上野の光輪モータース自己破産

2008年04月26日 | バイク

 私の世代なら、知らない人はまずいない上野の光輪モータースが倒産した。随分前から取引先離れが相次ぎ、危ないとは聞いていたが161億円もの負債とは凄いもんだ。

 名物社長若林久治氏の印象が強い会社だったが、最近では、息子さんが週間バイクTVに出たりしていたのが記憶に新しい。

Untitled私も若い頃、欧州のルッカのレインスーツが欲しくて出向いたのを記憶している。中古車販売で財を成し、20年位前にテレビの「日本の金満社長」みたいな番組で総檜の自宅が取材されていたのを覚えている。

 一方、労使闘争の先頭に立ち、店の前でビラを配る等(左写真)、拗れた関係の元従業員が松戸の自宅付近で襲撃を受けた。

 犯人逮捕に至ってないが、こんなキナ臭い事件まであった。いずれにしても、一つの時代が終わったような記事に違いない。

以下、帝国データーバンク資料より

「東京」 (株)光輪モータース(資本金5000万円、台東区上野7-10-1、代表若林久治氏、従業員34名)は、4月23日に東京地裁へ自己破産を申請した。

 申請代理人は柴原多弁護士(港区赤坂1-12-32、電話03-5562-8500)ほか6名。

 当社は、1961年(昭和36年)1月に(有)光輪モータースとして設立した、オートバイ用品、パーツの輸入・小売業者。65年9月に株式会社に組織変更、東上野の昭和通り沿いに位置する「上野バイクタウン」の中心的存在となっていた。ピーク時には同地区に二十数店を展開、一時は大阪店も開設し、外国製のヘルメットを中心にウエアやパーツを販売して92年12月期には年売上高約94億円を計上していた。

 しかし、その後はオートバイ販売台数の減少や、東上野地区の再開発で上野バイクタウンの地盤沈下によって販売不振に陥ったうえ、社員に対する賃金未払いなどの訴訟が相次いで企業イメージが低下、2007年12月期の年売上高は約5億5900万円にまで落ち込んでいた。

 売り上げの低迷から金融機関への返済も遅れて、2003年にはメーンバンクが債権を整理回収機構に譲渡。大半の不動産が競売にかけられたため次々と店舗を閉鎖していたが、残った店舗の所有者の申し立てで明け渡しの強制執行が4月25日に迫ったため営業続行が不可能になったと判断、今回の措置になった。

 負債は約161億1100万円が見込まれる。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ドーン!170万円のジュークボ... | トップ | PR Page DUCATIモンスター696... »
最新の画像もっと見る

バイク」カテゴリの最新記事