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いわき・うぶすな広場だより

セカンドライフの生き方を書いています。

いわきの戊辰戦争・・・湯長谷城落城と堀坂の戦い

2018-05-31 15:00:49 | いわきの歴史

庭の「あじさい」が咲き
本格的な「あじさい」シーズンに。


湯長谷城の落城
夏井先生が書かれたいわきの戊辰戦争P15から


いのししが
1868年6月28日宿泊(新田宿・・・佐土原藩・柳川藩
泉城(戦いで落城したので新政府軍に)・薩摩藩3つ・大村藩・岡山藩)
翌朝、
柳川藩は平潟へ戻る(だれも留守番がいないため)。
柳川藩の代わりには岡山藩が交代。
1868年6月29日は
新田宿からと泉城からと湯長谷城を攻める攻撃に。
夏井先生のお話を時系列的にメモに書いてみますと
1868年6月29日午前中の湯長谷城は上記のような流れで向かった。

12:00には落城し、昼食、1時には内郷の堀坂へ向かった。
その戦いを突破して
新政府軍は今の労災・共立病院・小島町の満蔵寺まで達し
奥羽列藩同盟軍と戦い、勝負はつかず湯長谷藩に戻った。
落城したので新政府軍の宿泊先に。
1日4回の長時間の戦い。


第一次磐城平城攻撃
夏井先生が書かれたいわきの戊辰戦争P17から

昨夜
いわきの戊辰戦争 其一
3回目最終回に参加。

今回は
1868年6月29日の1日で長時間の戦い
「湯長谷城落城と堀坂の戦い」
長時間・激戦の戦いを

学びました。

今回は新政府軍の資料と
奥羽列藩同盟軍の資料が
戦い記録が一致しているので
学びがいがありました。

今の時代
わずか2週間程の記録が
当事者が異なる発表しているご時世。

約150年前の
いわきの戊辰戦争の戦いの1日が
残され、
私達市一市民が戦いの当事者の記録を読みながら、
戦いの図面が書ける。

それほど
記録が大切にされてきた民族に誇りを持ちたい。

☆「岡山藩記」(『復古外記 稿本 平潟口戦記 第一』)
☆『岩城合戦実録』・・・湯長谷藩の記録
☆「岡山藩記」(『復古外記 稿本 平潟口戦記 第一』)
☆『島津忠寛家記』(『復古外記 稿本 平潟口戦記 第一』)
☆『岩城合戦実録』・・・湯長谷藩の記録
☆「鍋田治左衛門書上げ」(『磐城平藩戊辰実践記 藩士十六人の覚書』)
☆「神谷外記書上げ」  (『磐城平藩戊辰実践記 藩士十六人の覚書』)

を使いながら、
早朝から夜(9時ごろまでか)までの戦いを
時系列に話され、
1日・4つの戦いの記録
当事者同士の記録を読みながら
戦いの跡を振りかえりました。

講座3回は今回で終了。
其の二が始まりますので
また楽しみです。

夏井先生、
運営されるスタッフの皆さん、

ご苦労様でした。

日めくりカレンダーから
☆書けば
 安心して忘れられるよ!
    長野県 無職の方

奥さんの一言で
筆者は実行していると。

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