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児玉真の徒然

峠にたつとき
すぎ来しみちはなつかしく
ひらけくるみちはたのしい
(真壁仁 峠)

親子で能楽体験ワークショップ

2009年05月04日 | いわき
いわきアリオスのグランドオープン週間みたいになっている5月連休だが、昨年に比べると華やかな感じではない。一昨日からの2日間で中劇場の内覧に2500人くらいの人が来たと言うことなので、興味を持ってくださっていると言うことだろう。
23日の山海塾に向けて来週はドラマリーディングのワークショップがあったりするが、今日は子どものための能のワークショップ。
「いわき能を知る 会」で今年9月に能の公演を行う宝生の佐野登さんがワークショップのために来てくださった。
彼はとてもアグレッシブな方で、昨秋、能を知る会との打合せにいらしたときに「学校で能のアウトリーチのようなことができないか」ということで突然訪ねて見えた。私はちょうど居なかったのだが、そのあと水道橋の宝生の能楽堂におたずねして話をし、オープンに併せて中劇場に能舞台をくみ,それを市民に見て貰うとともに佐野さんに来て貰って子ども向けのワークショップをやろうと言うことになった。
昨日の夜の進行打合せのあとに一緒に食事をしたのだが、彼とは、古典と呼ばれる芸術の存在意義と普及というものの意味についての考え方が似ていて、やる手法は同じかどうか分からないけれど話が合う事は間違いない。その辺は茂木大輔と一脈通じる部分があるかのしれない。
ところで、彼が鳥栖市長の紹介で大村の会館の館長さんと会って対談をやったという話になり、あの熱く語る佐野さんが「あの村島さんという人は熱い」と言っていた。かなり強い印象があったみたいだ。九州内では有名なのね。
今日のワークショップは計画の時間をはるかに超えて3時間かかったのだけれど、佐野さんの熱意は子どもたちを全く飽きさせなかった。さすがにそのエネルギーはすごい。動きの型と謡(うたい)と器楽(小鼓と能管)をやり、能舞台の説明をしたあと、貴重なシテのための衣装の着付けまで見せ、能面もいくつも持ってきていてそれをかぶってもらう、最後に仕舞いの踊りを子供の謡で踊ると言うところまで、ずいぶん盛りだくさんで、時間はかかったとはいえスピード感のある内容。いくらかだけれど能楽のことが分かった気がするだけでなく、自分のやっているアウトリーチの内容が子供に親切すぎるのではないか・・という不安を感じるほどだった

いわきアリオスのグランドオープン

2009年05月02日 | いわき
アリオスは今年、中劇場とその周辺の設備ができて全館オープンになる。今日(2日)はその記念日で、一年前とは違うやや地味なグランドオープンだけれど、朝に内覧会ののオープンをかねて、パーカッションの渡辺亮さんと子どもたちのグループ(それも渡辺さんのワークショップから生まれた)にセレモニーをやっていただいた。
このプロジェクトは一年前から若いスタッフが中心になって計画をしてきたもので、内覧会と能のワークショップで市民に開放していく。アリオスはプロデューサー制を取っているので、音楽も演劇もプロデューサーは居るのだけれど、今回は企画制作とマーケティング、舞台スタッフ、貸し館などを担務している施設サービスのスタッフによる若手有志チームがいろいろとアイデアを出し合って来た。こういうやり方にアリオスは本当に理解がある人が多いと思う。良いことである。
昨日の夜にオープニングセレモニーのリハーサルをやっていたのだけれど、昨日はやや進行がたどたどしかったとはいえ、なかなか良い雰囲気にできた。
さっき10時にセレモニーが終わったところだ。打楽器隊ののりも良くなかなか盛り上がって良かった。そして中劇場に入ると、能舞台が設置されている。能舞台はこのくらいの広さのところの方が映える。明日は佐野登さんによる能楽体験のワークショップがある。
季節も良いし、天気も良さそうなので、会館前の公園での楽しみも出来そうだ。皆さんも見学にどうぞ。

