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相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!

☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

開成「フォレストスプリングス FS Diner」の鳥たち!!

2020-02-16 10:13:28 | 野鳥
新松田から開成間に酒匂川河川敷に造られた親水公園「開成水辺スポーツ公園」と湖のような景色が美しい「Forest Springs FS Diner」がある。水辺のカジュアルなトラウトレストラン「Forest Springs FS Diner」では自慢の自家製トラウト(ニジマス)サーモンと足柄牛を使ったオリジナル料理を提供している。ニジマスは管理釣り場で飼育されまるまると太っている。一日数千円で釣りを楽しむ人で賑わっている。3万㎡という広大な敷地には3つの釣り池があり右側の一角に黒と白の2階半建てのレストハウスが建てられている。池には配された置き石や丘は鳥たちの格好の飛来、休息場となっているようだ。ここにやってくる鳥は「アオサギ」「シラサギ」「カモ」「鵜」たちで池の中の餌と魚を狙っているようだ。池の周りを一周しそれぞれの鳥をフォーカスしてみた。(2002)
 
 
 
 
 
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「県立相模原公園」で春を告げる鳥「シジュウカラ」と出逢う!!

2020-01-11 20:12:18 | 野鳥
相模原市下溝に欧風庭園内に「噴水広場」、その両脇に100本の「メタセコイア並木」を配し、市民のオアシスとなっている「県立相模原公園」はある。主役のメタセコイアの紅葉も終わり、百花に先駆けて咲く「梅」の開花状況は如何かと訪れると数輪開花していた。梅の木のそばの紅葉の丘で鳥の中でもいち早く春を告げる鳥と言われている「シジュウカラ」が三羽、盛んに地上面をつつき餌を啄んでいる。シジュウカラは「四十の雀」と書く。鳥綱スズメ目シジュウカラ科シジュウカラ属に分類される鳥類。胸に黒いネクタイのような模様を持ちかっこいい身近な鳥である。シジュウカラやヤマガラ、ヒガラなど「カラ」のつく野鳥をカラ類と呼び、シジュウカラはそのカラ類の中で最もよく見られる鳥である。繁殖期には主に昆虫類を捕食し、秋にはミズキやハナミズキ、ハゼノキ、松ぼっくりなどの実も食べる。越冬期は地上で採食することも多い。その場面に遭遇したのかもしれない。まさしく一期一会というほかない。(2001)
 
 
 

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「座架依橋」一帯に広がる稲田に「シラサギ」が一羽!!

2019-10-02 09:48:52 | 野鳥

一級河川相模川を跨ぐように座間市と厚木市に架かる道路橋座架依橋」はある。県道藤沢座間厚木線を通している。 名前の由来は座間市「座間」と厚木市「依知」を架ける橋であることを意味している。この一帯は休耕地(現在は5haの広さ)を利用して植えられた55万本「ひまわり」を主役とした「ひまわり祭」が開催されるところであり「かながわ花の名所100選」にも選ばれている。道路橋を挟んで今、黄金色に輝いだ稲穂が頭をたれ刈り取りを待っている。その稲田に一羽の「シラサギ」が舞い降りてきた。どうやら落ちた稲のおこぼれを頂戴しているようである。なんとも長閑な光景に遭遇した。(1909)

 

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「平塚八幡宮」の池では餌の争奪戦勃発!!

2019-07-08 14:10:39 | 野鳥
平塚の中心市街地に相模五社の一社で相模国の五宮格の一社「平塚八幡宮」はある。創建は仁徳天皇68年(360)、主祭神は応神天王、神功皇后、武内宿禰命。1600余年の長く輝かしい歴史を持つ神社である。市街地の中心ながら樹木も多く閑静で、静寂でどこか厳かな雰囲気漂う神域を創り出している。大きな鳥居を抜けると境内には「源平の池」「東御池」があり池の主の「鯉」、そして「カモ」「アヒル」「鳩」が参拝者を出迎え、餌をねだっている。参拝者が餌を池に投げ入れられると鯉とアヒルのなんとも可愛らしいしくも壮絶な「争奪戦」が始まりシャツターを押した。鯉の優勢勝ちであった。(1907)
 
 
 
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清澄のオアシス「清澄庭園」の大泉水でバードウォッチング!!

2019-04-30 11:39:43 | 野鳥
江東区清澄に泉水、築山、枯山水を主体にした「回遊式林泉庭園」東京都の名勝に指定されている清澄のオアシス「清澄庭園」はある。この地の一部は江戸の豪商・紀伊國屋文左衛門の屋敷跡といわれ、その後明治11年に、岩崎弥太郎が荒廃した邸地を社員の慰安や貴賓を招待する場所として庭園造成を計画、明治13年に「深川親睦園」として竣工した。弥太郎の亡きあとも造園工事は進められ隅田川の水を引いた大泉水を造り、周囲には全国から取り寄せた名石を配して、明治の庭園を代表する「回遊式林泉庭園」が完成した。面積は庭園部分が37,434㎡、公園部分が43,656㎡。園内には要の「大泉水」、「磯渡り」、「名石」、「富士山」、大正記念館、涼亭、芭蕉の句碑が配されている。川と海に近いこともあって種々の野鳥が「大泉水」に飛来してくる。この日は「カモ」、「シラサギ」、「アオサギ」、ホシハジロ、キンクロハジロが優雅に泳いでいたり、餌をついばんだり、時折池の上を飛んだりと鳥の生態、習性をまじかで見ることができ、束の間のバードウォッチングであった。(1904)











 
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