相模が丘の住宅街を南北に貫く全長1.6kmの緑道「仲良し小道」がある。この小道には64品種、220本の多種多様な桜の木が植栽されており「さくら百華の道」と呼ばれている。今、「十月桜」や「冬桜」が咲き残る中、次に「椿寒桜」、「修繕寺寒桜」、「大漁寒桜」、「河津桜」が開花に向けて着々と生長&スタンバイ中である。この小道には4、5本植栽されている「河津桜」はヒカンザクラと早咲きオオシマザクラの自然交配種である。一重で淡紅色の花びらが特徴であるが今、蕾の先端をピンク色に染め今にも弾けそうなくらい膨らみ始めていた。すでに原木がある静岡の河津、相模原公園、そして新松田の松田山ハーブガーデンでも咲き始めたと報じていた。昨年に比べあまり雨も降らない比較的穏やかな日が続いており気温の好条件で一気に開花するかもしれない。3月末に登場する桜の女王「ソメイヨシノ」の開花まで松田山、新戸、ギオンスタジアム、相模原公園、橋本公園の「河津桜」を追撮しなければならない。ここ相模が丘の「さくら百華の道」が河津桜で華やぎ始める瞬間がもうそこまで近づいているようである。(2101)
神奈川県の南西部に位置する小田原は天下の険、箱根の江戸側の玄関、東海道五十三次、9番目の宿場町、城下町としても栄えたところ。温暖な気候に恵まれて、梅干しは勿論、漁港も近く相模湾で水揚げされた魚介やかまぼこなど美味しいグルメの宝庫と言われている。その小田原市本町(旧大手町)に社寺を思わせる松・欅・檜を使った瓦葺き入母屋造りの建物で、正面玄関の屋根は唐破風は瓦葺きで見事な彫り物が施された国登録有形文化財に登録の「建物」、店構えがひと際目を惹く「だるま料理店」はある。地元の網元だった初代達磨仁三郎が創業した料理店で創業は明治26年(1893)、120年の歴史を有する老舗で建設年代や意匠から小田原市街を代表する一軒である。二代目(吉蔵)がブリの豊漁で得た資金をもとに再建し今日に至っている。食堂入口(玄関)前には等身大の「だるまさん」と「おかめさん」の像がある。早速、相模太夫は「天重」、連れは「達摩Aセット」(天丼と刺身)をオーダー。特注ごま油100%で揚げというた「かき揚げ」、「天麩羅」は風味抜群で香ばしくさすがに美味である。舌鼓を打ちあっという間にたいらげてしまった。(2012)
大和市下鶴間に「大山阿夫利神社分霊社」と「大黒天開運神社」がある。創建は不詳。境内奥に立つ銅像の「新田義貞」が元弘3年(1333)に鎌倉幕府の北条氏を討つためにここ鶴間を通ったことに因むとすればそれ以前と推察される。「大山街道」は江戸青山から大山阿夫利神社を結ぶ大山参りの街道で一帯は「相州鶴間宿」、「東江戸十里 西大山八里」であった。祭神は大山祇大神、大雷神、高靇神、大国主大神、太閤豊臣秀吉公霊で出世、金運、長命の御利益があるという。大山詣での道のりにどこか古の面影を残している。(2101)