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★ Serena ★

カナダ暮らしのエスペランチスト、自然愛好家。
エスペラントやカナダの野草、ネーチャークラブの活動など思いつくままに。

「米国裁判所の混乱」 - 1 -

2008-11-12 20:32:40 | エスペラント

最近貰ったE-メールの笑い話を少し紹介します。英語のままでないと可笑しさが判らないものは省略しました。
エスペラントの単語が判らないのもあります。例えば「重症筋無力症」。私の手元にはこの手の辞書がありません。判る方教えてください。

Tiuj anekdotoj estas eltiritaj de libro nomita 'Malordo en Usona juĝejo', kaj aferojn homoj aktuale diris en la juĝejo, vorto post vorto notitaj kaj nun publikitaj de juĝejaj raportistoj kiuj havis turmentojn por resti kvietaj dum tiuj interŝanĝoj aktuale okazis.

下記の逸話は「米国裁判所の混乱」と題する本から取った。実際に人々が裁判所で言った言葉を、このような会話が行われている間冷静さを保つのに苦労した裁判所のリポーター達が一語一語書き取り出版したものである。

ADVOKATO: Ĉu tiu ‘myasthenia gravis’, afekcias vian memoron entute?
ATESTANTO: Jes.
ADVOKATO: Kaj kiamaniere afekcias vian memoron?
ATESTANTO: Mi forgesas.
ADVOKATO: Vi forgesas? Ĉu vi povas doni al ni ekzemplon de io, kion vi forgesis?

弁護人:この「重症筋無力症」と言うのは要するにあなたの記憶に影響するわけですね?
証人:そうです。
弁護人:で、どのようにあなたの記憶に影響するのですか?
証人:忘れます。
弁護人:忘れるんですか?忘れた事の例を一つ聞かせていただけますか?


ADVOKATO: Kion via edzo diris al vi unue en tiu mateno?
ATESTANTO: Li diris ‘Kie mi estas, Kati?’
ADVOKATO: Kaj kial tio ĉagrenigis vin?
ATESTANTO: Mia nomo estas Suzana!

弁護人:ご夫君はその朝最初にあなたに何と言ったのですか?
証人:「僕は何処に居るんだ、カティ?」と言いました。
弁護人:で、それがどうしてあなたを悲しませるのですか?
証人:私の名前はスーザンナです。


エスペラントの父ザメンホフ
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幻 覚 / I l u z i o

2008-10-31 16:42:05 | エスペラント



Viro iris al psikiatro.
"Mi havas iluzion" li diris. "Mi ne havas tion ĉiam, sed de tempo al tempo mi havas treege fortan senton ke mi estas hundo."
La psikiatro diris, "Bone. Kio ajn tio estas ni pli bone esploru. Ĉu vi bonvolas kuŝi sur la kanapo ?"
La viro diris,"Ho, ne, mi ne estas permesata sur kanapon"

ある男が精神病医に行きました。
「幻覚があるんです」と男が言いました。「しょっちゅうじゃないですけど。時々なんですが、私は犬だと強く感じるんです。」
医者が言いました「おお、それは調べる必要が有りますね、ま、そこのソファに横になって下さい。」
男が応えました。「いや、それは。。ソファに乗る事は禁じられているんです。」


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韮の花と伊東三郎夫人

2008-08-31 19:44:48 | エスペラント

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我が家の庭にも韮の花が咲きました。
一度植えたら所構わず増えていく韮には辟易していますが、とりあえず生えてくる物は歓迎して、大分収穫し茹でて冷凍にしてあります。花が咲く頃は葉っぱも硬くなってしまうのでこれが切れ目、収穫は止めて花を楽しむことにしています。
韮の花が咲くたびに思い出すのは伊東三郎氏夫人公子さん。
当時私の職場が殆ど伊東宅の隣で、昼休みなどにお邪魔したものですが、そんなある日、ビンに挿した韮の花が置いてありました。嬉しそうに「孫が持って来てくれた」と微笑む彼女に私は何か珍しい物を見るような気がしたのです。
彼女の笑顔を見たことが無いわけではありません。特別どうということも無い韮の花に感動しているのが不思議でした。そして初めて韮の花を花として見詰めたような気がします。
孫って誰の子供だったのかしら?
シュタロウ(Ŝtalo)さん?
ミチエ(Mi ĉie)ちゃん?
ハルジロウ(Hardilo)君?
ミチエちゃんは劇団ナントカで忙しかったし、ハルジロウ君はまだ子供だったし、などど色々思うのですが、それはまァどうでもいい話でしょう。

