相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!
☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

からすやま寺町の寺院「八丁山妙善寺」

2017-02-25 09:12:35 | 寺院
烏山寺町通りの更に一本奥に4寺がありその一番手前に浄土真宗寺院「八丁山妙善寺」はある。親鸞の弟子となった菅原正円が伊勢国安濃郡大別保村に「草庵」を建立したのが興りとされる。その後同じ伊勢国の桑名郡蒔田村、江戸初期に武蔵国豊島郡八丁堀に移転。明暦3年(1657)の振袖火事により本堂その他を焼失し、50年で伊勢国を離れ築地に移転の経緯を辿る。関東大震災後、昭和2年現在の烏山に移転再建。本尊は阿弥陀如来。手入れの行き届いた前庭に構えられた「山門」の奥に入母屋造りの「本堂」がある。左右対称の花頭窓が印象的で、2層屋根はどことなく奈良の大仏殿を思い起こさせる。本堂右手に庫裡。当寺には永井荷風の作風にも影響を与えたという江戸時代の人情本作家「為永春水」のお墓がある。(1701)








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相模が丘「仲良し小道」を5種の桜たちが揃い踏み!!

2017-02-24 16:36:58 | 桜・桜まつり
相模が丘の住宅街を南北に貫く全長1.6kmの緑道「仲良し小道=さくら百華の道」はある。さくら百華の道には桜64品種、220本の多種多様な桜が植えられている。今、「河津桜」、「寒緋桜」、「椿寒桜」、「修繕寺寒桜」、「大漁寒桜」の5種類の桜達が一斉に咲き乱れ相撲でいえば「揃い踏み」である。なんと美しい彩りなのであろうか。来月にはいよいよ桜の女王「ソメイヨシノ」が登場する。開花予想は3月24日頃と言われており待ち遠しい限りである。次から次に桜を楽しめる新しい座間の緑道=遊歩道である。やはり桜は春を感じ、心躍らせる花の一つである。(1702)










 
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からすやま寺町の寺院「春陽山永隆寺」

2017-02-24 08:25:27 | 寺院
からすやま寺町の最北の奥、「妙祐寺」の隣に法華宗本門流寺院「春陽山永隆寺」はある。創建は慶長17年(1612)。家康の囲碁の師匠であった日義上人が開山となり神田鍛冶橋に寺領を拝領し建立。本尊は十界曼荼羅、木造宝塔。寛永年間に谷中清水町に移転、更に元禄4年(1691)本所出村(後の大平町)に再移転。水害に遭い古記録を流失、関東大震災後の昭和3年(1928)に烏山に移転。当寺には徳川家康公側室のお万の方より頂いた大黒(石像)がある。石敷の参道の先に薬医門形式の「山門」が構えられている。前庭も美しく手入れされている。山門を抜けると入母屋造り屋根、平入り、流れ向拝「本堂」がある。本堂から庫裏へ繋がった渡り廊下、枠無しの花頭窓と優美である。大きな山の唐破風屋根を施した「庫裏」玄関。見事な庭園ある境内には「鳥塚」、「水子供養」、墓域には人間国宝落語家「三遊亭圓生の墓」がある。(1701)













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旧陸軍士官学校があった「富士山公園」

2017-02-23 15:02:03 | 公園・庭園
座間市入谷にキャンプ座間の東側に小さな公園「富士山公園」はある。公園の前には道路を挟んで対面には昨年出来た「座間総合病院」がある。公園門より園内に入る入口に平和祈願の小さな子供像が迎えてくれる。ここよりやや急こう配の坂となり左手に遊具が設置されている。大きい木の上部をL字型に加工した椅子二つ、その奥に東屋が設置されている。園内は鬱蒼とした木々のそよぐ音とのみで静そのものである。冨士山の名がつくがどの地点からも富士山は見ることができない。ここはかって昭和12年(1937)東京からこの地に「旧陸軍士官学校」が移転。その名残の南地区「遙拝所方位盤」がある。生徒らは毎朝、点呼後に雄健神社に参拝し続いて遙に赴き宮城(皇居)・明治神宮・伊勢神宮及び各自の原隊や故郷に向かって遙拝が日課であった。この方位盤はその遙拝するための方位と国内外・朝鮮半島・中国東北部の主要都市の方位を矢印によって表示したもので校内では最も重要なものであった。(1702)






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座間の古刹「来迎山宗仲寺」の河津桜と紅梅の競演

2017-02-23 10:07:43 | 寺院
座間市座間に座間の古刹とされる浄土宗寺院「来迎山宗仲寺」はある。平安期には当寺の前身「良真院」として鎌倉期に修業場が置かれた跡地といわれている。当寺は高遠藩初代・内藤修理亮清成が実父の「武田宗仲」の菩提を弔う為、慶長8年(1603)に創建。本尊は阿弥陀如来。徳川家康公が鷹狩り時に立ち寄ったとされ、元和3年(1617年)家康公の霊柩が久能山から日光へ遷御される際に一行がこの場所にて休息をとった。慶安2年(1649)寺領7石4斗の拝領、下馬札を賜っており、山門右手に家は康公お手植えの「大樹イチョウ」がある。また境内には最近完成した「月影の泉」がありその中央には「大燈籠」が屹立し夜になると本堂と燈籠の灯りが池に映し出され「幽玄な世界」が広がる。山門を抜けると左手奥に「本堂」、本堂左手に「鐘楼」、「水子観音堂」、「清浄殿」がある。山門を入ると今が旬の3本の「河津桜」が満開を迎えていた。また「清浄殿」を抜けた墓域には「内藤代々の墓」、その奥に「三体の女性像」、「河津桜」と「紅梅」各5本、しだれ「白梅」が1本が甘い香を漂わせ見事な競演を魅せている「彫刻の広場」がある。(1702)












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