この地図は、国土地理院の2万5千分1地形図を複製・加工したものである。
川尻(かわじり)は向津具(むかつく)半島の北東部に位置し、東は日本海に面する。背後に
200m前後の丘陵が迫り、川尻川河口周辺に集落と川尻漁港がある。(歩行約3.4km)
JR人丸駅(11:41)からブルーライン交通油谷島行き20分、川尻バス停で下車する。
一段高い道が県道久津小田線。
山手側にある住宅は、細い階段道で結ばれているため、運搬手段は背負い駕籠で対応さ
れているとのこと。
漁業の神である恵比須神社。
神社横から路地に入ると急階段。
階段を上がると道路沿いにある家の屋根と同位置になる。
家々は山の急斜面にへばりつくように建てられ、道のほとんどが階段で、この道を中心
に各民家は枝道で繋がっている。
川尻は全戸が真宗で、向津具上白木にある向岸寺の檀家であったが、先祖の命日等に参
詣するには遠くて不便であった。そこで大島郡屋代村の古跡・奥之坊の引寺を出願し、1
733(享保18)年許可され、1947(昭和22)年法泉寺と改称する。
更に上がって行くと、地元の方が港を一望できる場所があると案内していただく。
背負い駕籠はなくてはならない必需品のようだ。
防波堤の中は波穏やかである。
かっては商店などもあって、集落の中心であったと思われる通り。
この階段の右手が河内神社、左手が浄念寺への道。
階段の途中にある火除けの神・河内神社は、1700(元禄13)年河内国より勧請し、川
尻鯨組が社を建立して鎮守同様とする。
冷蔵庫など重たい荷物はどのように運搬されているのであろうか。
浄念寺(真宗)の旧寺号は潮声庵と称し、元河内神社の社地にあったが創建開基は不明で
ある。1868(明治元)年に廃庵となったが、後に再興されて現在地へ移転し、戦後に現寺
号となる。
寺前より川尻の家並み。
田代堤を源にする川尻川沿いの家並み。
家も地形に沿って形成されている。
1873(明治6)年に創立された川尻小学校は、その後、校名や所在地を変えたが、川尻
地区の小学校としての役割を果たす。児童数の減少により、2004(平成16)年廃校とな
るが、1971(昭和46)年築の校舎は、当時のままの姿で佇んでいる。
当地は捕鯨漁が盛んで、創業は1698(元禄11)年鯨組を取り立てたことに始まる。
しかし、獲れる鯨の量は一定せず1807(文化4)年には多大な負債を抱え、事業を一時
代官所に移譲する。川尻には増船しようにも波止がなく、1845(弘化2)年波止の築造が
始められ、5年の歳月と巨費が投じられた。
1951(昭和26)年第4種漁港(離島その他辺地にあって避難上必要とされる漁港)に指
定され、翌年から30余年間大改修工事が行われ、その後も防波堤の改良もあって外海の
漁港としての機能を有することなった。
最近は少なくなった風景の1つである。
川尻バス停よりJR長門市駅に戻る。