彼女が夫として選んだ人は優れた教育者、エスペランチスト、詩人、社会運動家等々として評価する人が多かったにもかかわらず経済的には苦しい生活を強いられていて、私の職場の近くのお店でパートの仕事をしていたこともありました。
何時も顔色がさえなくて寒そうにさえ見えた公子夫人ですが、それでいて夫君の活動を支える態度は一貫して変わらない人だったと思います。
愚痴らしいことも、不平らしいことも聞いたことがありません。勿論たとえ言いたい事があっても私など若輩に言うわけはないでしょうけれど。。。
私が最後に会ったのは御夫妻でヨーロッパを旅行中スイスのペスタロッチ村へ御一緒した時、行く先々で歓迎されて。。と、嬉しそうだったことが思い出されます。

清楚な韮の花の季節が来るたびに思い出す人です。

英語名:Garlic chives
学名:Allium tuberosum
和名:
エスペラント名:Ajlo-Tuberoso

写真は三枚、花瓶は数年前妹が連れて行ってくれた山の温泉宿で飲んだ「小麦のビール」の空き瓶です。可愛い青い色が気に入って持ち帰ったもの。

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Dum ni junaj restas

2008-08-28 11:18:40 | エスペラント

Ĝoju ĝoju ni kolegoj dum ni junaj restas …

同輩よ未だ若いうちに楽しもうよ。。。

という歌を記憶していたら歌詞を教えて欲しいのです。
この歌は私がまだ東京で暮らしたいた頃、けっこう楽しく歌った歌なのです。
誰が作詞したのか知りませんが、そして最近でも若いエスペランチスト達が歌っているのかどうかも知りませんが、調子が良く、心も軽くなる歌で、時々口をついて出てくるのですが後が続きません。
曲はブラームスの大学祝典序曲[Akademia festouverturo](ドイツ語:Akademische Festouvertüre c-Moll op. 80)を使っています。
先日ラジオを聴いていたら聞こえてきたこの曲で思い出したのでした。

ところで、Dum ni junaj restas とは?
年齢制限はないと思っています。何かを楽しめる内はjunaでしょう。

昨日配達されたカナダの日系新聞(正確には週間新聞)日加タイムスに、教育学者、昇地(しょうち)三郎氏のインターヴュー記事が載っていました。「しいのみ学園」の創設者です。
この八月16日百二歳、五回目の世界講演旅行で、トロントに来ていたのだそうです。以前は2~3ヶ月の長い講演旅行だったのが今回は「少し年を取ったので」40日間、という若さ。インターヴュー記事を読んでも、そこに載っている写真を見ても、実に全てを楽しんでいる人です。年齢が文字通り若かった時に並々ならぬ苦労があった人だけに、当然のことかもしれません。
「三郎の人生は、正に95歳からが青春」とウィキペディアにありますが、私自身の生き方や生き方に対する考えを見直し熟考する必要さえ感じました。

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こころみ

2008-08-24 22:02:29 | エスペラント

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今日の午後の情景を詩に試みました。
ふざけてるって?
かも。

Unu posttagmezo
Tondro rulis tra la ĉielo
Pluvo batis teron subite
Tuj
Kiel kato foriras el sablujo
Finite sian aferon
Kiel nenio okazis
Sereneco revenis
ある日の午後
雷が天を転がった
突然雨が地を叩く
間も無く
用を済ませた猫が
砂箱から出てくる時に似て
何事も無かったように
静けさが蘇る


<エスペラント市・ヘルツベルグ
<メインストリート<裏の眺め、その一<裏の眺め、その二<トイレット<バス・シャワー
<リヴィングルーム、その一<リヴィングルーム、その二<リヴィングルーム、その三<ゲストハウス、裏から<エスペラントの道路標示

