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さんたろう日記

95歳、会津坂下町に住む「山太郎」さんたろうです。コンデジで楽しみながら残りの日々静かに生きようと思っています。

私の町の私の好きな家あちこち(6)

2018-02-13 | 日記
こじんまりしたどこにでもある小さな金物店さん
いいえどっこい違うんです



お店の中に入るとお見事、ここは小さな金物の博物館なんですよ。大きな大工さんの工具から、家庭の台所の包丁・バケツから、柱にねじ込んで使う小さなフックが4個入ったビニールの小さな袋まで、金物のありとあらゆる物が美しく整然とととのえられた棚がいっぱい並んでいるんです。

そしてお店の奥には畳が敷いてある縁がって、その前にはテーブルがあって椅子が5つほど並べてあり、テーブルの上にはお茶の道具が並べてあるんです。

いつでしたか、私がまだ車の運転が出来ていた頃家内と二人このお店を訪れたことがあるんです。家内は包丁を、私は柄の緩んだ鍬のくさびと、先がビニールでなく細く細かい金網で出来た蠅たたきが欲しかったんです。

私の家内はうるさいほどまるで機関銃のように話すことが好きな人間です、品物を買うより先にさっさと奥のテーブルに座ってお茶をご馳走になりなが夢中で話あっています。なんかこのお店のご本家さんと家内は知り合いだったみたいなんです。

私はその間金物の博物館が嬉しくて見せて頂いて楽しんでいました。

買い物は家内は包丁とフライパンを使う時の金属で出来たへらのような物を買い求めました。私は鍬に使うくさびが3個入ったビニールの包みひとつと金網で出来た蠅叩きを買いました。

精算はレジスターなぞないんですよ。ちょっと大きめの電子計算機にひとつひとつ丁寧に説明しながら入力して精算なさるんです。昔お客と店の主人がそろばんを使って言葉を交わしながら商売をするあきんどの道がここには生きているんですね。

話が別ですけど、私が子どもの頃は富山の薬屋さんが家に置き薬を置いておきました。そして一年に一度お出でになってつかった薬を調べて補い、古い薬は新しい薬と入れ替え。矢立という先に墨壺がついていて中に小さな筆の入ったものと、小さな携帯用のソロバンをだして精算記録をなさりがら諸国のいろんな噂話なしをなさる。テレビもラジオもなく石油ランプで夜を過ごす時代でした。小学校2~3年の子供だった私はそれがどんなに楽しいものであったかを思い出します。昔の商いと言うのはそうゆうものだったんですね。

買い物が終わって店を出るときはご主人さんが出口まで送って下さいました。金物のお店ですからそうそういつも買い物をするお店ではありませんけど、私はまだ温かいあきんどの道が残っているこのお店が大好きなんですよ。会津坂下町仲町高松金物店さんです。 

厳しい寒波に吹雪く街

2018-02-12 | 日記


激しく吹雪く街通りは暗いです。こんな街通りを歩っているのは私一人です。だって朝除雪された歩道は吹雪く雪に埋もれていて歩くのが大変なんです。

この状況を撮ろうとしたらこの一枚だけがやっと撮れましたけど、そのあとカメラが作動しなくなったんです。あれっ、カメラが故障?・・困った!・・もう新しくカメラを購入する資金はないしどうしょうと落ち込んでしまいました。やむをえないアマゾンで中古カメラをさがし、資金をばばちゃん(家内)を拝み倒して出してもらい別なカメラを購入するしかないかとあきらめました。でも家に帰ってみたら違うんです。カメラは正常に動きます。ほっとしました。あまりの低温で容量が少なくなっていた電池の容量が切れたらしいんです。こんな経験は初めてです。

厳しい寒さの今日の散歩は、激しく吹雪く雪で歩道が埋もれていて歩くのが大変でした。疲れました。今日の歩数は3200歩でした。

私の町の私の好きな家あちこち(5)

