飯野八幡宮境内古図です。
建物は1384年(永徳4年)以前と考えられるようです。
JRいわき駅北のお城山で、
現地調査が終了し、
磐城平城本丸御殿のいろいろな遺構が出て
注目をあびました。
その中でいわき民報10月15日に
遺構から飯野八幡宮の旧社殿が鎌倉時代初頭に建てられていたのではないかと
推察される焼土層が見つかったと書かれていましたが、
層が見つかったから、
即、飯野八幡宮旧社殿と結びつけるのは早計ではないかと考えてきました。
私達の記憶では一般的に
飯野八幡宮は鳥居忠政候が平城を築く際、
八幡宮を現在地に移したと教わりましたし
いわき市史(9巻)にも書かれ
以前には定説になっていたと記憶しています。
それらの定説は
下記の山名先生や小野先生の論文等により
変更されたと理解してきましたので
いわき民報記事を見てから、再読してみました。
再読しても山名先生、小野先生の説が正しいと思いました。
興味のある方は
それらの論文を読んで各々考えてみてください。
飯野八幡宮社地の一社地
山名 隆弘
昭和61年3月 福島史学研究 第46号 別冊
を載せてみました。
総合図書館にありますので借りることもOKです。
その中で
中世の社地は物見岡でなく現在地と同じだったと
5つの論点を上げ論証しています。
すなわち
赤目崎見物岡から鎌倉初期に現在地に。
飯野八幡宮の境内の古図です。
小野先生の論文は
いわきのお宮とお祭り
P301~P323参照
小野一雄
飯野八幡宮縁起・来歴をよむ
として3点の飯野家文書を取り上げ論証しています。
☆奥州岩城 飯埜八幡宮之由緒
☆飯野八幡奥縁起 奥書
☆飯野八幡宮来歴年中行事諸式様
☆奥州岩城 飯埜八幡宮之由緒
☆飯野八幡奥縁起 奥書
☆飯野八幡宮来歴年中行事諸式様
ここに小野先生の結論が書かれています。
すなわち
「八幡宮鎮座の地は赤目崎ヶ物見岡であり
ここでいう赤目崎物ヶ見岡はすなわち平城本丸跡と同一の地であった確証はなく、
むしろ今回示した文書によって異なる場所であった」と結論付けています。
おそらく
本丸跡には飯野八幡宮の何らかの仮の建物があったことは
いのししも考えられと思うのですが。
2020年10月15日のいわき民報の記事から、
いのししが再読した限りでは
山名先生、小野先生の説が正しいと読み解きました。
これから、
山名先生、小野先生はじめ
いろいろな方々が、書かれると思いますので
興味深くみていきたいと思います。
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