この地図は、国土地理院長の承認を得て、同院発行の2万5千分の1地形図を複製したものである。(承認番号 令元情複 第546号)
久保市は笠戸湾に注ぐ切戸川の上流で、川と山陽道が交差する地に位置する。地名の由
来は、周囲を高い山で囲まれた窪地であることによる。(歩行約3.3㎞)
岩徳線は利便性が悪く、徳山駅前から岩国行きバスに乗車して二の瀬バス停で下車する。
久保市へはバス停を引き返し、二の瀬交差点を横断して二の瀬集落に入る。
集落入口は白壁の家が目印となる。
どこにでもあるような家並みが続く。
蛇行する切戸川を横断すると久保市である。
久保市橋手前にある由加社は、備前国田の口(倉敷市児島)由加本社から、1805(文化
2)年6月熊毛郡呼坂に勧請された。1838(天保9)年久保市で大火があったとき、当地
に勧請して防火の神としたところ、それまで度々あった火災が、その後は発生しなくなっ
たという。
拝殿の軒下には漆喰の鏝絵が施されている。
木原邸には杉玉が下がっているが、酒造はされていないようある。
二股となるが久保市(旧山陽道)は右手に続く。
分岐の右手に恵比寿社がある。祠の下には幟のハタメキを抑えるための重石だろうか?
1889(明治22)年の町村制施行により、切山、山田、来巻、河内村の4ヶ村が合併し、
新村名は元来付近の中心地であった窪市(久保市)の名をとったものである。1953(昭和
28)年まで村役場が右手の地に置かれた。
坂を上がって行くと左手に西蓮寺があるが、1610(慶長15)年に創建された浄土宗の
お寺である。門前の「篤農家小林武作君之碑」は、山口県の米作改良に尽力した篤農家だ
そうだ。
左側にある灯籠は降松神社(妙見宮)の献灯で、妙見宮まで行けない人のために、ここか
ら拝むための灯籠だったとのこと。小さな石柱には文字が刻まれているが判読できない。
道が分岐する地点から岡市である。久保市は距離して400mほどであるが、山陽道の
宿駅を兼ねており、東は呼坂、西は花岡に継いだ。
地下上申では「往古は岡市に有り之、山田村之内に御座候得共、‥」とあるから、古く
は山陽道沿いの市であったのかも知れない。
坂を登り切った所に大きな自然石の燈籠(昭和9年3月建立)と、恵比寿社の小さな祠が
ある。
幾つかの交差点に出合うが西行する。
峠から国道2号に接するが、すぐに街道は左手に分かれる。
カヤトの中に戊辰戦争時の石造灯籠(慶応4年建立)が見られる。もとは国道付近にあっ
たものが拡張工事で、この地に移設される。
JR生野屋駅は、1987(昭和62)年地元の請願により新設開業した駅である。