今日の午後の情景を詩に試みました。
ふざけてるって?
かも。
Unu posttagmezo
Tondro rulis tra la ĉielo
Pluvo batis teron subite
Tuj
Kiel kato foriras el sablujo
Finite sian aferon
Kiel nenio okazis
Sereneco revenis ある日の午後
雷が天を転がった
突然雨が地を叩く
間も無く
用を済ませた猫が
砂箱から出てくる時に似て
何事も無かったように
静けさが蘇る
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ドイツのヘルツベルグで私達が滞在したゲストハウスとその周辺を少し紹介しましょう。
写真の最後から二番目がそのお家なのですが、何故か正面からは一枚も撮っていません。この写真は裏から撮ったものです。手前の低い箱型の建物は車庫で二台入る大きさです。ガラスが4枚並んでいる窓が私たちの階で、その前の五枚の写真が内部です。
トイレの水槽は後部の小さな三角の部分、上についている小さなボタンを押して水を流しますが、小さすぎて、大袈裟に言えば、探しました。
次の浴槽ですが、水を満たして入ったら溺れそうな大きさです。シャワーを使うときは折りたたみのガラスのドアで四角に区切って使います。奥に見える、タオルを掛けてある横棒の集まりは暖房です。勿論今は暖房はしていませんが、一寸した洗濯には都合のいいものでした。
リヴィングルームはゆっくり座って楽しむ時間が無かったのが残念でした。帰宅すると大抵疲れ切っていてパタンキューだったからです。
寝室の写真も撮っていません。いつもいっぱい散らかしていたからでしょう。
この家から15分くらい歩くと市の中心部で、市庁舎もそこにありますが、ご覧のように歩行者優先、車は遠慮しながら入ってきていたようです。
二番目と三番目の写真は裏窓の眺めで、言わばご近所さん。三番目の写真の手前の庭はこのお家のもので、一度奥さんが大きなズッキーニを収穫しているのを見ました。此処に見える道を上って左に折れたらすぐエスペラントセンターで、歩いて二、三分の距離です。これはとても都合の良い事でした。
ヘルツベルグでは既にあちこちの道路標示にエスペラントが加えられてありました。史跡などにもエスペラントの説明が追加されていましたが、まだまだ仕事は続くようでした。
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ロッテルダムで行われた第93回エスペラント世界大会直前に参加したドイツはヘルツベルグでの「Kulturturisma semajno 」(文化観光週間とでも訳せばいいのでしょうか)は楽しく且つ有意義でした。
盛り沢山のプログラムで奔走していたとは言え主催者達の活動の大きさや重さが感じられたことも収穫だったと言えるでしょう。少し寒いくらいながら天気にも恵まれて観光も充分楽しみました。
人口一万八千人の小さな町ながら活気があり、歴史の古さを感じさせる建物も多く山々に囲まれた緑の豊かな環境は、みなさんに是非行ってらっしゃいと薦めたくなります。
勿論写真は数え切れないほど撮り、かなりな量消さなければなりませんが、その一部を紹介します。カヴァー写真は市から頂いたお土産の「市のアルバム」が入っていた袋。掲げている手は市長さんのものです。
新しい出会いがあり、再会があり、自分が活き活きとしてくるのを感じました。
話題は山ほどありますが、折に触れて引っ張り出すかもしれませんけれど、今日はこの程度にしておきます。
いよいよ出発です。後二時間で迎えのシャトルバスが来ます。スーツケースもナップサックも玄関で待っています。戸締りも火の元も点検しました。
何故か落着きません。
今回は少し違ったやり方で準備をしました。持って行く物を思いつくたびにスーツケースに放り込んでいたのですが、これでは何を持っているのか混乱してしまうので、点検しながら一覧表を作ったのです。これなら旅の途中にも何が入っているか一目瞭然です。結構細かな表です。
アムステルダムの天気も調べました。涼しいです。横浜での暑さに懲りてチョット暑い日ばかり気にしていたのですがその必要も無さそうです。
なんと便利な時代でしょう。クリック一つで遥か彼方の国の天気予報が分るのです。
じゃ、行ってきます。帰国は7月26日です。
Ĝis revido!
足掛け四日間のホスト役が終わって、今朝モントリオールへ向う彼らをバスデポで見送りました。
この三日間は天気も良く暑すぎず、彼らと一緒に観光客になって私も楽しませてもらいました。とても疲れたけれどいい経験でした。
夫人とは日本語で話が出来るのですが、三人一緒なのでいつもエスペラントで話します。夫君はフランス語、エスペラントの他にイタリア語も使えますが、三人に共通の言葉はエスペラントなのです。
「お世話になった、ありがとう。」と言われましたが、私の応えは、私も昔色んな人のお世話になって、「感謝しているなら、その感謝を次の人に廻しなさい」と言われたことです。こうして次々に「お世話が巡っていくこと」は、大袈裟に言えば、人類愛、世界平和の基本ではないでしょうか。
夫君が偶々コンピューターに詳しく、それが本職で現在人に教えたりしているようなのですが、私のコンピューターに短い滞在時間を利用して字上符付きの文字を入れられるようにしてくれました。これはこっちが感謝です。
そして、Ĝis Roterdamo! (ロッテルダムで会いましょう!) で別れました。あと三日で私の旅立ちの番が来ます。
こんな記事を見つけショックでした。
そんな裁判が有ったことも知らなかったのですが、証言を読んでいて信じられない思いです。でも軍国日本は色々信じられないようなことをしましたからね。
私は今言葉がありません。
白くらげさんのページ へ。
ようやく本も読めるようになり日本語の気楽な本を読んでいましたが、勉強も兼ねてエスペラントの本にも取り掛かり始めました。
横浜のエスペラント世界大会で、妹が買ってくれたのが表題の本「Gooŝ La 'Ĉelisto / セロ弾きのゴーシュ」でした。未だに不審に思うのはĈelisto の前にアポストロフが付いている理由です。訳者の野島安太郎氏の意図は何だったのでしょう。(どなたかその理由を知っている方教えてください!)