郷ヶ丘幼稚園のNUUさん

2009年03月28日 | いわき
NUUさんは3月29日に初めてアリオスコンサートを開くのだけれど、その前日にいわきの住宅地郷ヶ丘の幼稚園におでかけをしていただいた。NUUさんには2007年からいろいろとお願いをしてきてアリオスがオープンしてからも何回かいわきに来ていただいたのだけれど、アリオスでのコンサートは今回が最初になる。彼女の意気込みが伝わってくる気がする。
アウトリーチでは、初めの頃は行くたびに、いろいろと悩んだり考えたりすることがあったのではないか、と思うのだけれど、昨年秋頃からは行く先々で本当に楽しんでくれるようになった気がする。今日の幼稚園も、子供に何を感じてもらいたいかがとても良くわかる内容。プロだから聴き手の前に立てば、その現場に対して一生懸命になってくれることはある意味当然であるけれども、何か違和感のようなものがあるとないとでは伝わるものの大きさがずいぶん違うはずだ。だから、楽しさに無理がない、というのはなかなか難しいのだけれどすごいことだと思う。NUUさんと良い関係をつくれてきたことに感謝しないといけない。彼女がいわきでのおでかけの最初の演奏家であったことは(特にクラシック以外のジャンルで)本当に良かったと思う。受け入れ側も、演奏家も、それに政策としてこのようなことをやっている企画制作側も、何が効果的で、何が問題で、そのために何を考えないといけないのかということが他ジャンルをやってみて判ったと言うこともある。なかなか難しいことだけれど、考え方の問題まで含めて普及とか地域社会とかとの関係をつくることについ随分思うところがあったので私としてはとても意義があったという感想。
こういうジャンルのアウトリーチは全国でもそれほど多くないと思うけれど、大きな可能性を持っているし彼女ならば良いことが出来ると思う。PAの問題とか(その点ではアリオスはスタッフに恵まれている)もあるけれど、こういうことの先駆者になってもらいたいものだ。
今日のコンサートで気がついたこと
・NUUさんの客とのやりとりと盛り上げ方が本当に自然なったこと
・渡辺亮さん(パーカッション)が、子供の様子を見ながら音を作っていたのが印象的。たのしそうでした。
・笹子重治さん(ギター)。演奏中、昔は楽譜を見ている時間が長かった気がするけれど今日は子供の方を見ている時間が多かったな。
・小さい子供を驚かさないPAの処理が感動的に良かった。このジャンルでは演奏者もだけれどPA作りはアウトリーチでも大きな要素(どこまでやるかという問題はあるのだけれど・・)。
でも良い会で良かった。

オランダ・アーネムフィルとコバケン

2009年03月19日 | いわき
いわきでオランダのアーネムフィル(小林研一郎指揮)のコンサートがあった(3/14)。この大ホールで小林さんが振るのはオープニングでN響と第九をやって以来一年ぶりである。早いものだ。
曲は新作の「地蔵」これは小林さんが初めに、これはヨーロッパの作曲家から見た地蔵のイメージで、決して皆さんの地蔵のイメージは一緒ではないかもしれない。こんな見方もあるのだと聴いてほしい、というコメントがあってからの演奏。それ以外はブルッフのヴァイオリン協奏曲とシエラザード。ブルッフはサイスという若い女流。
いわきのお客様にとって少し耳なじみのないプログラムだったかもしれないが、客席はほぼ満員。良かった。小林さんとしては芸術監督になってもう3-4年たっているだろうか、もう少し精密さを求めても良いような気もするけれど、作りの大きな音楽が聴けて、たぶんお客様もほとんど満足だったのではないか。
小林さんとしてはいわきは故郷ということで特別な思いがあるみたいだ。また、いわきの人たちにとっても同じようにちょっと特別な感じはあるだろう。その特別さがなかなか難しいことも含んでしまうのだろうけれど、今回は良い感じで出来たのではないかと思う。結局、アンコールを入れると2時間半になろうとする長さのコンサートになった。前日がサントリーホールで日フィルとの合同演奏会でそれも3時間近いコンサートだったと言うし、翌日は富山県砺波でのコンサートだから、全く体力勝負である。移動のスケジュールも大変そうで、出身地だからと言ってゆっくりも出来ず少し残念だっただろう。
それでも、コバケンのエネルギッシュさは相変わらずだ。個人的にはああいう音楽は嫌いではない。

