いわき・うぶすな広場だより

セカンドライフの生き方を書いています。

自然に添って長い期間生きた「縄紋の社会」・・・内郷学・馬目先生講座より

2018-09-14 07:45:08 | いわきの歴史

世界の驚き
縄文土器の多様さ量の多さ。
実用では使いにくいのになぜ?


縄紋人とは。
復元図を紹介。


昭和62年に内郷地区で発掘された
有名な番匠地遺跡とその出た縄文土器の多彩さと量の多さ
とその意義について詳しく説明されました。
縄文時代の後期にあたります。


番匠地遺跡から出た土偶とその意義なども詳しく説明いただきました。


内郷・高野地区から出ました7000年前の縄文早期といわれる
中倉B 遺跡を紹介されました。
番匠地遺跡と比較して。
早期も後期も基本的な出土品は変わらない。
もちろん形は変化するが・・・


2018.9.8付け日本経済新聞記事から。


縄文人は多彩と。

昨夜は内郷学4回目講座

内郷が狩人(狩人)時代だった頃
  ~縄紋(じょうもん)の社会に学ぶ~

講師は
馬目順一先生

☆縄紋時代(2つの内郷地区の発掘調査の紹介とそのすごさについて)
☆縄紋人の姿・・・上の復元図から

☆縄紋人の食生活(狩猟採集活動の姿)
  ・・・農耕は主体にならなかった!!

☆勾玉、牙玉などの頸飾玉類の意義について
 生命維持として必要だった=「魂」を体の中にとどめておく必要が。
  (生きている時必要で死んだら不要に)

☆貝輪の腕飾類(女性)の意義について
☆注口土器(男性)の意義について

☆最後に
 帰りなんいざ、縄紋人の心へ!!
 自然添生 
 万物有霊
 再生の神霊遺回
 互酬性などの素晴らしい世界観

縄紋人の豊かで
階級制のない自然に寄り添って
生きる
世界観を
話しいただきました。

馬目先生、
内郷の2つの発掘調査を紹介して
縄紋の世界を講義していただいてありがとうございました。
 

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