ドイツのヘルツベルグで私達が滞在したゲストハウスとその周辺を少し紹介しましょう。
写真の最後から二番目がそのお家なのですが、何故か正面からは一枚も撮っていません。この写真は裏から撮ったものです。手前の低い箱型の建物は車庫で二台入る大きさです。ガラスが4枚並んでいる窓が私たちの階で、その前の五枚の写真が内部です。
トイレの水槽は後部の小さな三角の部分、上についている小さなボタンを押して水を流しますが、小さすぎて、大袈裟に言えば、探しました。
次の浴槽ですが、水を満たして入ったら溺れそうな大きさです。シャワーを使うときは折りたたみのガラスのドアで四角に区切って使います。奥に見える、タオルを掛けてある横棒の集まりは暖房です。勿論今は暖房はしていませんが、一寸した洗濯には都合のいいものでした。
リヴィングルームはゆっくり座って楽しむ時間が無かったのが残念でした。帰宅すると大抵疲れ切っていてパタンキューだったからです。
寝室の写真も撮っていません。いつもいっぱい散らかしていたからでしょう。

この家から15分くらい歩くと市の中心部で、市庁舎もそこにありますが、ご覧のように歩行者優先、車は遠慮しながら入ってきていたようです。
二番目と三番目の写真は裏窓の眺めで、言わばご近所さん。三番目の写真の手前の庭はこのお家のもので、一度奥さんが大きなズッキーニを収穫しているのを見ました。此処に見える道を上って左に折れたらすぐエスペラントセンターで、歩いて二、三分の距離です。これはとても都合の良い事でした。
ヘルツベルグでは既にあちこちの道路標示にエスペラントが加えられてありました。史跡などにもエスペラントの説明が追加されていましたが、まだまだ仕事は続くようでした。

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エスペラント市、ヘルツベルグ

2008-07-31 23:32:00 | エスペラント
<八日間泊まったゲストハウスの窓からの眺め<花の綺麗なベランダ<1594年建築のヘルツベルグ最古の家<丘の上のお城を訪ねた時、お城の管理人と案内のオットーさん<お城の窓からの眺め<ジャーナリストのインターヴューを受けるヘルツベルグ市長
<

ロッテルダムで行われた第93回エスペラント世界大会直前に参加したドイツはヘルツベルグでの「Kulturturisma semajno」(文化観光週間とでも訳せばいいのでしょうか)は楽しく且つ有意義でした。
盛り沢山のプログラムで奔走していたとは言え主催者達の活動の大きさや重さが感じられたことも収穫だったと言えるでしょう。少し寒いくらいながら天気にも恵まれて観光も充分楽しみました。
人口一万八千人の小さな町ながら活気があり、歴史の古さを感じさせる建物も多く山々に囲まれた緑の豊かな環境は、みなさんに是非行ってらっしゃいと薦めたくなります。
勿論写真は数え切れないほど撮り、かなりな量消さなければなりませんが、その一部を紹介します。カヴァー写真は市から頂いたお土産の「市のアルバム」が入っていた袋。掲げている手は市長さんのものです。
新しい出会いがあり、再会があり、自分が活き活きとしてくるのを感じました。
話題は山ほどありますが、折に触れて引っ張り出すかもしれませんけれど、今日はこの程度にしておきます。

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あと二時間。。。

2008-07-10 10:29:15 | エスペラント
いよいよ出発です。後二時間で迎えのシャトルバスが来ます。スーツケースもナップサックも玄関で待っています。戸締りも火の元も点検しました。
何故か落着きません。
今回は少し違ったやり方で準備をしました。持って行く物を思いつくたびにスーツケースに放り込んでいたのですが、これでは何を持っているのか混乱してしまうので、点検しながら一覧表を作ったのです。これなら旅の途中にも何が入っているか一目瞭然です。結構細かな表です。
アムステルダムの天気も調べました。涼しいです。横浜での暑さに懲りてチョット暑い日ばかり気にしていたのですがその必要も無さそうです。
なんと便利な時代でしょう。クリック一つで遥か彼方の国の天気予報が分るのです。
じゃ、行ってきます。帰国は7月26日です。
Ĝis revido!

