ぶらっと散歩

訪れた町や集落を再度訪ね歩いています。

岩国市美川町の四馬神は難読地名だが美川の中心地

2021年04月16日 | 山口県岩国市

        
                 この地図は、
国土地理院の2万5千分1地形図を複製・加工したものである。
         四馬神(しめがみ)は錦川が中央を南流する細長い地域で、集落は川の左岸に集中する。岩
        国市美川支所などがあって美川町の中心地である。 (歩行約2.5km) 

        
         河山(かわやま)駅は、1960(昭和35)年岩日線の終着駅として開業したが、その後、錦
        町駅まで延伸されて途中駅となる。1987(昭和62)年の国鉄民営化により錦川鉄道(第三
        セクター)に移管される。

        
         島式ホーム1面2線を有して上下列車交換可能駅であったが、駅舎側に面する線路が撤
        去されて交換機能が廃された。構内には
転轍器挺子などの交換可能な設備などが残されて
        いる。 

        
         駅構内の敷地が広いのは、かって日本鉱業河山鉱業所(旧美川町添谷)から産出された硫
        化鉄鉱石を搬出するための貨物ヤードが設けられていた。1971(昭和46)年に鉱山は廃
        止され、ヤードと線路は撤去されたが敷地などは当時のままである。

        
         駅舎前には商店もあったようだが閑散としている。

        
         旧河山小学校は、2002(平成14)年桑根小学校と統合し、美川小学校(旧桑根小学校校
        舎)が開校する。

        
         県道徳山本郷線を錦川上流方向へ進む。

        
         錦川に架かる錦雲橋で国道に合流する。

        
        
         川筋にへばりつくように建物が並ぶ。

        
         旅館丸屋があったが廃業された。

        
        
         1889(明治22)年町村制が施行され、四馬神・添谷・小川・波野村をもって河波村が
        発足したが、その後、波野が本郷村に編入されたため河山村となる。1955(昭和30)
        に美川村が発足するまで村役場があり、旧美川町役場へと引き継がれる。当地は神社地で
        あったため、岩国市との合併後、地内に出張所を新築移転する。
        
        
        
         河山河内神社は都濃郡の二俣神社の神霊が、洪水によって当地に流れ着き、この神霊串
        を崇敬して河内神社を設立したと伝える。

        
         神社先の通り。

        
         看板建築が往時の繁栄を物語る。

        
         旧美川町の町花であるカワツツジがデザインされた仕切弁蓋。

        
         左からアユ、カワツツジ、巨大水車のでかまるくん、下にカジカガエルが描かれた消火
        栓蓋。

        
         地名の由来となった四馬神岩。かっては川上村と呼ばれていたが、平安期の1182(養
          和2
)年の秋に洪水があり、神霊串が流れてきて、石上にひかかっていた。里人が取り上げ
        て注連をかけた。つまり、「注連(しめ)」が「四馬」に変化して、「神」の関係から四馬神
        となり、その石を四馬神石と呼び、村名も四馬神となった。

        
         河村商店横に四馬神石。

        
         1903(明治36)年から1987(昭和62)年まで旧河山小学校があった地は、現在は岩
        国市美川支所等になっている。

        
         GS付近で集落は途切れる。

        
         錦川沿いから家並みを見て柳瀬集落に移動する。

        
          河山駅から錦川上流3.4kmのところに錦川鉄道・柳瀬駅がある。この地も美川町四馬
         神であり、錦川に並行して単式ホーム1面1線と待合所がある。

        
        
         柳瀬集落は平地がなく、傾斜地に張り付くように民家が建っている。


岩国市錦町の深川は宇佐川沿いに集落

2021年04月16日 | 山口県岩国市

        
                 この地図は、国土地理院の2万5千分1地形図を複製・加工したものである。
         深川は西の大将陣山・城将山を結ぶ山峰と、東に続く山峰の間に挟まれた山間の地。地
        内を南北に貫流する宇佐川河域の河岸段丘に集落が立地する。
         地名の由来は、東西に山高く、谷深き土地柄のためとあり。(歩行約2.5km)