2018-02-11 | 日記
うちの家内が親戚のようにして頂いている江花衣料品店さんです。 


 
市中二番甲にある立派な土蔵造りの老舗(しにせ)で、私の家内もそうですけど街にくると買い物のあるなしにかからわずたくさんの人が店にお寄りしてお話を楽しむんだと家内から聞いているんです。

家内が町に出るとなかなか帰ってきません。買い物があってもなくても必ずこのお店にお邪魔してなにやかやと楽しませて頂いているようなんです。何年か前に家内に呼ばれて私もお邪魔したことがあります。二月中でしたのでお店には格調のある美しいお雛さまが飾られていました。



お聞きすると店の奥様が柳津町の旧家からお嫁にお出でになられた時持参なさったものなんだそうです。

私の家では衣類のすべて靴下からハンカチに至るまで江花屋さんから頂いております。急ぎの時などでは電話をすれば奥様がすぐに届けて頂けて下さるようなんです。有り難いことです。正直私は衣類には全く関心がありません。でも江花屋さんにお世話頂いている家内の様子を見ると心の通う老舗さんを持つことは本当に素晴らしいことだいつも思っているんです。

私の町の私の好きな家あちこち(4)

2018-02-10 | 日記
お伽の国のお店のような楽しいお家がありました


 
酒・タバコ・シオヤとあります。
間違ったらごめんばさいね。この三つの品は戦前の昭和初期の時代は国の専売品だったように思います。戦前の成人とってはこの三つの品は基本的に欠かせない大事なものでしたけど国はこれらを国の専売品として定め、国の許可を得たものでなければ製造販売が出来ないことにしていたんです。その専売品の独占的利益で国の財政を潤していたんですね。

たとえばタバコです。タバコは今のように自動販売機で自由に買えるものではありませんでした。販売を許可されたお店には50cm四方くらいの赤いブリキの看板が掲げれていてそのお店には売り場の窓口があって綺麗なお嬢さんが座ってタバコを売っていました。

その頃こんな歌がありました。
向こう横丁のタバコやの可愛い看板娘 年はは十八番茶も出花愛しじゃないか、
いつも煙草を買いに 行きゃ優しい笑顔、だから毎朝毎晩煙草を買いに行く ・・・

その頃はタバコは成人の特権みたいなもので成人の大部分の人はどこでもいつでもタバコをぶかぶかふかしてのんでいました。わたしなど20歳になった時成人になった証しにと好きでもないタバコを苦しみながら必死になって覚えました。そして猛烈な喫煙愛好者になってしまったのです。そして禁煙しようと決心実行した時の苦しみは大変なものでした。ほんとタバコは怖いです。禁煙して25年ほどになりますけどいま91歳の老体が元気していられるのは禁煙のお陰だと思っています。

タバコでの思い出のひとつに祖父のタバコを思い出します。80数年昔のことです。祖父はタバコ入れに真っ赤な石とはがねの鉄の板とほくちという乾燥した植物を細かくもんで綿のようにしたものを持っていました。野原でタバコを飲むときには真っ赤な石英みたいな石に鋼ねの板をうちつけて火花を出しほくちに移して火をおこしタバコを飲んでいました。まあ原始ライターですね。

今は塩(食塩)はなんか毒でもあるかのように減塩を叫びまるで減塩がモラルのように口にする人がいます。(私の家内のばばちゃんがその一人です)もちろん大量の食塩はいけませんけど適量の食塩は人間にとっては欠かせないものだと私は思っているんですけど。

私の幼い頃つまり80数年前はたいていの家では海水から製塩された食塩を藁の俵に入れたものを買って保存していました。保存していると俵の中の塩から少しずつ液がしたたり落ちます。にがりです。

子供の頃私の住んでいた集落には豆腐屋さんはありませんでした。ですから祭りやお盆などの晴れの日にはそれぞれの家で大豆を石臼ですりつぶして豆乳を造りにがりを入れて豆腐をつくっていました。その豆腐は硬いんですよ薄く切って火にあぶり焼き豆腐をつくったり、薄く切った豆腐を藁で編んで冬の外に下げ凍み豆腐つくったりしました。