ヴィルタスSQのコンサート

2009年03月02日 | いわき
ヴィルタスSQの始動
いわきアリオスで27日に丸山泰雄さんが中心のカルテット、ヴィルタスクァルテットのコンサートがおこなわれた。いわきの小ホールは200席だけれども、音響的には音が崩れないのでSQはやりやすいだろう。すこーし生っぽい音に聞こえることもあるけれど、このカルテットの音楽の方向性からいうと、細かくやっているところを聞いてもらったほうがいいだろうと思う。
丸山さんがSQを始めようとして集めたのは、乾ノエさんと、三上亮さん。乾さんはベルギーにいるのだけれど、今年の正月にYCAのコンペティションをとった俊英。YCA(ヤングコンサートアーチスト)はNY,ワシントン、ボストンと3か所でリサイタルをやってくれるので、アメリカで売り出していく登竜門の一つであり今までもかなりの演奏家が輩出している。日本人では、今井信子さんとか岩崎洸さん、漆原朝子、戸田弥生など、東京カルテットもそうだったと思う。ソリストとしての彼のキャリアもこれからきづいていかれるだろう。三上亮さんは札幌交響楽団のコンサートマスター。弾ける。乾さんのようなソリスティックなタイプではないのと、すこし客観的に見ようとしている感じなので乾さんとの相性はいいかも。低弦はおなじみというか、馬淵さんと丸山さんの夫妻で、今回馬淵さんが少しおとなしかったような気がするけれども、かつてのすばるSQを支えていた二人である。
かなりいい素材(というと怒られるけれど)で、原田幸一郎さんが言うように「SQはソリストができるくらい力のあるメンバーが本気SQに心身を捧げて取り組まないといけない」がもし可能ならば、良いグループになるだろう。アメリカではある程度常識であろうが、日本ではまだほとんど例がないといっても良い。市場の違いもあるけれど、しょっちゅう集まって練習をする、という活動(というよりも生活の)スタイルを作ることができればいいのだけれど。

仙台フィルのニューイヤーコンサート

2009年01月16日 | いわき
仙フィルのニューイヤーコンサート
いわきは一番南の端とはいえ東北である。やはり寒い。12日は午前中は暖かかったのに、開演少し前に突然風と雪が降ってくるというやや荒れた天気だった。
東北と言えばプロのオケは二つある(二つしかないというべきなのか)。地方オケは運営も大変だし、レベルの向上もなかなか思うに任せないかもしれないけれど、東北にある会館として、その活動を見守るのは大事なことだと思う。実は仙台も東京もたいして距離も違わないので、いわきあたりだと、どちらかというと東京を向いている人が多い気はするのであるけれど、仙台フィルも山形響もそれなりに清新な活動をしているような感じがする。でも、なかなか主催にしていくのは難しい。
今日の仙フィルはこのプログラムで盛岡、福島とやってきた3回目。ゲネプロも短く、新しいホールで大丈夫かなと思ったりもしたのだけれど、きちんとした演奏。朝、早い時間に会場入りして自分の練習をしている人も多く、真面目なオケという印象。聴いたのは久しぶりだけれど、音楽の切り替えのスピード感がもう少し出てくると、切れ味が出てきて心地よさそうなオケである。まだ、ホールとも初めてだったし、何年か続けることで音もこなれてくるのだろう。
コンチェルトは児玉桃さんでグリークをやったのだけれど、児玉さんは相変わらずとてもおとなの雰囲気がある演奏をする。そのことは10数年前に初めて聞いた時と印象が変わらない。情に流されるのを抑えて、少し細身でカチンとしたピアノの鳴らし方は独特である。音が小さく聞こえるように感じるのだが、音がきっちりと通ってくるピアニストなのである。

