菊池のぶひろの議会だより

日本共産党 桜川市議会議員 菊池のぶひろの活動報告です

「『男性被害者』を軽視する社会」ー性教育研究者・村瀬幸浩氏の意見

2023年09月20日 07時49分43秒 | 日本共産党
 今日のしんぶん赤旗には、「『男性被害者』を軽視する社会」の見出しで、性教育研究者・村瀬幸浩氏の文章を載せています。紹介します。

 子どものへの性暴力根絶を
 ジャニーズ問題から考える


『男性被害者』を軽視する社会
 性教育研究者
 村瀬幸浩

 2014年に出した『男子の性教育」でも指摘しましたが、男性の性暴力被害は、社会の中では長らく問題とされませんでした。
 学校教育の現場でも、男子は加害者であり女子は被害者である、という前提のもとで話されることがほとんどでした。
 また、男性が被害者となることは情けないことだ、というジェンダーにとらわれによって、社会が男性の被害に対して冷ややかな目を注いできたのではないでしょうか。

 その理由の一つとして刑法の性犯罪規定では、17年の改定まで「強かん罪」の被害者が女性に限定され、男性の性暴力被害は、強制わいせつ罪でしか問えなかったことがあります。法律が性被害はないものとしていたことが、社会の認識にも深く影響していったと思います。

 男性同士の性暴力への認識が、いたずらやからかい、遊びとしてしか認知されてこなかったことも大きな問題です。
 例えば学校で、男子が男子のパンツを脱がせたり、性器を触ったりする性被害が起きた時、先生が「ふざけるのはやめなさい」とふざけや遊びととらえてします。相手の人権を侵す行為という意識をもたず、真剣に考えてこなかったことで、被害を誰にも言えず、トラウマに苦しみ続けます。
 私は男子中学生の自殺には、性による傷つきが大きくかかわっているのではないかと思っています。深刻な人権侵害であるという認識を、おとなや社会がもつ必要があります。

   性差なしに大切

 からだの中でも特に大切な「プライベートパーツ」である「口、胸、性器、お尻」は、体の内部につながる、やわらかくて傷つきやすい、生殖や性愛にかかわる大切なパーツ。自分だけがさわっていい、人が勝手に触ったり、見ようとしてはいけない場所です。

 プライベートパーツの捉え方の重要性に性差はありません。なのに男子の性被害を遊びやふざけとして扱ってきたことは、男子のプライベートパーツを軽んじ、被害を被害として認識できなくさせてきました。
 今年度から「生命(いのち)の安全教育」でプライベートパーツを学校で扱うようになりましたが、学校で性教育がほとんど行われなかったことが、今回の問題でも根本的に問われています。

 ジャニー喜多川氏による性加害は犯罪で、同性愛とは関係ありません。同性が虐待であり、小児性虐待です。「愛」とは互いに対等で、相互的で、喜びやほほえみ、生きる意欲を引き出すもの。性暴力は相手を支配し、凌辱する犯罪行為です。

 男性が同性から性暴力を受けた時、言えない理由の一つに「同性愛」と思われたくないという偏見もあります。同性への性暴力と同性愛は関係がない。それを伝えなければ、同性愛に対する偏見を育て、ゆがんだ認識をはぐくむことになります。

  人権としての性

 おとな自身が人権としての性を学び、意識を変える必要があります。被害を伝えててくれた子どもに対して「つらかったね、よく伝えてくれたね」と受け止めるおとなが身近にいることが大切です。

 性被害の当事者団体「Spring」の調査(2020年)では。性暴力被害者(被害時の年齢は平均15・4歳)の約6割が、被害後すぐに「被害」と認識できず、認識できるまでの期間は平均で7年以上かかっています。忘れていた8歳の時の被害を、30歳になって思い出した人もいます。女性(9割以上)への調査ですが、男性の場合も同じだと思います。

 喜多川氏による性加害の被害者のお話でも、被害を話した時のおとなや周りの対応に傷つき、話せなくなったという声がありました。おとなの対応がセカンドレイプとなり、子ども口を伏せぐことにもなります。

 性は人権そのもの。性暴力は命を脅かす重大な人権侵害です。性は人権と結びつけて問題に向き合う力をおとなが育んでいくことが必要です。それが子どもの性暴力をなくす力になります。

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