山奥の集落の冬は2m近くの積雪があり物資の流通は途絶えます。ですから冬になる前には秋上げといって冬の4ヶ月分の野菜や魚類の保存処理をしなければなりません。その保存処理のひとつに食塩で漬けるという大事な方法があります。すこし塩からいですけど美味しく乳酸発酵した野菜の漬け物はおいしいですし、塩鱒や塩鮭や川魚の鮨漬けも美味しいものでした。

私の古里奥会津只見街の塩沢という集落には塩竃神社があります。それはこの集落には食塩の解けた水の出る井戸があって明治の始め頃まではこの集落で製塩が行われていたのです。山塩ですね。昭和14年頃は食塩が不足して3年ほど製塩が行われていました。

お酒ね。私は酒が嫌いですからあまり酒の思い出はありません。私の家の父は戦後お酒が不足していたとき密かに畑の隅に甕を置いてどぶろくを造っていました。もし人にしれると税務署に密告されて大変な罰金を科せられる可能生があったのでどの家でも密かにたれにも知られないようにどぶろくを密造していたのです。お酒は許可された者しかつくれな国の専売品でしたから。その時私はその秘密のどぶろくの場所を知ってしまったのです。密かにコップをもってどぶろくの甕の蓋を開けました。果物に似たいい香りがしてぶつぶつ泡を吹いていました。あまり美味しくはなかったんですけどコップいっぱいのどぶろくを飲みました。これがいけなかったんです、苦しくて吐いてのたうって苦しみました。それいらい酒と聞いただけで気持ち悪くなるんです。わたしは酒は嫌いです。

昔国の専売の酒とタバコと塩を売っていたであろう楽しげなお伽の家のお店からくだらん思いがつぎつぎに湧いて来ましたけど、くだらん思い出はここらへんで止めて起きます。11時近くなりました。 遅いので読み返しません。誤字脱字がいっぱいと思いますけどお許し下さい。

私の町の私の好きな家あちこち(3)

2018-02-09 | 日記
まぼろしの酒といわれる「飛露喜」の蔵元
会津坂下町市中二番甲にある広木酒造本店です。



格子戸が美しく格調の高い立派なお店で散歩のたびごとにしみじみと眺め楽しませて頂いております。お店の広い入り口のガラス戸にはいつ行ってもこの張り紙「飛露喜は品切れです」が貼ってあります。



私はアルコールアレルギーでお酒は一滴も飲めません。ですからお酒についてはまったく興味がありません。でもお会いする人に「あなたは会津坂下町ですからまぼろしの酒と言われる[飛露喜]のことは知っているんでしょう」とよく言われます。そのたびに「なんか聞いたことはあるんですけどお酒のことはあまりよくは知らないんです」とごまかしているんです。でも時には「なんとかして1本でもいいから手に入れてもらえないか」と言われることさえあります。それでやむなく広木酒造本店に行ってみるといつも「飛露喜は品切れです」が貼ってあるんです。

そんなに有名な「飛露喜」なのに知らないのもどうかと思ってネットで調べてみました。
「飛露喜」は無濾過生原酒(むろか なま げんしゅ)でフルーティーな白ワインのようなまろやかな味の地酒であるが保存が難しく出荷も限定されているため一部の地酒専門店でしか手に入らないまぼろしの酒として知られている。

この酒は今のご当主が醸造に関係のない大学を卒業なさり醸造とは全く関係のない企業で働いていらっしゃったとき父君の急逝でやむなく広木酒造をお継ぎになり数年若い杜氏の方たちと苦労をされながら研究醸造をなされこの「飛露喜」を造りなされたともありました。

いくらお酒に興味のない私でも私の町会津坂下でこんなに有名なまぼろしの酒と言われる「飛露喜」が醸造なされていると知るととても誇らしく思われるのです。格調の高い広木酒造本店のお店も、そしてこんな銘酒を醸造なさっているご当主や杜氏の方も輝いて見えるのです。嬉しくて尊敬してしまうのです。

お酒の飲めない私ですが、まぼろしの酒「飛露喜」と広木酒造本店の建物は私たちの町の誇りと私は思うのです。

今日の散歩=6974歩