玄関近くの隼人瓜!!
緑の壁が
今の時期には陽が欲しいが・・・
鉢植えにしました唐辛子(鷹の爪)です。
鉢植えでもなりましたね。
いわき地域学會 第369回
松井秀簡
~非戦を貫いた泉藩士~
講師は中山雅弘先生でした。
昨年の8月21日予定でしたが、
その後何回か予定されましたが、
今回実現した企画です。
16歳で書かれた七言律詩の漢詩です。
すごいですね。
貧しい暮らしをしていても
志を曲げない人物を書いています。
松井秀簡の碑・・・諏訪・八幡神社境内
泉公民館文学教室(松井秀簡の碑)より
いわゆる戊辰戦争において、
泉藩は
奥羽越列藩同盟として戦われましたが、
松井秀簡は官軍に抗せずとして、
戦いのまっただ中の6月22日
泉城の西方鹿島神社宮司家の隠居にて自決しました。
慶応三年泉藩分限帳・・・いわき市史五巻近世資料より
黄色が松井秀簡。
令和2年11月21日~令和3年1月19日
いわき市勿来関文学歴史館にて
松井秀簡
~非戦を貫いた泉藩士~
が開かれ時のパンフレットです。
ペリー来航に伴う合衆国大統領国書和訳(松井秀簡筆写)
世界状況が
東北の小藩の一武士が理解していたのに驚いた。
その企画展で観られた
史料です。
有名は酒井抱一の絵もありました。
最近、NHK日曜美術館でも取り上げられた
画家です。
和算を学んだ佐久間庸軒・・・三春藩
については
福島民報2020年(令和2年6月から7月)に5回にわたり紹介されています。
漢詩や和算に優れた武士の松井秀簡が
幕末の動乱の中で
泉藩は越列藩同盟と新政府軍のはざまで
苦しみ、最後に選んだ道が、自決でした。
当時の状況の知識があったので、
戦争ではなく非戦に論戦を張りましたが、
藩の態度にはならなかった!!
企画展でいただいた和算の資料です。
令和2年12月13日
勿来関文学歴史館にて
泉藩の戊辰戦争
講師は
上妻又四郎先生のレジメから
勤王の立場から説明を。
藩情勢の転換
教順派(勤王派)と主戦派
教順派は
松井兵馬、桑原精一、平野蓮助、北郷保貞、滝川稲水など(磐城戊辰史)
6月22日
松井秀簡が鹿嶋神社で白刃自刃!!
磐城三藩の戊辰戦争・改訂増補版
上妻又四郎著
P186
松井秀簡自刃の真相は
諫死であったと。
すなわち
純義隊の軍資金強要に対し
泉藩当局が領民に対し
課そうとしたのに反対し
群奉行の松井秀簡が死をもって
撤回させようとしたのが真相のようである!!
いわきの戊辰戦争にも
非戦論者がいたと聞いていたので
令和2年の展示会を見に行きました。
知られてほしい史実ですね。
明治になり、
泉では
明治元年の神仏分離令や修験道廃止例も出て
廃仏毀釈が徹底され
お寺がなくなったといわれますが、
それらは
非戦論の影響なのでしょうか?
学びたいですね。
以前
なるほど歴史塾で半年ほどかけ
松ヶ丘公園下にあります
愚庵邸の愚庵が書き残した順礼(巡礼)日記に
廃仏毀釈の残した爪痕が読み取れました。
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