カルガリーに行っている間お休みにしていたのですが、再び読み始めようと思っていた矢先、ウェブを彷徨中に次のようなブログに出会いました。
小学校2年生の作文に泣かされたよ。
言葉遣いが聊か乱暴な表題なので、躊躇ったのですが大の男が泣かされるような小学二年生の作文に関心があり読んでみました。ブログの著者も驚いていますが私もビックリしました。
子供の頃、小学二年生より年長だったと思うのですがこの本を読んだ覚えが有ります。覚えがあるだけでどんな感想を持ったのか憶えていません。
ところがこの少女は実に明確にその感想を書き表しています。大人でも「宮澤賢治の言いたかったことは何か教えてください」という人が居るのに。この少女(中村咲紀ちゃん)の心理分析、凄いと思いました。
是非読んでみてください。暇の無い人は暇を作ってでも。。。
エスペラントで杏のことをAbrikotoと言うのを忘れて、Aprikoto を探していた私は見つからないので(当たり前だ!)
JEI発行の和エス辞典(宮本正男編)を開きました。
出てきた答がAnzuarbo(木)とAnzuo(実)。
一寸待ってよ宮本さん!と髪の毛ボサボサの宮本氏を思い浮かべながら。。。
何故Anzuoなんでしょう。
桜をSakuroと言うのにさえ抵抗を感じている私としてはいささか腑に落ちないのです。
杏は日本独特のものか?日本にしか無いものか?日本が原産地か?
そんな訳でウィキペディアを当たって見ましたら、原産地どころか、生産量だって世界で8番目と低いではありませんか。
原産地は中国、現在生産量の最も多い国はトルコ。
ここでAnzuoと頑張る必要があるのかどうか、みなさんどう思いますか?
参考:
あんず
Abrikoto
Apricot
土砂降りの 、汚れた雪が洗い流されていきます。
夫の集めた切手の中に古いはがきがありました。
妹がノルウェーはベルゲンでのエスペラント世界大会から送ってくれたものです。
切手だけが目的ならその部分を千切っておく人でしたから、これは送ってくれた妹が意図したようにそのまま保存する心算があったものです。
十六年も前のものです。妹が世界大会に出席し始めたのがこの頃だったのでしょう。
その中に、十年も若い友人TKのことが書いてあります。猪突猛進の代名詞のようなTKの辞書には「物怖じ」という言葉がありません。ノルウェーに落着いてからも兎に角活動していた人です。音信が途絶え、すっかり忘れていたのですが、今度横浜で会えるかも知れないという気がしています。実家があの辺だし、きっと来るでしょう。
ある日突然ノルウェーの公衆電話から只で電話を掛けてきた時は驚きましたが、その彼女からヒントを得て私もトロントの公衆電話を試してみたことがあります。
一個だけ使えました。が、電話局が気付いたらしくその後使えなくなりました。面白い経験でした。
結婚した当時はエスペラントだけが私たちの共通語でしたが、英語圏で暮らす身、収入を得るためには英語を話せなければなりません。そして何時の間にか共通語は英語になっていました。子供達に内緒の話はエスペラントで・・と言う時代もありました。長女は覚えてしまい「今、こう言ったでしょう」と翻訳してしまったり。
妹からの古いはがきを前にして、改めて学び直そうという気が起きて来ています。
我が家は数ヶ国語が行き交う家庭でしたから、多くの場合私はただ聞いているだけという習慣がついてしまったのですが、これからは発音の練習も声を出して精を出しましょう。
最近は独り言も大きな声で言うようになったので、特別な努力をする必要もありませんし。
久しぶりに自作の俳句をエス訳してみました。
どうしても出来ないものもありましたが、今回は五句。
駒鳥の身繕いする雨の後
Sola rubekol’
Sinpretigas post pluvad’
Tre absorbite
連翹に輝く朝日嬉々として
G^oje briladas
La levig^anta suno
sur forsitio
母の日や花束があり陽射し佳し
Suno brilanta
ricevis bukedon La
tago de l’patrin’
微笑みも歪む暑さや狂い夏
Por valmegeco
grimacig^as ec^ ridet’
Freneza somer’
空澄みて風も涼しく良き日なり
Hela c^ielo,
Venteto ankau’ friska,
Estas bontago
今日の写真はドラマティックな光と影が気に入っているもの。これだけでは何の写真か判りませんが、アメリカ滝の底の岩を洗う水の情景です。