元々、海水を塩田に引き入れて製塩することが行徳の重要な産業だった。今でも、その製塩に因んで塩浜、塩焼なんて地名がある。
我が関口家の曽祖父も、公務員として行徳の町の助役を任されて、製塩産業を伸ばした功労を表彰され、自宅には古い塩田の写真と金杯残されている。
塩は嗜好品ではなく必須食品だから、旧江戸川に常夜灯という船着場から、行徳の塩は水上輸送された。
今でも常夜灯跡は公園になっていて、近隣には積み下ろしを職業にする男達が淡水化物で力をつけた笹屋うどん跡の古い家屋が残されている。
もちろん、笹屋うどんは廃業してしまった。
そんな、行徳の町に地元の若い方がナポリピザの店ドゥエ・ランピオーニをオープンして、なかなか繁盛している。
数日前に、ジャパンタイムスにその取り組みを紹介されて、高評価を得ていたのは喜ばしいことだ。