いわきアリオスのチェンバロ開き

2008年12月14日 | いわき
いわきアリオスでは、チェンバロを買おうかどうしようかという話があった2年前に、買うのであれば二つのことを実現しようと考えた。ひとつはほかにない機能を持ったものをいれて、チェンバロ奏者が興味を持ち使ってくれるような物を買おうということ、もう一つは、ホール以外ではなかなか見られない楽器だから、アウトリーチに持ち出して子供達とかに見て聞いてもらおうということである。前者で言うと、ホールにあるチェンバロの使用率はそれほど大きくないのである。まあ宿命的に仕方のないことであるけれども、チェンバロは自分の楽器や使い慣れたモデルを持ってくるという演奏家が多いのも一つの理由。ホールにあるのに使わない、ということが起こるのである。オルガンもそうだが、アウトリーチではホールの備品を持ち出すというところに問題が生じるケースがある。だから初めからそれを方針として位置づけることを前提として導入したということもある。
16フィートの弦を張ったチェンバロは、日本ではほとんど導入されていないと思われるけれど、バッハの時代にはあったとされている大きなチェンバロであって、チェンバロコンチェルトなどでは音量からいっても有効。
オープンには間に合わなかったのだが秋になってやっと納品された1754年のツェル/ハスモデルのチェンバロのお披露目のコンサートを行った。奏者は西山まりえさん。アントネッロの鍵盤奏者としても活躍中。
今回は、3日前に入ってもらって、弾きこみとアウトリーチもお願いした。アウトリーチは今回はポジティフオルガン。古楽系の人はあんまりアウトリーチの経験は多くないと思う。疲れただろうけれどご苦労様でした。
コンサートは西山さん本人もあんまり弾いたことがないという16フィートのチェンバロの音のバランスが良く、終わった後の舞台はチェンバロをそばで見ようという人で埋まるほど興味を持ってもらえたようだ。

ゲルギエフと堀田正矩さん

2008年12月06日 | いわき
クラシック演奏家を数多く撮影しているコンサート写真家の堀田正矩さんがいわき出身と知ったのは偶然。今年の春、堀田さんが久しぶりにいわきを訪れた際、新しいホールが出来たことを知り訪ねてみえた。そのときには私も足立君も居なかったのだけれど、堀田さんから川崎でやったような写真展が出来ないだろうかという相談をうけたのだ。
普通の展示場がある会館ではないので工夫をしなくてはならないのだけれど、町の中との連携もとりつつ地元出身の音楽カメラマンの仕事を紹介していくことが出来れば良いのではないかと思う。彼の昔の仕事も見せてもらったのだけれど、週間FM(懐かしい名前だ)のカメラマンとしてPOPS系の大物も撮っている人なので、興味深い写真がいくつもある。
そんなこともあって、今回ゲルギエフ指揮/ロンドン交響楽団の公演がアリオスであるのを撮りに来ていただいた。普段いわきではなかなか良い演奏写真が撮れないこともあって、こちらもありがたいことなのだけれど、堀田さんも当日は非常に張り切ってくれて、前日からいわきに入り準備をして下さった。外国のオケの通例として、移動がきついのでじっくりとリハーサルをしてくれないということがあったり、ステージ写真を撮るという発想のない設計のためか、撮影位置に苦労していたのだけれど、昨日出来てきた写真を見たらすごい力作が撮れていて吃驚した。人の気持ちというのがどれほど何かを作り出せるか、ということだけれど、その微妙な違いのわかる人が数多くいることもとても大切。
ゲルギエフもホールはとても気に入ってくれたみたいで、終演後の短いインタビューで、ヨーロッパの新しい会館(スペインマドリードのそばの都市の会館のことを言っていた)みたいな雰囲気と音響だ、オペラでどんな感じになるか聴いてみたい(ということはやりたいと言うことか・・・)と言っていた。
いわきの人に世界最高クラスの緊張感を聴いてもらえたのではないかと思う。ゲルギエフはロシア風の力任せの演奏とは正反対のウイットのある演奏で、所謂巨匠芸がどれほどのものかを
見せてくれたので満足のいける演奏会だったと思う。

なじむということ(NUUさん、田人の学校公演)

