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相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!

☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

中欧5ヶ国8日間の旅 チェコ その2

2014-03-14 08:00:00 | 海外旅
中欧5ヶ国8日間の旅も4日目。昨日の午後チェコに戻り「レドニッツェ城」を見学した。今日(午前)はチェコの首都「プラハ」、午後は「ドイツ=ドレスデン」の旅程である。ブルタヴァ川のほとりに築かれたプラハは「百塔の都」と称えられるチェコの首都で、街にはロマネスクやゴシック、バロックと様々な様式の建物で埋め尽くされており、絵本そのままの町並みが広がっている。カレル4世が皇帝時代(14世紀半ば)神聖ローマ帝国の首都として栄華を極めたプラハの街の基礎はその当時造られた。カレル4世のもとで黄金時代を迎えた14世紀頃に現在の偉容が完成した「プラハ城」(歴代王の居城)は名実ともにプラハのシンボルとなった。世界遺産となったことも頷ける。城壁に囲まれた広大な敷地には旧王宮(第3中庭の南側にあり戴冠式に用いられた)、宮殿、王宮美術館、聖ヴィート大聖堂(その3参照)、聖イジー教会、聖イジー修道院、国立美術館、国立歴史博物館、おもちゃ博物館、ロブコヴィツ宮殿、聖十字架礼拝堂が建ち並ぶ。中庭が3つ、カレル庭園には王の夏の離宮「ベルヴェでーレ宮殿」がある。チェコに2千以上残る城の中でもボヘミアが国力を誇った15~16世紀ルネッサンス期の華やかなものが多い。その悠久の歴史の重みと、繁栄と侵略の歴史を刻み込んだ感がある首都プラハはなんとも興味深い。プラハと言えばチェコスロバキア時代一九六八年の春から夏にかけて、新任のドプチェク党第一書記の下に一連の自由化政策がとられた「プラハの春」を思い出す。そしてプラハ城がボヘミア王国やチェコ共和国の歴史の中で重要な役割を果たしてきたことと、ボヘミア王国や中央ヨーロッパの歴史をも物語っていることを改めて感じる。(1401)










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