ぶらっと散歩

訪れた町や集落を再度訪ね歩いています。

下松市花岡は八幡宮の門前町と旧山陽道 

2019年10月04日 | 山口県下松市

        
       この地図は、国土地理院丁長の承認を得て、同院発行の2万5千分の1地形図を複製したものである。(承認番号 令元情複 第546号)
         花岡は平田川上流域および末武川下流域に位置する。地名について風土注進案は、八幡
        山に花
が咲く大木があり、その香りが村中に満ちたことによるとあるが、現在の八幡宮が
        「端の岡」にあったことから出たとされる。(歩行 約2.8㎞)

           
         1987(昭和62)年地元の請願によって新設されたJR生野屋駅駅は、JR周防花岡駅
        までは約1.9㎞の距離である。

           
         創建時は尊城寺と称していたが、1640(寛永17)年に教應寺となる。徳山藩より手
        厚い加護を受け、敷地は狭いが立派な鐘楼門と本堂がある。
         「何も知らずに生まれ出て 知らぬ間に歳をとり 思わぬ病気で死んでゆく 人の一生
        この道は 逃げもかくれも出来ぬ道」とある。

           
         萩藩領と徳山藩領生野屋村の境界は、花岡医院と小川(時宗川)の中間地点に石橋があっ
        たとされるが、明確な位置を見つけることができなかった。(時宗川付近)

           
         古民家も無住のためか崩壊の途にある。

           
         花岡宿では上原(醤油)、中村()、礒村(衣料)、藤井(蝋燭)、金藤(味噌)などが、商家
        として財をなしたとされる。


           
         花岡脇本陣(武弘家)は現在の花岡医院にあったとされ、武弘太兵衛の日記には、下田で
        の密航に失敗した吉田松陰と金子重輔が、江戸から駕籠護送されたことが記されていると
        か。

           
         1650(慶安3)年に萩藩は当地の本藩領5ヶ村を都濃宰判の所管とし、花岡に代官所(
        場)と隣接して本陣(御茶屋)を置いた。
        
        
         1651(慶安4)年開基とされる法静寺(浄土宗)がある。

           
         法静寺境内の左手に花岡福徳稲荷大明神があり、11月3日には五穀豊穣を願う稲穂祭
        では、イベントの「きつね
の嫁入り行列」が行われる。
         1724(享保9)年に住職が徳山からの帰りに数珠を失くしてしまい、その夜、住職の枕
        元に白いきつねの夫婦が現れ、「どうか私たちを人間と同様に葬ってください。葬ってい
        ただければ、数珠を見つけて村人をお守りしましょう」と言い、自分たちが倒れた場所を
        告げたという。住職が目を覚ますと、枕元には数珠が置かれていた。早速、きつねが示し
        た場所に住職が訪れると、そこには2体の白きつね夫婦の亡骸があり、住職は手厚く葬り
        供養した。それ以後、災難
を避ける功徳を授かったとされる。
         戦後、きつねの伝承から嫁入り行列が考案されたという。

           
         花岡は中世以後も山陽道の宿駅の1つとして栄えた。1592(天正20)年4月16日に
        は九州下向の豊臣秀吉が、この地に宿泊したとされる。

           
         1900(明治33)年創業の金分銅酒蔵は、槽(ふね)を使って酒をしぼるという、昔から
        の造り方にこだわった酒造りがなされているとのこと。

           
         八幡宮参道に入ると、恵比寿社、酒蔵、分金銅本店と記された高い煙突が聳える。

           
         神橋(太鼓橋)の先に閼伽井(あかい)坊と花岡八幡宮がある。

           
         参道右手には花岡八幡宮の由来を書いた石碑があり、亀が背中で大きな碑を必死で支え
        ているように見える。
         亀の形をした台座のことを亀趺(きふ)といい、中国の故事にいう贔屓(ひいき)で竜の第一
        子とされ、重いものを背負うことを好むことから石碑の台となる。(1814年建立)


           
         閼伽井坊は、709(和銅2)年宇佐八幡の分霊を祀った花岡八幡宮の社坊9ヶ寺の内、現
        存する唯一の寺である。山門は地蔵院が
廃寺される際、その山門を移設したとされる。

