができそうなのだけれどいつもおいておくと狭くなるしなかなか難しい。
でも、電子ピアノだったので田村さんが子供の顔を見ながらできた、と言うこともできる。
まあ、機会があれば続けていくと言うことで・・・


いまここ~いわきアリオスのグランドオープン2

2009年05月22日 | いわき
いわきアリオスのグランドオープン(中劇場のオープン)は、明日最初の公演を迎える。山海塾の卯熱。
昨年のオープニングにむけて、アリオスのために谷川俊太郎さんに詩を書いてもらった。一篇のつもりでお願いしたのだが、結局は4篇の連作詩になった。いろいろとアイデアが溢れてきたことはありがたいのか、少し無理をさせたのかはわからないけれども、いずれにしろ、アリオスにとっては本当に良い財産である。この4月には、地元の合唱の指導者の先生がこの連作詩に曲をつけて歌ってくれたりもして本当にありがたいことだ。
その詩が、中劇場の外側の壁に描かれている(写真のように地味ではあるが、それも谷川さんらしくて良い)。時々立ち止まって読んでみたい詩である。10年以上が過ぎた時に、スタッフにとっても市民にとっても、この詩がアリオスができたときの期待感や緊張感を思い起こす装置になってくれたら・・と願わずにはいられない。

この間、地元の新聞からのインタビューで、「アリオスは規模も機能もハイスペックで使い切れないのではないかという声がある」と言われたのだけれど、そのときに、ハードの機能だけでなく、そこに優秀な人材を配置したというのもある意味ハイスペックであるけれど、ハードにしろソフトにしろ、それを使い切るのも市民の力だと思う、と言うことを申し上げた。アリオスの本当のプロデューサーは市民である、のはきれい事ではなく、その苦労も含めてその通りだと思う。活用するというのも、その機能や能力を信頼するとともにその可能性に敬意をもって接するという意味でもある。私もプロデュースするときに、聞き手の顔を第一に思い浮かべながら、その人たちのために企画をしているつもりであり、演奏家にそのために奉仕してもらいたいという気持ちがないではないけれども、常に演奏家に敬意を持ちその特殊な能力を信じると言うことでしか良い企画は生まれてこない、と言うのが経験則である。