2008年11月27日 | いわき
NUUさんがいわきに来るのはもう6回目くらいだろうか。そして、地域に出ていってアウトリーチ的に演奏してもらうのももう3回目とかになる。アウトリーチ的なコンサートの一番の違いは「わざわざ聴きに来ている人でない」ということではないかと思う。当たり前だけれど。
今日は昨年も行った田人地区の小学生(4つの小学校を会わせても80名くらいしか居ないそうだ。4-6年生が居ない学校もあるとか)に田人第一小学校の体育館に集まってもらった。子どもの乗りが良く最初から暖まっているみたいだったのは、事前にヴィデオレターのやりとりがあり、またNUUさんの草野心平のCDで作った曲を事前に練習をしておいて頂いたおかげか。いわきの血には祭り好きの血が入っているとしか思えないのだけれど、1時間のプログラムは先生も含めて盛り上がって終わった。
草野心平は擬音を巧に使った詩人であり、擬音だけの曲があったりするが、それと、NUUさんの覚えやすい曲との相性は極めて良いみたいだ。私も5月に歌った歌をほとんど覚えていたし。子どもに歌ってもらうのには最適。ポニョなどとは違った意味合いがあるように思う。
しかし、なによりも感じたのは「なじんでいる」良さということ。NUUさんの身体とか精神とかが、田人やいわきという場所や来ている人たちとのインタラクティブな関係になじむことによって、そこに居ることが心地よい(違和感を感じない)という気持ちで立っているであろうことが判るような感じと言うべきだろうか。それが、単にはしゃいだだけでないいい関係が出来ていたのだと思う。
NUUさんは午前中は田人第一小学校の生徒とこんにゃく作りの体験もしたみたいだ。ちょっと嬉しかったのは、こんにゃく作りを歌にして(未完成品だろうが)即興的に聞かせてくれたこと。NUUさんという人の、曲が出来る瞬間というか経路というかを子どもの前でちょっと見せてくれたことは、軽い調子で語られたとはいえ、子どもにとって案外大きな体験だったはずだ。アーチストがそれをやるのは実はそれなりのストレスがあることを承知している(完成された物を見せるのが大事だと考えているだろうから)が、それも、なじんだからだろう。
そう言えば、いつも以上にNUUさんの身体が動いていたような気がする。
最後に子ども先生とみんなで記念撮影をして(平間さんが撮ってくれたのです)終了した。帰途が暖かい一日だった。

八橋検校日本音楽コンクール

2008年11月16日 | いわき
「六段の調べ」で有名な八橋検校はバッハの時代の箏、三味線の奏者であり、作曲家でもある(当時としては当たり前か)。生まれたばかりの箏曲というジャンルを発展させた功労者であろう。八橋検校が京都で死んだのが1685年でバッハの生誕年であるから覚えやすい。ちなみに生まれたのは大阪夏の陣のころ。6年後の2014年に生誕400周年だ。当時の平藩(いわき)の藩主内藤義概の庇護を受けて活動していたらしいので、いわき出身ではないかとされているそうである(いわき情報)。
そんなことで、八橋検校を再発見事業のようなことをやっている民間の団体があり、そこが実行委員会形式で八橋検校コンクールというのを始めた。今回で2回目。
さっき終わったところである。箏のソロと合奏(室内楽)に分かれて演奏した。優勝者は東京の男性。目が悪いようだったが、音の繊細な変化に対する感性は今日の演奏者の中ではぬきんでていた。全体のレヴェルがどうなのかについては判らない(他のを聴いていないし)けれども、まだ始めたばかりでこじんまりやっている感じだがいずれ拡がっていくことを期待したい。

邦楽は西洋古典音楽と似たようなところがあるが、西洋音楽は,クラシック音楽と言われるものから、様々な機会技術や流通革命によって所謂ポピュラーへと拡大し,その中でも様々な音楽形態が生まれてきた。拡大による規模の大きさは、分化しても充分に経済的に担保されるという状況が出来たことで、様々な発展をしたわけだけれど、邦楽の場合、その意味ではまだパイが小さいのだろう。未分化であることが逆にエネルギーになっているような気もする。今日のコンクールでも、普通のコンクール風の人もいたけれど、すでに活動をしていそうなグループ(箏を立って弾いているしちょっと売れ線狙いかとも思ったけれど、こういうあり方もあるなあと思えるような)がいたり、学校の箏楽部が出てきたりとちょっとごった煮状態であったけれど、それ故に聴く側としてはかなり面白い時間を過ごせた。