私は小学校1年から5年まで父の仕事の関係で山狭(やまはざ)の10戸ほどの小さな集落に暮らしていました。小学校は茅葺きの2教室、今思えば宮沢賢治の風の又三郎の小学校そっくりの校舎でした。
春になると雪解けの水の流れる沢のほとりの野辺にはいろんな春の花が咲いて楽しめました。スミレも好きな花でした、でもそのスミレは細長い葉で茎が立ち上がらない清楚な感じのする濃い紫のスミレの花でした。
でも、今のじじいの散歩道のスミレは葉が丸く、茎が立ち上がってその茎に花や葉がついて株が大きくて群がったように花がついています。清楚な感じの細葉の菫とは違ってあまり好きではありませんでした。
ところが昨日国道49号線にかかる小さな橋「鶴沼橋」の歩道のきわのコンクリートのところにたまったわずかの土にきれいなスミレがいっぱい咲いているのを見つけました。
しかもそれは細い葉の清楚な感じのスミレでした。あぁ~、これはほんとうの私のスミレだと思い嬉しくなりました。
私は心を躍らせて腹這いになって写真を撮りました。
鶴沼橋は小さな橋で、橋の終わりが三叉路になっていて信号がついていました。だから信号が赤になると写真を撮っているじじいの後ろに長い車の列が出来るのです。
その車の人たちのけげんな目を背に感じながら、じじいは嬉しくて夢中になって何枚もシャッターを切りました。
もう、じじいは80年の昔に返って、5人の同級生と遊んだ山狭の春の野辺の子供に返っていたのです。
帰り道じじいはなにやら仕合わせがいっぱいでした。