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エスペラントの良さ、便利さ

2008-07-06 22:13:32 | エスペラント

足掛け四日間のホスト役が終わって、今朝モントリオールへ向う彼らをバスデポで見送りました。
この三日間は天気も良く暑すぎず、彼らと一緒に観光客になって私も楽しませてもらいました。とても疲れたけれどいい経験でした。
夫人とは日本語で話が出来るのですが、三人一緒なのでいつもエスペラントで話します。夫君はフランス語、エスペラントの他にイタリア語も使えますが、三人に共通の言葉はエスペラントなのです。
「お世話になった、ありがとう。」と言われましたが、私の応えは、私も昔色んな人のお世話になって、「感謝しているなら、その感謝を次の人に廻しなさい」と言われたことです。こうして次々に「お世話が巡っていくこと」は、大袈裟に言えば、人類愛、世界平和の基本ではないでしょうか。
夫君が偶々コンピューターに詳しく、それが本職で現在人に教えたりしているようなのですが、私のコンピューターに短い滞在時間を利用して字上符付きの文字を入れられるようにしてくれました。これはこっちが感謝です。
そして、Ĝis Roterdamo! (ロッテルダムで会いましょう!) で別れました。あと三日で私の旅立ちの番が来ます。

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ロッテルダムへ。。

2008-06-29 10:16:06 | エスペラント
      
今年のエスペラント世界大会は、オランダはロッテルダムで行われる。これへの参加を決めるのに時間は掛からなかった。とは言え妹の励ましが無かったら決めたかどうか。
この決断は子供達も大いに喜んでくれて、息子は即$500の小切手を旅費の足しにと送ってくれたし、娘も必要なら援助する意思表示をしてくれた。ありがたいが私としては自力で行きたい。
私のエスペラント能力では難しい分科会や討論会に出席するのは無理なので始めから観光が目的なのだが、これが日本語で行われても同じことなので後ろめたさは無い。
バブル時代の真夏は稼ぎ時で月に"35"日も働くことがあったからお金は有れども時間が無い状態で参加は不可能、毎年UKに参加する妹が羨ましかったものである。
このことを決めてから、私は来年のUK参加を目指して旅費作りを目的に倹約を始めた。もともと贅沢な暮らしをしていた訳ではないから容易なことではないのだけれど、目的があっての節約は楽しくもある。
後十日ばかりで出発である。まだ支度が完全に終わったわけではなく、この十日間にしてしまわなければならないことがまだある。
猫のホリデーは予約済みだが、未だ旅行会社に預けてある航空券を取りに行くこと、郵便物の保留や空港までのシャトルバスの予約を忘れてはならないし、冷蔵庫の中身をどう始末するかも考慮が必要である。
その間にフランスからの来客があるので、今から冷蔵庫を空に近い状態にしておくわけにはいかない。その辺で微妙な計算が必要になってくる。
フランスからの来客はモントリオールで開かれる北米大会への参加が目的で来加するのだが、その前にナイアガラフォールスを見に来たいと言うので受け入れたのだ。彼らとは又ロッテルダムで再会する。彼らがモントリオールに居る間私たちはドイツのエスペラント市、ヘルツベルグで過ごす。エスペラント市誕生二年目のお祝いも兼ねた企画で、この地方はハーメルンの笛吹き男の伝説で知られているが、この一週間の行事を見つけた妹が躊躇い無く参加を決め、私も喜んで同意した。エスペラントではRatkaptisto de Hameln参照。
40年ぶりのヨーロッパは全く未知の世界。若い頃ろくに言葉も使えないであちこち旅して廻った度胸が不思議である。親切なエスペランティストたちの世話になった昔を思い出し、参加者名簿を探してみたが憶えのある名前は一人も出て来なかった。みんな年を取ってしまったのか、当時既に老人だった人たちは他界しただろうけれど、一人くらい知っている名前があっても良いのになぁと寂しい。
こういう状態なのでこのところ気分的に落着かず忙しい。


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セロ弾きのゴーシュ

2008-01-07 17:35:07 | エスペラント

ようやく本も読めるようになり日本語の気楽な本を読んでいましたが、勉強も兼ねてエスペラントの本にも取り掛かり始めました。
横浜のエスペラント世界大会で、妹が買ってくれたのが表題の本「Gooŝ La 'Ĉelisto / セロ弾きのゴーシュ」でした。未だに不審に思うのはĈelisto の前にアポストロフが付いている理由です。訳者の野島安太郎氏の意図は何だったのでしょう。(どなたかその理由を知っている方教えてください!)

