まほろば街道散策[4]
雀林法用寺山門です
会津美里町ホームページに「へびの御年始は雀林地区で毎年1月7日に行われる全国的にも珍しい伝統行事です。中学 一年生(13歳)を頭に、地元の子供たちが、藁で作られた蛇を抱え、ときの声をあげながら集落の各家を廻り、家族の無病息災を祈願するものです。集落を廻ってきた古い藁の蛇は門前で燃やされ、門には、新たしく作られた蛇が飾られます」とありました。
(写真は美里町ホームページからお借りしました)
昔からの伝統行事が今も生きているんですね。元気だったら来年正月7日に訪れてみたいと思っているんですけどどうなりますか。
法用寺山門の仁王門には大きな金剛力士像の写真が飾れていました。訪れた私にはすごく寂しい仁王門でした。
私が50歳台の若かった頃、40年近く昔のことですけど私は休日になると50ccのミニバイクに乗ってオリンパス0M-1という小型軽量しかも価格が安いのにすばらしい写真を撮ってくれるカメラを持って石仏を訪れるのを楽しみにしていました。そのおりこの法用寺に訪れたのですが、仁王門の中には「金剛力士像」が阿吽の姿で仁王門いっぱいの大きさでお立ちになっていたのです。息を呑むような圧倒的なお姿でした。
解説によれば「平安後期の欅の一木造りの木造で、同時代のものは近江善水寺に見られるだけの逸品である」とのことでした。法用寺を訪れる時の楽しみにしていたんですけど今は他の重文の仏像とともに金堂内に安置されているとのことで本当に残念でした。
(写真は美里町ホームページからお借りしました)
法用寺金堂です
納められてる、十一面観音立像・金剛力士立像・得道上人坐像・および厨子と仏壇は国の重要文化財に指定されているとのことです。なお写真右端の桜の古木は会津五桜の一に数えられている「寅の尾桜」です。
法用寺といえば、会津地方に唯一現存する塔遺構といわれる美しい姿の三重塔があります
驚いたことに三重塔の傍らに石川啄木の歌碑がありました。
なぜこんなところに啄木の歌碑があるんだろうと歌碑の解説を読んで見ました
中野寅吉といえば雀林出身で大正から昭和にかけて衆議院議員として活躍し[蛮寅]として名を馳せ晩年は法用寺の住職をされた中野寅吉と石川啄木の間にこんな憎しみと友情と別離の情の交錯があったなんてなんだか嬉しくなってしまいました。それにしても啄木の歌って心にしみますね。
今日は12月21日、明日は22日冬至ですね。一番夜が長く昼が短い日なんでしょうか。明後日からはほんの少しずつですけども昼が長くなるんですね。そう思うとなんだか心が明るくなります。会津は雪国です。でもまだ降雪はありません今のところ暖冬ですね。会う人ごとに「暖かい冬、雪が降らないでいいですね」と挨拶を交わしています。私もそう感じているんですけど、地球温暖化で土地の砂漠化、集中豪雨、巨大台風やハリケーン、竜巻、海面上昇などなど・・すぐそこに来ている新しい年の平穏を願う気持ちもあって不安でもあるんです。来る年が安らぐ年でありますように
良い年にしたいと思っています。
ときどき、啄木の歌碑を見に行ったことを思い出します。
心落ち着く法用寺を、また訪れたいと思います。
いつかのブログです。こんな心境で啄木を思います。
http://blog.goo.ne.jp/tosimatu_1946/e/21638bf167d5a30168f39fdea59c15ca
寒いですので、風邪など引かれませんように。
蛮寅こと中野虎吉が啄木に暴力を振るったんですか、そう思うと啄木の歌の心も違って見えてきます。
深い雪をかき分けて歌碑を見る、深い心がお有りなんですね。
葉の落ちだ虎の尾桜は悲しい老木の姿でしたけど、元気な花をつかるんですね。美しい特色のある花なんですね。来春の花の季節には訪れて見たいと思っています。
周辺は綺麗に手入れをされているので、建物の痛みについてもそのうちにきっと手入れされるのでしょうね。
啄木の碑、素敵ですね。
時代など関係のない普遍の心の歌ですね。
九州に住む息子の家で、孫たちの世話をするためしばらく滞在することになりました。
お元気で良いお年をお迎えください。
九州の可愛いお孫さんたちのお世話をなさるんですね。とてもうらやましく思います。
九州は暖かいんでしょうね。会津はまだ雪が降らないんですけど寒さが厳しくなりました。土曜日あたりから雪になるらしいんです。老体の私ですけど雪国の冬はやっぱり雪が降らないと冬になりません。周りのスキー場が悲鳴を上げております。
かわいいお孫さんたちとよいお正月を楽しんで下さい。