           
         閼伽とは、仏様に供える清浄な水のことで、古くは八幡宮や上下行の殿様の御用水にさ
        れた。
         また、この水を加持してもらえば万病に効くと伝えられ、今も魔耶窟の入口に湧き出て
        いる。

           
         石段を上がると閼伽井坊と花岡の町並み。
 
           
         八幡宮の楼門。

           
         勧請時は花岡上地にあったが、1489(長享3)年に現在地へ遷座する。

           
         藤原鎌足が創建したと伝わる日本16塔の一つで、現在のものは室町中期に再建されて
        いる。高さ13.7mの杮葺き
(こけらぶき)屋根の二重の塔は、繊麗な手法をもつ優美な建造
        物である。ここは閼伽井坊の境外飛地であったところである。(国重要文化財)

           
         社務所前には石造と木造を組み合わせた灯籠のようなものがある。

           
         石灯籠には幟のハタメキを抑えるための重石が詰め込まれている。

           
         花岡八幡宮の拝殿は重層となっている。

           
         JR周防花岡駅は、1932(昭和7)年5月29日岩徳西線開業時の暫定的な終着駅と
        して開業する。正面に飾り切妻(ドーマー)に駅名を掲げた洒落た造りである


下松市の久保市は旧山陽道沿いにある集落 

2019年10月04日 | 山口県下松市

        
         この地図は、国土地理院長の承認を得て、同院発行の2万5千分の1地形図を複製したものである。(承認番号 令元情複 第546号)
         久保市は笠戸湾に注ぐ切戸川の上流で、川と山陽道が交差する地に位置する。地名の由
        来は、周囲を高い山で囲まれた窪地であることによる。(歩行約3.3㎞)

           
         岩徳線は利便性が悪く、徳山駅前から岩国行きバスに乗車して二の瀬バス停で下車する。

           
         久保市へはバス停を引き返し、二の瀬交差点を横断して二の瀬集落に入る。

           
         集落入口は白壁の家が目印となる。

           
         どこにでもあるような家並みが続く。

           
         蛇行する切戸川を横断すると久保市である。

           
         久保市橋手前にある由加社は、備前国田の口(倉敷市児島)由加本社から、1805(文化
        )年6月熊毛郡呼坂に勧請された。1838(天保9)年久保市で大火があったとき、当地
        に勧請して防火の神としたところ、それまで度々あった火災が、その後は発生しなくなっ
        たという。

           
         拝殿の軒下には漆喰の鏝絵が施されている。

           
         木原邸には杉玉が下がっているが、酒造はされていないようある。

           
         二股となるが久保市(旧山陽道)は右手に続く。

           
           
         分岐の右手に恵比寿社がある。祠の下には幟のハタメキを抑えるための重石だろうか?

           
         1889(明治22)年の町村制施行により、切山、山田、来巻、河内村の4ヶ村が合併し、
        新村名は元来付近の中心地であった窪市(久保市)の名をとったもの
である。1953(昭和
          28)
年まで村役場が右手の地に置かれた。

           
         坂を上がって行くと左手に西蓮寺があるが、1610(慶長15)年に創建された浄土宗の
        お寺である。門前の「篤農家小林武作君之碑」は、山口県の米作改良に尽力した篤農家だ
        そうだ。

           
         左側にある灯籠は降松神社(妙見宮)の献灯で、妙見宮まで行けない人のために、ここか
        ら拝むための灯籠だったとのこと。小さな石柱には文字が刻まれているが判読できない。

           
         道が分岐する地点から岡市である。久保市は距離して400mほどであるが、山陽道の
        宿駅を兼ねており、東は呼坂、西は花岡に継いだ。

           
         地下上申では「往古は岡市に有り之、山田村之内に御座候得共、」とあるから、古く
        は山陽道沿いの市であったのかも知れない。

           
         坂を登り切った所に大きな自然石の燈籠(昭和9年3月建立)と、恵比寿社の小さな祠が
        ある。

           
         幾つかの交差点に出合うが西行する。

           
         峠から国道2号に接するが、すぐに街道は左手に分かれる。

           
         カヤトの中に戊辰戦争時の石造灯籠(慶応4年建立)が見られる。もとは国道付近にあっ
        たものが拡張工事で、この地に移設される。

           
         JR生野屋駅は、1987(昭和62)年地元の請願により新設開業した駅である。