        
         深須郵便局付近の駐車地から川下に向いて歩くと、国道を旧岩日線の高架が横断する。

        
         集落へは国道下を潜る。

        
         橋下の先に円乗寺(真宗)の本堂と庫裏。寺伝によると芸州安村にあった法正寺の弟子・
        教誓が天正年中(1573-1592)に小庵を建てたのに始まるという。寛永年間(1624-1644)に寺
        号を申請して現寺号を称する。

        
         もっとも水辺に近い鐘楼とか。

        
         宇佐川は山口県の最高峰・寂地山を源に発し、険しい谷間を流れる急流河川である。豊
        かな水量と大きな砂礫や岩が露出し、様々な河川景観を形成している。
 
        
         寺の先に神代増作先生顕徳碑が建立されているが、1862(文久2)年佐波郡高瀬村(現
        周南市高瀬)の村田家に生まれ、後に深須村の神代家に養嗣子となる。学校教育に多大な功
        績をされたとある。

        
         1889(明治22)年町村制の施行により須川村と深川村の区域をもって深須村が発足。
        1955(昭和30)年まで現市役所の出張所がある地に村役場が置かれた。

        
         明智庵文殊堂。

        
         県道秋掛錦線の鶯笛隧道の手前右手に愛宕社への参道。

        
         深川の家並み。

        
         頂には火伏せ・防火の神である愛宕社と、水神・雷神の三輪社が祀られている。

        
         小山橋まで戻って集落内を過ごして国道を横断する。

        
        
         下向吊橋。

        
         錦川鉄道錦町駅から雙津峡(そうづきょう)温泉までの約6km間を、旧岩日線の予定地だっ
        た跡地を利用して、観光用トロッコ遊覧車が運行されている。片道40~50分、土・日
        ・祝日及び春・夏休みのみとされている。

        
         錦パレスは1980(昭和55)年国の施設である労働福祉事業団山口保養所・錦グリーン
        パレスとして開設されたが、当時の錦町が第三セクター方式で経営に参加する。建物は鳥
        が羽を広げて飛び立つイメージで設計されたとのこと。

        
         集落を見ながら駐車地に戻る。


岩国市錦町の須川は宇佐川いの山間集落

2021年04月16日 | 山口県岩国市

        
                  この地図は、国土地理院の2万5千分1地形図を複製・加工したものである。
         須川は羅漢山より南にのびる山稜と大将陣山系などに東西を挟まれ、地内を南北に宇佐
        川が蛇行してつくる河岸段丘と山麓の緩傾斜地に集落が立地する。
         地名の由来は、讃井兼道が山林を切り開いて当地に居住、鎮守として河内国須川より河
        内神社を勧請したためとある。風土注進案では宇佐川が石瀬・洲・渚が多いので洲川と称
        したためとある。(歩行約2.3km)

        
         錦川鉄道の錦町駅から岩国市生活交通バスが運行されているが、錦川鉄道と生活バスの
        併用は日帰りを考えると厳しいので車に頼らざるを得ない。駐車地は大将陣茶屋バス停前
        に広い駐車地がある。

        
         宇佐川沿いの道。

        
         大将陣橋の袂にある石造物は、石仏のようだが風化して判別できない。

        
         石造物と対峙して狸が手挽き石臼の上に陣取る。

        
         橋を渡ると石垣が積み上げられた中に民家が建つ。

        
         高台から見る須川の家並み。

        
         向かい側の高台にも民家。

        
         傾斜地の最上部に穀物の神・大歳社。

        
         傾斜地にある佐古谷川。

        
         深須小学校は、1978(昭和53)年深川小学校と須川小学校が統合して創立されたが、
        2002(平成14)年休校となる。

        
         1889(明治22)年町村制施行により、須川村と深川村が合併して各1字をもって深須
        村となる。これといった史跡もなく、通る車のほとんどが素通りする。

        
         空家が目立つ。

        
         安村とうふ店の裏筋。

        
         宇佐川右岸にある傾斜地の家々。

        
         誰とも会うことなく集落内を過ごす。

        
         国道に並ぶ集落は約400m範囲にある。

        
         大将陣茶屋バス停の山手側に大元神社。鳥居の額束は松尾社とされ、境内社として弥山
        神社が祀られている。