カルガリーに行っている間お休みにしていたのですが、再び読み始めようと思っていた矢先、ウェブを彷徨中に次のようなブログに出会いました。
小学校2年生の作文に泣かされたよ。
言葉遣いが聊か乱暴な表題なので、躊躇ったのですが大の男が泣かされるような小学二年生の作文に関心があり読んでみました。ブログの著者も驚いていますが私もビックリしました。
子供の頃、小学二年生より年長だったと思うのですがこの本を読んだ覚えが有ります。覚えがあるだけでどんな感想を持ったのか憶えていません。
ところがこの少女は実に明確にその感想を書き表しています。大人でも「宮澤賢治の言いたかったことは何か教えてください」という人が居るのに。この少女(中村咲紀ちゃん)の心理分析、凄いと思いました。
是非読んでみてください。暇の無い人は暇を作ってでも。。。

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A N Z U O とは何ぞや

2007-11-21 18:06:58 | エスペラント


エスペラントで杏のことをAbrikotoと言うのを忘れて、Aprikoto を探していた私は見つからないので(当たり前だ!)
JEI発行の和エス辞典(宮本正男編)を開きました。
出てきた答がAnzuarbo(木)とAnzuo(実)。
一寸待ってよ宮本さん!と髪の毛ボサボサの宮本氏を思い浮かべながら。。。
何故Anzuoなんでしょう。
桜をSakuroと言うのにさえ抵抗を感じている私としてはいささか腑に落ちないのです。
杏は日本独特のものか?日本にしか無いものか?日本が原産地か?
そんな訳でウィキペディアを当たって見ましたら、原産地どころか、生産量だって世界で8番目と低いではありませんか。
原産地は中国、現在生産量の最も多い国はトルコ。
ここでAnzuoと頑張る必要があるのかどうか、みなさんどう思いますか?

参考:
あんず
Abrikoto
Apricot


ベルゲンからの便り

2007-03-14 16:33:40 | エスペラント
De Bergeno, Norvegio


土砂降りの、汚れた雪が洗い流されていきます。
夫の集めた切手の中に古いはがきがありました。
妹がノルウェーはベルゲンでのエスペラント世界大会から送ってくれたものです。
切手だけが目的ならその部分を千切っておく人でしたから、これは送ってくれた妹が意図したようにそのまま保存する心算があったものです。
十六年も前のものです。妹が世界大会に出席し始めたのがこの頃だったのでしょう。
その中に、十年も若い友人TKのことが書いてあります。猪突猛進の代名詞のようなTKの辞書には「物怖じ」という言葉がありません。ノルウェーに落着いてからも兎に角活動していた人です。音信が途絶え、すっかり忘れていたのですが、今度横浜で会えるかも知れないという気がしています。実家があの辺だし、きっと来るでしょう。
ある日突然ノルウェーの公衆電話から只で電話を掛けてきた時は驚きましたが、その彼女からヒントを得て私もトロントの公衆電話を試してみたことがあります。
一個だけ使えました。が、電話局が気付いたらしくその後使えなくなりました。面白い経験でした。

結婚した当時はエスペラントだけが私たちの共通語でしたが、英語圏で暮らす身、収入を得るためには英語を話せなければなりません。そして何時の間にか共通語は英語になっていました。子供達に内緒の話はエスペラントで・・と言う時代もありました。長女は覚えてしまい「今、こう言ったでしょう」と翻訳してしまったり。

妹からの古いはがきを前にして、改めて学び直そうという気が起きて来ています。
我が家は数ヶ国語が行き交う家庭でしたから、多くの場合私はただ聞いているだけという習慣がついてしまったのですが、これからは発音の練習も声を出して精を出しましょう。
最近は独り言も大きな声で言うようになったので、特別な努力をする必要もありませんし。

エスペラントで俳句 (2) September 05 14:51

2005-09-06 03:51:27 | エスペラント

久しぶりに自作の俳句をエス訳してみました。
どうしても出来ないものもありましたが、今回は五句。

駒鳥の身繕いする雨の後

Sola rubekol’
Sinpretigas post pluvad’
Tre absorbite

連翹に輝く朝日嬉々として

G^oje briladas
La levig^anta suno
sur forsitio

母の日や花束があり陽射し佳し

Suno brilanta
ricevis bukedon La
tago de l’patrin’

微笑みも歪む暑さや狂い夏

Por valmegeco
grimacig^as ec^ ridet’
Freneza somer’

空澄みて風も涼しく良き日なり

Hela c^ielo,
Venteto ankau’ friska,
Estas bontago
今日の写真はドラマティックな光と影が気に入っているもの。これだけでは何の写真か判りませんが、アメリカ滝の底の岩を洗う水の情景です。