goo blog サービス終了のお知らせ 

さんたろう日記

95歳、会津坂下町に住む「山太郎」さんたろうです。コンデジで楽しみながら残りの日々静かに生きようと思っています。

また生きて帰ることができました。

2013-04-03 | 日記


 元気なつぶやきをブログに投稿した3月21日夜突然の発熱で会津中央病院に10日ほど入院して昨日元気になって退院することが出来ました。

 ばばちゃんと息子たち、それに適切で暖かく心の通う治療をして下さった病院の先生方看護師の皆様ありがとうございました。

 入院の夜にやっと判読できる乱れた文字でこんなことが書いてありました。

「ひとつずつ石段を静かに登るように、今日はとわの眠りの野辺へ歩み始めた日かもしれない・・・」 

 完治していたと思っていた胆管に肝臓から大きな結石が落ちていたのです。
 発熱の早さはすごいものでした。夜10時寒気がするので体温を計ってみたら、37度5分、朝6時には39度3分になっていました。
 いやがるじじいをばばちゃんと息子たちは無理矢理中央病院につれていきました。諸検査で肝機能の極端な悪化、そして胆管に大きな結石があることが分かり、午後2時には若い先生が内視鏡で結石を取る手術をして下さいました。

 手術は全身麻酔です。麻酔から覚めると病室にいました。はて! なぜこんなところのいるんだろうと事情がのみ込めないでいると息子たちの心配そうな顔がありました。「結石を取ろうとしたが、胆管にステント(金属製のパイプ)が入っていて石を取りだすことが出来なかった、やむをえずプラスチックの管で胆管にバイパスを作っておいた。半年か1年ごとにパイプの洗浄するか取り替えるようにすれば大丈夫だろう」と先生がいっていたよと息子が教えてくれました。

 結石はステントに邪魔されて取り出せなかったということです。ちょっとショックでした。

先のつぶやきは全身麻酔から完全にはまだ冷めない高熱状態のもうろうとした中で書いたものだと思います。

 私は13年前、73歳の時はじめて胆管炎の発熱で深夜救急車で中央病院に緊急入院しました。救急病室の中で医師の先生は息子とばばちゃんに「今夜もてば助かるかもしれないが危ないです」とおっしゃったんだそうですけど、のんきな私は苦しく朦朧とした中でも死ぬなんてことはまったく考えていませんでしたけど・・・
 幸いに命を取り留め苦しい3ヶ月の闘病生活の末「完治したわけではないけど退院してもいいよ」と言われて喜んで退院しました。

そのときの主治医のI先生はお若いサラブレッドの駿馬のようなイケメンで気さくで親切で熱心な先生で患者のみんなに信頼と人気がある方でした。

 でも、当時は胆管炎の治療技術は今と違って格段に遅れていました。内視鏡などはもちろん胃カメラもMRIもなく治療は抗生物質の点滴とカテーテルという管を身体の外から胆管に差し込んでボトルにつなぎ胆汁の流れをよくすることだけでした。

 カテーテルを胆管に差し込む手術は死ぬ苦しみでした。どういうわけか麻酔が効かないのです。生身のからだにカテーテルが差し込まれる痛みで気絶寸前の叫びをあげました。私は3度退院までにカテーテルを差し替え、退院する前には胆汁の通りをよくするためにカテーテルを通してステントという管を胆管に入れました。

ステントを入れたことで十二指腸から消化液が胆管に逆流し胆管炎になりやすいとある先生から聞いたことがあります。そして今度の結石を取り出すのにも大きな邪魔になりました。また、一度入れたステントは取り出すことは困難だとも聞いていました。

 
 でも、それは当時の最高の治療法だったのですから命を救って下さった治療にに感謝こそすれ恨みに思うことなどはまったくありませんでした。

 I先生は退院後も4年間は毎月の定期診察で私を治療をして下さいました。I先生は毎月の定期診察でいつも笑顔で私を迎えて下さりとても親しみのある方で私は信頼していました。でも、5年ほど過ぎて先生は消化器科からいらっしゃらなくなりました。新しく導入された内視鏡による診察治療の方にお回りになったのです。それから8年ほどはI先生にはお会いすることは出来ませんでした。

 もう一人忘れることの出来ない看護師の方がいらっしゃいました。Sさんとおっしゃる美人のお若いぴちぴちした方でした。でも私はSさんが大嫌いでした。

 私は緊急入院して一ヶ月間食欲がまったくなく、食べ物を見ると吐き気がして食べることが出来ず点滴だけで生きていました。先生から食べるように強く言われましたけどどうしても食べることが出来ませんでした。

 その頃、食事のたびにSさんは私のところにきて「食べなかったら死ぬよ」「がんばって食べなさい」と励まし叱りました。だから私はSさんを恐れ大嫌いだったのです。
 でもあるときあまりのSさんの言葉に負けて配膳の中の野菜を一切れやっと食べました。そしてそれからSさんに褒められ励まされ3週間ほどのちには食事を全部食べることが出来るようになったのです。そして私の体調はぐんぐん良くなって行きました。

 私は今でも厳しかったSさんを命の恩人と思っています。

 胆管の結石を取り除くことは出来ませんでしたけれど、プラスチックの管で胆管にバイパスをつけて頂き胆汁が流れるようになったことと、抗生物質の点滴のお陰で入院した次の日の朝は43度もあった体温は37度3分までさがり気分も良くなっていました。

 そして8時、朝の回診がありました。目を上げた私は驚きと嬉しさでいっぱいになりました。目の前に立っていらっしゃる先生はなんとI先生でした。そして後ろについていらっしゃった看護師さんはSさんでした。

 先生は笑顔でおっしゃるんです。「胆管に結石がありましたね」「はい、でも昨日の手術で取ることが出来ずバイパスをつけて頂きました」「その石をとってあげます」後ろのSさんは笑顔で私を見ていました。「じゃ入院が長引きますね」という私のことばに先生は「どんなことをしても取らなくてはなりません」とおっしゃって別の患者さんの方へ行かれました。

 私は嬉しかったですけど、そんなこと出来るのかなと不安に思っていました。そして次の日、内視鏡で胆管に造影剤をいれて詳しく検査することになりました。

 次の日の夕方5時近く内視鏡による検査診断が行われました。全身麻酔ですからなんにも分かりません。麻酔から覚めたのは夜でした。でも麻酔のためにその夜は熟睡して朝気分良く目が覚めました。

 朝8時、検査の結果がどうだったか期待と不安で先生の回診を待ちました。 先生は私の顔をみるなり「結石は取れたよ、ステントの奥にある石を内視鏡で砕いて全部とりだすことが出来たよ」「でも万一砕けた石のかけらがステントの奥にあってステントに詰まるかもしれないから、しばらく抗生物質の点滴をしながら様子を見ましょう」そうおっしゃいました。

 私は思いも懸けない結果に驚き感動し嬉しくて老人の目に涙が浮かびました。「ありがとうございました」深く頭を下げる私に何事もなかったようにI先生は部屋を出ていかれました。Sさんが振り返って笑顔で良かったねといって下さいました。

 私に命が帰ってくることが出来たのです。4日後私は無事元気で退院出来ました。

 花も野も、人の心も美しい。今は生きて帰れたことに感謝して残りの人生を力いっぱい生きて行こうといまは思っています。